カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

腹を減らして話し合い

2015-11-30 23:54:30 | 日記
小さい姫柚子が沢山実をつけて驚いていたのだが、だんだん余分な実が落ちていって、最終的には8個ばかり残った。

 名前の通り幹もさほど背が伸びず実も小ぶりである。

 一番良いことは、トゲが無いので扱いやすい。

 日ごとに黄色みを帯びて、柚子らしくなってきた。

 

 同窓会の幹事を受け持ってもう15年になる。

 今日は来年の春に予定している同窓会の実施要領について、近傍の者が集まって話し合いの場をもった。

 前回までは対案を2~3は準備して臨んでいたが、だんだんいい加減になってきて、今日は完全にフリートークで成り行き任せの話し合いにしてみた。

 同級生の近況を伝え合ったりして、話は前に進んだかと思えばバックしたり、横道に迷い込んだりと様々であったが、話し合いがまとまれば後は食事会を計画していたので、腹が減って行くにつけて話がスムーズにまとまりだした。

 地域と日時、会費等は決定したのでその地域に住んでいる者が率先して手を挙げて、場所を選定して交渉し結果を連絡してくれることになった。

 私としてはその結果をまって、細部を調整して12月中に案内状を発送すればいいことになった。

 腹を減らすことがスムースな決定に影響を及ぼすとは意外だったが、考えてみれば自然な流れだともいえる。

 柚子の実と同じで、何事も適正なところで落ち着くようになっているのだ。

 国会の委員会審議なども、ご馳走を目の前にして議論をすれば以外とすんなりまとまるかもしれない・・・かも。

 
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溜息をつけば師走がコンニチハ

2015-11-30 09:03:28 | 日記
 鳥が運んだらしい種が育ってしまったピラカンサス。

 その枝がどんどん伸びていく。

 根元の方は車庫の屋根より内側にあるので、枝を剪定しながら屋根に当たらぬように誘導した結果微妙にカーブして屋根の上に顔を出すようになっている。

 無数に出てくる枝芽はことごとくカットしたが、根本付近から横に伸びた一本の枝に目こぼしをして柵に沿わせていたらどんどん伸び続け、去年からは赤い実をつけるようになった。

 

 近所の人も「へェ~・・・」という中途半端な感嘆詞をくっつけながら、「枝だとは思わなかった」と言う。

 こちらも、まさかこんなに伸びると思わなかったので、こうなったらどこまで伸びるか挑戦してみることにした。

 霜月も最後は冷え込んだものの霜が降りることもなく過ぎ去ってしまいそうだ。

 「溜息をついてもやって来る師走」

 ほ~んと冗談じゃなく、明日からは師走。

 
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苔のむすまで・・・

2015-11-29 09:40:36 | 日記
 根元に近い方に切り詰めて幹だけになっていたベゴニアが再び花を咲かせ始めた。

 

 鉢植えは勿論、鉢から飛び出したものも元気に育っていく姿を見るとその逞しさに今更ながら驚く。

 極端な寒さには弱いが、保温の処置をすれば一年中元気だし、地植えで放って置いても根っこの部分はちゃんと生きていて暖かくなれば新芽を出して花を咲かせてくれている。

 ただ夏場の直射などには弱いので、半日陰になり易い木立の下などに植えている。

 木立が霜よけになってくれて、越冬にも好都合なのである。

 去年送ってもらったシャコバサボテンも花が咲き始めた。

 

