カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

お墓をめぐる出来事

2016-11-30 10:03:02 | 熊本地震
 お墓に入るという事態はなるべく先送りにしたいものだが、壊れたお墓の修理は先送り出来ない。

 地震による家の被害は一部損壊程度ですんだが、お墓の方は全壊でバラバラになってしまった。

 
 石材店もご多分に漏れず多忙で、なかなか墓地の復旧もままならず、かろうじて農業用の機械を使って欠けた材料を仕分けしたり、不完全なまま墓石を乗せたりしている墓もあるが、完全なものはまだ少ない。

 我が家の墓は見積もりの結果、修復不能とのことで新しく作り直すことにした。

 いろいろな付帯設備や飾りは、地震などの際は、石同士が衝突して割れたり欠けたりする被害が大きいことが分かった。

 そこでシンプルな構造で、必要な納骨スペースを保持しつつ、つとめて小型のものを注文した。

 契約後4ヶ月が経って、やっと壊れた墓の撤去や基礎工事が始まった。

 先日、墓のある田舎から電話があり、お墓への取り付け道路の整備をするので作業に参加して欲しい旨の連絡があった。

 「お宅はお墓を建て替えておられる最中のようだが、道路工事の日程変更は難しいので業者に舗装工事終了から一週間程度通行止めになって墓工事が出来なくなると伝えて欲しい」という内容も付け加えられていた。

 なるほど、心配はごもっとも、すぐさま石材店に連絡すると、「実は明日完成の予定でしたが・・・」などとブツブツ言っていたが、一時間ほど後に電話で「人員・器材を増強して今日中に終わらせ、明日の道路工事開始までには完成させます」と連絡してきた。

 
 (お墓の関係者のみなさんと工事をした道路)
 道路工事作業当日は、コンクリートミキサー車がボタボタ落とす生コンをならして道らしくするのが作業であったが、メイン道路までの半分くらいで予定の4台分の生コンが無くなって、後の続きは来年の作業になるという。

 それまで待てない程の悪路があったため、取り敢えず砂利を入れて補修しようという話になって急きょ小型のダンプに4台分の砂利を運んだ。

 持参したスコップは生コン作業には役に立たなかったが、砂利を広げるには重宝した。

 おかげで、へとへとに疲れ、腰痛を心配するはめになった。

 しかしその工事のお陰で墓の業者もさっさと作業を進めたのだから良かったというべきか・・・。

 
 結果的には墓所の中で修復以外では一番早く建て替えが完了した。

 お寺と調整して、自宅に一時待避している先祖の遺骨を新しい墓に納める法要の日取りを決めた。

 住職もスケジュール表を見ながらの調整で、決まった日には雨天でも決行するという。

 そう言えば「師走」とはまさしく坊さんも駆け出すってことだったと思い出した。

 「悲喜劇のどちらにするか震度7」

 
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頂き物の管理は結構ややこしい

2016-11-29 10:03:04 | 日常あれこれ
 頂き物の「クルクス」とかいう花を地植えにして防寒対策を施した。

 地震の後の様子見に訪れた相方の親類筋の女性が、2鉢持ってきてくれたものだ。

 白と赤の2種類でそれぞれに長い名前がある。

 地植えだとドンドン成長し花も次々と咲かせるらしい。

 寒さに弱いので冬は覆いをするなどの防寒対策が必要だと強調された。

 
 (ビニールで防寒処置)
 地植えにしてビニールで覆ったらたちまち中が曇って見えなくなってしまった。

 ラフカディオハーンの風景紹介では、菊の花が傘を差しているという描写があるが、30年以上も前に亡くなった祖母は壊れた傘を差しかけていたなあ、などとふと思い出した。

 頂き物の管理は例外なく難しい。

 寒さに弱いものは防寒の処置が必要だし、暑さに弱いと言われると置き場所や管理に苦労する。

 暑さにも寒さにも強く管理に気を使わなくても良さそうなので「杉」の盆栽を貰ったことがあるが、生意気に花を咲かして杉花粉を飛ばす。

 
 (杉の鉢植え)
 丁寧に実の部分除去したりしていたが、面倒くさくなって実の多い枝葉はカットしていたら情けない姿になってしまった。

 いちばん困るのは「その後どうなってる?」などという送り主の質問だ。

 「生きてる」とか「う~ん駄目になった」とかの答えしか対応出来ない。

 ただ用心しないといけないのは、「駄目になった」と聞いて直ぐさま次を送りつけてきたりすることがあることだ。

 「植物」だの「置物」だの他人に送るときは注意が必要で、むしろ贈り物としては避けた方がいい。

 ちなみに我が家に鎮座していた多くの置物は、地震の際に殆どが壊れてしまい罪悪感なしに断捨離が出来た。

 
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マイナンバーって何でした?

