カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

難しい境界の確定

2016-09-29 17:19:55 | 熊本地震
 東の隣家が全壊扱いで解体作業が終わって更地にしたと思ったら、跡地にアパートを建てるらしい。

 地震の後、ブロック塀が壊れたり地面そのものが平行移動したりして問題が発生しそうなので、土地家屋調査事務所から境界の立ち会いを依頼され、隣家に接する4軒が各々自宅との境界を暫定的に定めることになった。

 我が家はブロック塀ごと西側に押されているし、敷地じゅうをコンクリートで固めた南隣は踏ん張ったのでブロック塀も壊れず持ちこたえ、境界とおぼしき2点間を線引きすると我が家のところで塀の幅くらい移動していることが判った。

 
 (南東の境界)
 
 (北東の境界)
 
 我が家としては南東境界の杭から北東境界の杭を結んだ線を出してもらえば、取り敢えずそれで了解する旨を伝えた。

 ところが南東の基準杭に関して隣家同士の話が、昔の口約束の話にさかのぼって長くなり、我が家の方は待たされることになった。

 暑いし、決まったら呼びますからというので一時自宅に引き上げた。

 やがて決定したのは、基準杭の位置とさほど違わぬ位置だった。

 町全体が地盤沈下したり全体が活断層にそって東に移動したり西に移動したりしているし、局地的には複雑な変動をしているので、然るべき公的機関による測量を行って基準を定め、そこから計測していかないと、皆の主張を合計すると1以上の面積になりかねない。

 従ってアパートの工事が可能なように、取り敢えず暫定的に境界を定め塀等の工事も行うことにして、4軒立ち会いの下印鑑を押して了解した。

 たった向こう三軒両隣の境界の策定だけでもかほどの精力がいるわけだから、全町に及ぶ話となれば気が遠くなる。

 航空写真やGPS等が発達した世の中だから昔ほどではないだろうが、久しぶりに一世代~二世代前の持ち主同士の話し合いの有様などを聞いていると、ノンビリした話ではあるが後に問題を残すし記憶力の勝負になるなと痛感した。

 
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生き方は自前死に方神任せ

2016-09-27 09:28:36 | 日常あれこれ
 2通のハガキが郵便受けに入っていた。

 1通は、ビッシリと文字が書き込まれたハガキで地震後の安否を気遣うものと、もう1通は地震の直後から絵手紙を貰っている川柳の同人誌の仲間である。

 
 (2通のハガキ)

 どちらも私よりかなりの年配の人で、文字の多い先輩は謡曲の仲間である。

 年に2度ほど発表会があって隣の県から泊まりがけで毎回参加されていたが、寄る年なみで運転と体力に限界を感じたと参加を遠慮され、ここ1年以上お逢いしたことがない。

 絵手紙の先輩は、俳画ならぬ川柳画を同人誌に毎号掲載されているが、ご当人には一度もお目にかかったことがない。

 絵の横に添えられた文字は、同じ同人誌に投稿した私の句「私をスバリ他人が定義する」であった。

 人間の評価など結局他人がするもので、しかも本人より的確に定義してみせてくれる、等と作句に行き詰まって咄嗟に作ったものを投稿したら掲載され、しかも気に入ってくれている人もいるのだとくすぐったい気分にさせられた。

 お二方ともゆうに80歳は超えられているが、脳年齢は極めて若い。

 返事を書いているところに、同期の訃報がもたらされた。

 もう通夜は終わっていて、明日の12時から葬式が行われるという知らせだった。

 
 こちらは若すぎる死だ。

 もうかなり以前に、一度脳溢血で倒れたが、奥様の発見と処置が早く後遺症も殆ど無く回復して、以後2度ほど一緒に飲んだ記憶がある。

 家族葬とのことであるが、最後に一度だけ顔を見ておきたいと思っている。

 「生き方は自前死に方神任せ」・・・これからの自前の時間を有り難く噛みしめながら生きたいと思う。

 
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震災にめげず花は咲く

2016-09-25 09:51:43 | 熊本地震
 例年催されている益城町の彼岸花ロードでの「彼岸花まつり」に出かけてみた。

 震災で開催が危ぶまれていたが、地区の人達の熱意で今年も行われることになった。

 
 (彼岸番ロードの入口付近)