 以前頂いた10鉢ほどの「椿」を半分は枯らしてしまったと言ったら、椿と一緒にシャコバサボテンも宅配便で届いてしまった。

 小さなポットに植えられたものが10個ばかり梱包されていたのだが、適当に水をやっていたら今年から咲き始めた。

 ただ問題なのは植えられた土に、送り主の土地に有るらしい特有のコケのようなものが繁茂しはじめた。

 鉢の中にあるうちに手際よく土を替えたりすれば良かったのだろうがそのままにしていたのが良くなかったのだ。

 鉢から飛び出して付近の地面から芽を出してせっせと勢力範囲を広げようとする。

 ゼニゴケとは昔から戦闘態勢にあるが、このコケは見かけが良くてジメジメ感はなくそれなりに存在感はある。

 しかし苔はコケなので警戒を怠らないようにしなければと思っている。

 国歌「君が代」は最後に「♪苔のむすまで」で終わっているが、むしたまま放置はできない。

 
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本の装釘意匠

2015-11-28 09:05:48 | 本と雑誌
 なぜか本棚の中には以前から有ったのに読んでいない本が何冊かある。

 ちょっとしたイベントの場を借りたフリーマーケットかなにかの古本コーナーあたりでまとめて買ったものだろう。

 そんな中に真っ黒な表紙で表題などまったく見えない本があったので引っ張り出して読んでみた。

 
 「日本歴史を点検する」対談:海音寺潮五郎・司馬遼太郎 1975.8(13刷)講談社(刊)

 初版は昭和44年(1970年)だから45年前に出版された本ということになる。

 封建の土壌、天皇制、産業革命、西郷と大久保、日本人の意識の底、幕末のエネルギー、言語感覚の特異性などなど両氏の対談の雰囲気を損なわないよう文章的には無理があってもそのまま編集したとある。

 内容は幕末あたりに重点が置かれている感じだが、人物評はなかなか面白い。

 いったいこの本は幾らで売られた本なのだろうと見てみると、「定価はカバーに表示してあります」とある。

 カバーなどはじめから見た記憶もないが、外せば定価はもちろん表題さえ見えないようになっているのだ。

 

 真っ黒な表紙の裏は真っ赤で、もう一枚間にある真っ赤なページをめくると表題が出てきた。

 木でも入っているのかと思えるくらい堅くて、金輪際まがるものかと頑張る表紙。

 微かに銀色の光沢のある表題。

 前書きの次のページの目次の最後に、「装釘意匠 山藤章二」とある。

 最近では滅多に見ない装釘の頑丈な本で、試しに頭を叩いてみたら、コンと音がしてとても痛かった。

 
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マイナンバーは何処

2015-11-27 11:31:16 | 日記
 マイナンバーは無駄だとかセキュリティーは大丈夫かなどと様々な意見がある。

 今朝の新聞の読者投書欄に、利用方法や便利さを追求すべきだとか、如何にしてセキュリティーを向上させるか等といった前向きで本質的な論議がなされておらず、悲観的な意見ばかりが先行していると憤慨した内容の投稿が掲載されていた。

 マイナンバーにかなり希望を持っている方なのだろう。

 新聞をそこまで読んだところで、「あれ?俺ってマイナンバーの通知はどこにやったのだろう?」と急に思いだした。

 う~んと唸りながら探したが見つからず、とうとう頭を抱えてしまった。

 

 郵便物を配達人から受け取ったときの話を配偶者から聞いた記憶はある。

 手渡された筈なのだが何処に保管したかの記憶が完全に吹っ飛んでいる。

 通常の保管場所から特に重要なも書類などを一括保管している場所まで探したが見つからない。

 配偶者が私に手渡した時の状況をもう一度聞けば、想い出すかも知れないと思ったのだが、肝心の配偶者は仲の良い女性の友達との電話の最中で、その電話はもうかれこれ1時間以上続いている。

 やっと電話が終わったところで、マイナンバーの通知書が封筒毎見当たらないと言うと「腰痛で寝ていたとき枕元にもって行ったじゃかいか、忘れたの?、どういう内容だったか聞こうと思ったけどそのままなしのつぶてだし・・」との答えに、パア~っとその時の状況が甦ってきた。

 腰痛で動けず、手の届く範囲に置いた小さなテーブルの上に物をゴチャゴチャ置いて用を足していたのだが、そのゴチャゴチャの中に封筒を置いたことを思いだした。

 めでたく一件は落着したのだが、マイナンバーが行政の効率化や国民の福祉にいかに役に立つかについて配偶者に説明せよと迫られて、答えに窮する場面を迎えることになってしまった。

 だって、どういう使い方をするかこれから考えますって、そんな風な感じにしか受け取れない内容だったし・・。

 
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ポックリ名人

2015-11-26 09:38:55 | 本と雑誌
 図書館から借りた本だが、語り口がやさしくてちょっとした講演を聴いている感じの本だった。

 
 「ポックリ名人。」帯津良一(著)2009.10東洋経済新報社(刊)

 数年前に前著があって、これはその続編のようなものらしいが私は初めてだった。

 内容はハウ・ツウものの感じもするが、死をテーマにして深刻にならず、持論を展開して小気味よい。

 人間はどこかにスピチュアルな一面を持っているし無視できない本能のようなものとも言える。

 壮大な宇宙観には共感するところが多い。

 今を自分なりに生き抜いて、ポックリ死ねたら言うことはない。

 やりたいことは思いきってやっておかないと、などと思う今日この頃。

 「加齢から逃げず加齢を楽しんで」

 ですな。

 
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「心のダークサイド」?

2015-11-25 11:52:25 | 日記
 キリタンサスの花が咲き始めた。

 HPでリンクを張っていた造園業の方の季節の花の項を見ると「キルタンサス」という名前だった。

 もともとカタカナの花の名前は覚えるのも難しいが、呼び方も地方により差違があるとすれば増々ややこしくなる。

 
 (咲き始めたキリタンサスの花)

 苗をくれた人は確かキリタンサスと呼んでいたが、花の名ばかりでなく他の分野でもカタカナ語とも言うべきものがあって、俄には判じがたい語句が多すぎるような気がする。

 すんなり日本語で言えばいえるのに、わざわざカタカナ表記や和製英語らしきものを創り出して得意がっている分野があるのだ。

 特に経済関係の雑誌の見出しは凄まじい。

 ビジネスパーソンを蝕む「心のダークサイド」がいかにブラックな職場を作り上げていくか・・・などという文句に首を傾げながら読み進むと、コーチングの手法とか、グローバル・タックス・プランニングとか、フロンティア・マネージメントとか、コーポレート・ガバナンス・コードなどと次々と雨あられのごとくカタカナが降り注ぐ。

 ひょっとしたら、心優しきビジネスパーソンの心を蝕んでいるのは、自分の研究ではなくて「いまアメリカでは・・・」などと彼の地で流行ってきた経済単語を日本語とミックスさせただけの頼りにならない経済の専門家なのかも・・・。

 アメリカのヒットチャート第1位は・・・などというノリ調子の洋楽紹介番組に似てる。

 さて一句・・・「遺伝子を混ぜすぎたのか似ていない」

 似て非なるものが、堂々とまかり通る分野って沢山あるにはありますけどね。

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種蒔きゃカラスが・・

2015-11-24 09:44:56 | 家庭菜園
 ♪権兵衛が種蒔きやカラスがほじる・・・だったかどうだか詳細は忘れたがそんな歌があった。

 何処で見ているのか知らないが、種を蒔いた後にはよく鳥がほじくり返したりするものだ。

 近所から頂いた折角の豆を食べられてはかなわないので、防鳥ネット兼ねて防虫ネットを張った。

 
 (防虫ネット)
 数年前に葉物野菜を虫から守るために使った物を、後生大事に保管して置いたのが役に立った。

 断捨離が上手くいかない理由の一つは、こうして数年後に役立ったりする成功体験が影響するのである。

 そう言えば、時期遅れの作物にもそれは当てはまる。

 
 (撤収した後の落ちた実から発芽して花を咲かせたミニトマト)

 すでに撤収して次の野菜を作ったのに、その間に芽を出し花を咲かせて、ひょっとすると実が成るかも・・・などと思わせるものが時々ある。

 枝を土に接触させて取り木のような状態にすれば、そこから育って11月頃までは実が成るなどとNHKの趣味の園芸でいっていたので真似てみたら、細々と数個ずつ実をつけ続けている。

 しかし、新しく発芽し花を咲かせ始めたものはどうなるのだろう、受粉させる虫も少なくなっている筈だし。

 ただ、大根の葉っぱなどに着く細かい黒い虫を、テントウ虫が駆除してくれているようで自然界の営みには驚かされるが、ついでに受粉をやってくれる虫が登場してくれたら申しぶんないのだが。

 安静にしていたので、腰の調子も回復基調にのってきた。

 現金なもので気力も舌の回りも復調してきた。

 「腰が引けてる」「腰が落ち着かぬ」「腰抜け」とか、どうも字面の如く「腰」は身体の「要」であり、行動・動作の要衝であることが今更ながら痛感させられる。

 「腰痛に能の立ち居を真似てみる」

 ソロリそろりですな。スタスタ・ドスンドスンはいけません。

 