 地区のお年寄りなどがお茶の接待をしたり、ミカンやサツマイモなどを直売したりしていた。

 ただし商売っ気は全く無くて、完全なお楽しみ状態だった。

 夏風邪をこじらせて、行動不能に陥っている配偶者に頼まれて彼岸花の写真を写し、ミカンを一盛り買った。

 
 (彼岸花)

 
 (震災に耐えた田んぼと集落)

 花は、満開の状態であったりやっと芽が伸び始めて蕾のままという所もあって、場所によって違いがある。

 田んぼよりやや高い位置を走る道路の両側の法面一杯に彼岸花が咲き誇るのだが、今年はまだ少し早かった。

 東日本大震災の復興支援ソング「花は咲く」は記憶に新しいが、確かに自然は凄いと思う。

 亀裂が走り地割れした田んぼの横でもチャンと花は咲いてくれたのだから・・・。

 「彼岸花秋には秋の風が吹く」

 
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いがいが頭の小さな秋

2016-09-23 09:11:21 | 日常あれこれ
 地震で崩壊した墓の工事進捗状況を見に田舎の道を車で走っていると道路の中央に大きな栗のイガを発見した。

 そのまま通り過ぎてしまったが、もし帰りに踏みつぶされていなければ拾って帰ろうと思って通り過ぎた。

 墓の方はまだ工場で墓碑銘彫りなどをやっているのだろうと思うが、全然現場の工事はなされていなかった。

 仕方なく元来た道を引き返すと、なんとあの栗が道路の中央でで~んとそのまま転がっていた。

 
 (転がっていたイガ栗)

 やたらとチクチク刺さる強烈な棘だったが取り敢えず摘んで持ち帰る。

 あまりの大きさにビックリして眼鏡をかけさせてみるとなんだがユーモラスな顔になった。

 剥いてみるとでっかい実が1個だけ入っていた。

 
 (栗の実)

 大きな1個だけの栗の実をよくよくみると、頭のテッペンに尖った部分がある。

 時代劇の出来損ないのチョンマゲのようでこれまた中味もなかなかユーモラス。

 さてさて、この1個の栗をどのようにして食べるかが問題になった。

 焼いても煮ても1個だし・・・・。

 細かくカットしてご飯に炊き込んで栗飯にするか、などとパットしない構想が浮かんでは消える。

 「我が家にも小さな秋がやって来た」

 
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戸車の交換一丁上がり!

2016-09-21 13:48:51 | 日常あれこれ
 地震後いろいろな不都合が発生した。

 その都度自分で直せるものは修理したり交換したりしてきた。

 今日は居間と和室の仕切りにもなっている引き戸の滑りが悪くなったので戸車を交換することにした。

 先ず車のジャッキをつかってかもいを持ち上げる作業から開始する。

 
 (ジャッキの上に木の棒を立てて上部を持ち上げる)

 この作業は地震後に、滑りが悪くなった全ての引き戸の修正の時に思いついたことだ。

 ところが今度の場合はなかなか思うように持ち上がらず、使っていた木の棒がたわみ始めて折れそうになったので作業を一時中断してホームセンターから少し大きめの角材を買ってきて作業を再開した。

 引き戸を外して見ると、やはり戸車の外側の硬質プラスチックの部分が欠け始めていたので、2枚の戸とも交換することにした。

 
 (車の外側部分が欠け始めた戸車)

 他の2枚の戸は地震よりずっと前に交換しているので、地震のせいで壊れたというわけではなさそうだ。

 それにしても在来工法の木造住宅は建築当初より自重で下がってくると聞いてはいたが、確かに建具などは細かい修正を施さないと立て付けが悪くなったりするようだ。

 
 (交換取り付け後の戸車)

 ばっちり取り付けを完了して敷居の溝にはめ込もうとしたらなかなか入ってくれない。

 交換したばかりで高さの調整をしていないので元の位置よりかなり車の部分が出っ張っているのだ。

 襖の上部を削るか車の取り付けを引っ込ませるかの処置が必要だ。

 前回は上部を削ってはめ込んだが、この削るという作業は素人にはなかなか難しい。

 専門家はちゃんとコーナー用のカンナを持っていてこれで削るのですんなり出来るが、鋸とノミでは時間と労力は半端じゃない。

 そこで今回は車の部分を押し込むことにしたら、比較的スムーズに作業は完了した。

 さて、次はどこが具合悪くなるのか?