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菜園の種蒔きと収穫と腰痛と

2015-11-23 18:16:24 | 家庭菜園
 近所から頂いた豆ご飯が美味しかったのでお礼をいったら、豆の種を頂いてしまった。

 その豆の種蒔きの時期がきていたのだが、諸々の事情で延び延びにしていたがとうとう2日前に蒔くことになった。

 菜園の様子を見に行った配偶者が、かなりの雑草と伸びすぎた葉物野菜に驚いたと言いながら、取り敢えず収穫したものを洗っていた。

 
 (野菜類・・・ジャガイモは試し掘りで早すぎると判断)

 
 (源助大根・・・あまり伸びないし手頃で食べやすい)

 この2本の大根は、大きい方が間引きをした列、小さい方が間引きを省略した列のものでその差は歴然。

 豆を植えるにも、先ず草取りをしたりいろいろな作業を終わらないと肝心の豆まきが出来ないということになって、草取り、植える列の整理などをやっているうちに里芋が邪魔に成ってこれを掘り出すことになった。

 
 (掘り出した里芋は水洗いして新聞紙の上で干した)

 この後、豆の種蒔きと防鳥ネット張り、雑草や伸びすぎた葉物野菜の撤収したものを埋め込む穴掘りなどを一気にやって土曜の夕方は目出度しめでたしとビールで乾杯したものだった。

 で・・・目出度かったのはここまでで、翌朝は腰痛のためダウン。

 日曜日から勤労感謝の日までは食事以外は湿布薬を貼って寝ているほかになすすべもなかった。

 やるべき事も参加予定のイベントも全てキャンセル。

 キャンセルの連絡に電話に出た相手は、共通して「ふふ・・」と含み笑いをしながら応じてくれた。

 2日間安静にしていたお陰でどうやら入院などという最悪の事態は回避できそうなまでに回復してきた。

 UPすべき写真もまだあるが、今日はこの辺りで止めておこう。

 椅子に長く座っているのは、ちとまずい。

  
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図書館あれこれ

2015-11-21 08:56:38 | 本と雑誌
 図書館には返本と同時に次の本を借りてくるのでいつも数冊の本が家に所在する。

 目的の本を求めてというのではなく、本棚に並んだ中から適当に抜き取って借りてしまう。

 毎回私が2~3冊借りるのだが、配偶者は5~6冊でお気に入りのシリーズ物なら貸し出し制限の10冊まで借りる。

 ところが前々回の返却日に、身体の具合が悪くなった配偶者の本も合わせて返却した後、次の本を借りようとしたら係員から「返却された本の中に汚れた部分があったが、当初から付着していたものか?」と聞かれた。

 町の図書館は、今年度から指定管理者制度が導入され管理が民間に委託されたが、さすがに細部まで本の管理をしようとしているなと、感心したりもした。

 自分が借りて読んだものではないので分からないと答えると、再度借りて配偶者に確認して貰って欲しいという。

 持ち帰って配偶者に事情を説明すると、本の裏表紙に「汚れ有り」とシールが貼ってあったので、汚れたページの部分のことだなと思った、と返事か帰ってきた。

 取り敢えず今回は配偶者と共に返本に赴き事情を説明させ了解してもらった。

 そのときの配偶者の疑問・質問が当を得ていて面白かった。

 「裏表紙に汚れ有りのシールが貼ってあるのを確認して借りました。読んでいてここのページのことだなと分かりました。でも・・・折角シールを貼るなら、何ページに汚れ有りとしておかないと、このままでは又次の人が同じやり取りをすることになるのじゃありませんか?借りる方も貸し出す方も毎回ややこしくなりませんか?」

 回答は「はあ~・・・」だった。

 気分は優れなかったが、本は借りた。

 
 「街道をゆく(陸奥のみち、肥薩のみち)」司馬遼太郎(著)2005.4朝日新聞社(刊)

 「陸奥のみち」は、南部藩の変遷がとても興味深く、現在の青森・岩手の土地柄というものを想い描かせた。

 「肥薩のみち」は、地元ではあるし直接どの部分を説明しているのか直ぐ分かるし、説明の仕方によって司馬氏の立ち位置が確認出来た。

 いずれの道も、説明がやや断定的と思う人も多くいるのではあるまいかと思えた。

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