 付き合っているうちに、出来損ないの大工になれそうな気がしてきた。

 
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彼岸花ロードのお祭り

2016-09-19 11:14:41 | 熊本地震
 震災から半年が過ぎて、彼方こちらから復旧に伴う解体作業の音が聞こえてくる。

 
 (解体作業)

 ただし順番待ちの状態で、右から左というわけにはいかない。

 解体作業は分別しながらの作業になるので、1棟を更地にするのに概ね平均的に2週間くらいはかかるようだ。

 
 (解体が進んでいる交差点)

 今まで狭く軒が迫っていた交差点も次々と建物が取り壊されてガランとなってしまった。

 
 (仮設のスーパー)

 県下で一番大規模なテクノポリス東側の仮設団地はあまりに町の中心地に遠かったため不人気であったが、仮設のスーパーが開店したこと、新たに路線バスが循環するようになったことでどうにか生活に困らない最低限度の条件は整った。

 来月末にはほぼ全ての避難者が仮設やみなし仮設に入居できる見通しとなったため、来月末を目途に町内で唯一残っていた総合体育館の避難所は閉鎖され、本来の体育館、交流情報センター、図書館としての機能を発揮することになる。

 
 (まだ200名以上の避難者がいる総合体育館)

 地震による用水路の損壊や地割れを免れた近くの田んぼには稲穂がたわわに実り頭を垂れ始めていた。

 

 直ぐ横の土手には彼岸花が季節はちゃんと巡っていることを教えてくれるように咲き始めている。

 

 毎年行われていた彼岸花祭りは今年はないのだろうかと訪れてみたら、幟旗が立てられていて祭の準備はちゃんと進んでいるのを見てホッとした。

 物の復旧・復興も大切だが、基本は人の心の復旧・復興である。

 ささやかな地域の催しだが地域の人達の手によって続けられることは、とても大きな意義があると思う。

 地域の絆を深め、訪れた人々に勇気を与えてくれる。

 
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遅れて来た中秋の名月

2016-09-17 08:27:08 | 日常あれこれ
 旧暦の8月15日の月を中秋の名月というそうである。

 7月~9月が秋であった当時では8月はまさに中秋だったわけだ。

 今年は9月15日がその日に当たっていて分かり易かったのだが、残念ながら雨が降って名月にはお目にかかれなかった。

 昨夜も曇っていて、一日遅れの名月も無理かと思っていたらウオーキングから帰る頃に雲間から月が顔を出した。

 
 (雲間に出入りをくり返す月)

 カメラを手にしてベランダで空を見上げるのだが、待っていると隠れてなかなか出てこない。

 部屋に引き揚げると、やおら顔を出す。

 
 (一日遅れの名月)

 恥ずかしがりなのか、もったいぶっているのか、はたまた私が間抜けなのか。

 六曜・月齢・旧暦カレンダーでは9月15日は旧暦8月15日で「十五夜」とある。

 「十五夜」が満月とは限らなくて、一日後の昨夜が月齢14.7でほぼ満月に近かった。

 今日17日は月齢15.7でもう満月は過ぎている。

 そう言えば去年も月見のシーズンにわざわざススキと月のツーショットを写しに行った。

 ウオーキングコースの道端にススキが穂を出しているのをいつも見ながら歩いていたから場所は直ぐに思いついた。

 
 (月とススキ)

 今年も月見団子はなかったが、ちょっとお気に入りの酒があったので、チビリとやって一句ひねってみた。

 「照る月に心の奥を見透かされ」

 「満月に遠回りする万歩計」

 「照る月の冴え渡りすぎ過疎の里」

 ひねり過ぎたついでに飲み過ぎた。

 
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採らぬ野菜の皮算用

2016-09-15 09:35:34 | 家庭菜園
 自然災害ばかりが続いて、野菜の値段が急騰している。

 夏の間は特に葉物の野菜は栽培が難しく敬遠していたが、折角だから植えてみることにした。

 ダイコン、小松菜、ほうれん草、白菜、キュウリ、じゃがいも等である。

 
 (白菜)
 
 白菜は苗を買ってきてネットを掛けた。

 
 (ほうれん草)

 葉物の野菜は全部芽を出しているが、ダイコンはすでに葉っぱが変色しつつあるし、小松菜は今のところ緑色をしているがこの先どうなるか判らない。

 
 (キュウリ)

 今の時期にキュウリを植えたことはないが、試しに種を蒔いたら芽を出した。
 ただしこれもどうなるかは判らない。

 一本だけ残っていたスイカの蔓も枯れかかっていたので、抜いてしまった。

 1個だけ実をつけていてたメロンくらいの大きさのスイカを持って帰って食べてみることにした。

 
 (メロン大のスイカ)

 小玉スイカといっても、これは小さすぎだが一人前に赤くなっていて、種も普通の大きさだった。

 スプーン2杯で食べ終わり、大袈裟に「ごちそうさまでした、ああ美味しかった」と誉めてやった。

 秋まで残した茄子は花を咲かせ実をつけ始めたが、真似て残したピーマンはどうなるのだろう。

 サツマイモは実が入っているのだろうか、などとぐうたら農園は不安定作物が賑やかになってきた。

 野菜高騰のおり、捕らぬタヌキならぬ「採らぬ野菜の皮算用」の夢は広がってゆく。

 
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女郎蜘蛛

2016-09-13 15:02:34 | 日常あれこれ
 庭の隅の柚子と百日草を股にかけて女郎蜘蛛が巣をかけて住んでいる。

 もっと小さかった頃からの知り合いだが、最近は大きくなってしまい堂々としている。

 一匹で生活し、群れない孤高のハンターである。

 名前が「女郎蜘蛛」とはいささか艶めいているが、黒と黄色の福岡ソフトバンクのユニフォームの原型のような姿が、目立たないように気を配っている他の蜘蛛に比べて、いかにも人目を引くので命名されたのだろう。

 名付け親は、かなりスケベなオヤジに決まっている。

 
 (女郎蜘蛛)

 花木に水をやるときは、なるべく蜘蛛の巣に水滴がかからないように気を付けているが完全にしぶきをかけないようにして水やりも出来ず、時々は蜘蛛の巣が細かい水滴で白くなる。

 すると彼(ひょとして彼女?)は、やたらと張り巡らした巣の糸をユサユサと揺らす。

 「ここに居るぞ水をかけるな」といっているのか、水滴を落とす動作かは不明であるが。

 鹿児島あたりではこの蜘蛛を戦わせる遊びを大の大人が真面目にやっているそうだが、私的にはとんでもない話だ。

 小学校の頃、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を読んで以来蜘蛛には敬意を払っている。

 家の中に蜘蛛の巣を張らない、小さくてぴょんぴょん飛び跳ねる黒い蜘蛛がいるが見つけたら手で捕まえて外に出て貰っている。

 小さな虫などを捕まえてくれるので、ヤモリと共に重宝している。

 第一蜘蛛の巣を張らないところがいいし、窓を開けて追うと自分でちょこちょこと飛びながら外へ飛び出て行く。

 そんな私の様子を配偶者はただ呆れて見ているだけだ。

 かくて私と蜘蛛の蜜月時代は当分続く予定だ。

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隣家の家屋解体

2016-09-11 10:51:38 | 熊本地震
 八月下旬から始まった東隣の家の解体工事がやっと2週間振りに終わった。

 
 (作業開始の頃の風景)

 建屋の解体における問題の主たるものは埃と匂いだった。

 締め切った筈なのに微細な埃が侵入してくるし、至近距離の部屋は独特の屋根裏の埃が湿ったような匂いが侵入した。

 その次は基礎部分の解体であるが、これは重機の振動が凄かった。

 連日家中が揺れた。

 近所もみな同じで、震度3~4程度の揺れが何日も続きそしてやっと終わった。

 
 (解体された隣家)

 全てが取り除かれた後には、今まで見えていなかった近所の家並みや遠くの山々までが見渡せた。

 
 (整地された隣家)

 住まなくなった近所の土地2軒分を買い足していた隣家は結構な広さがあって、配偶者に言わせると家庭菜園には広すぎるそうである。

 自宅の再建の際は少し離れた位置に家を建て、我が家方向には庭を造ってくれたらいいな等と夢を描いていたら冷や水を浴びせられた。

 何と別に数軒の家や土地があるので、そちらに引っ越してここの跡地には賃貸住宅を建てるらしい。

 建てる場所は元の我が家に隣接した西側の場所で残りの南と東側は駐車場にする計画だという。

 う~んと唸りながら、見晴らしの良さと朝日がサンサンの生活をしばし満喫することにする。

 今後は公費解体までそのままに放置されている南隣の家が、我が家に倒れかかってくることなくその日を迎えられることを切に祈るばかりである。

 
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