2016-11-28 09:40:40 | 日常あれこれ
 朝刊を読んでいたらマイナンバーに関する記事が目をひいた。

 取り敢えず一部でもシステムに取り入れている市町村の割合とか、カード発行と普及率とかである。

 高齢者が身分を証明するのに使うとかで、一桁台の普及ではあるがカードを持っている人もいる。

 しかしどういう場面で使うのかという質問には殆どの人が答えられなかったとある。

 なるほどねと思いながら自分の一年前のブログを紐解いてみた。
マイナンバーは何処
 マイナンバーは無駄だとかセキュリティーは大丈夫かなどと様々な意見がある。 今朝の新聞の読者投書欄に、利用方法や便利さを追求すべきだとか、如何にしてセキュリティーを向上させるか......

 やっと見つかったマイナンバーの通知書のことを書いているが、その後使うことも無いので、お役所や金融機関・保険会社などから送られてくる書類等と共に分類して保管している・・・筈だ。・・・多分。

 図書館の利用も出来るようになどと全国の図書館に協力を求めているそうだが、リスクが大きい割にはメリットが少ない。

 「仏を造って魂入れず」などと言うが、その仏すら掛け声だけだったので不完全で、魂など夢のまた夢のようだ。

 鳴り物入りの導入だったが、その後の論議はさっぱり盛り上がらない。

 その後どうなってます?って聞いたって、蛙の面にションベンだろう。
 
 今は他の問題で忙しくて忙しくて、担当者に回しますって言われそう。 

 カードの保管だって高齢の施設入所者など誰がどう管理するのだろうなどと余計な心配まですると疲れる。

 
 一年前の記事を読みながら、な~んにも変わっていないことに今更ながら驚く。

 猫に欠伸されるほど、どうどう巡りばかりで進歩には縁の無い世の中なのだろう。

 「考えたままで眠ったロダンかな」

 
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自然の恵みと脅威

2016-11-27 09:48:25 | 熊本地震
 町の教育委員会が選定した「益城33箇所めぐり」のうち町内に近い所を震災後初めて訪れてみた。

 
 (9番札所 観音堂)
 建物は比較的最近建て替えたばかりなので、被害はないようだったがお堂の中に祀られている「観音像」が収まった小さな祠のようなものが壊れていて、観音像は床の上に直接鎮座していた。

 木像自体はどこも痛んだところはないようだ。

 
 (8番札所 阿弥陀堂)
 周りは倒壊家屋が多く解体作業も彼方こちらで行われているが、石造りの小さな祠も阿弥陀像も健在だった。

 町中を歩くとしばしば傾いたお堂や、ブルーシートに覆われたお堂などを見るが我が町内の近くでは被害は少ないようだ。

 転がり落ちて首が折れてしまった近所のお地蔵さんも接着材で首も修復されて元の位置に鎮座していた。

 壊れたアパートの横を通って観音堂に行く道すがら、自噴する湧水を利用して手製のワサビ田を作ってワサビの苗を栽培していた優雅というか風流というか羨ましいようなお宅があったのだが、家は跡形も無く更地になっていて、箱の中のワサビも消えており、ただ湧き水だけが音をたてながら流れ続けていた。
 
 (流れ続ける湧水)

 益城町は湧水の多い所で、比較的低地の家庭では庭で自噴させた水を利用したり側溝に流したりしているが、取り壊された家屋の多い中で、水だけが更地の隅で自噴し続けているのだ。

 断層に沿って全体が沈下しているので、ひょっとすると水脈に変化があったり沈下したぶん相対的に地下水位が上がっているのかも知れない。

 とにかく湧水の量が多くて、流れ込む近くの河川の水量も増えているようだ。

 堤防の外側低地の排水対策も急がれる。

 自然の恵みは脅威と背中合わせのセットになっている場合が多い。

 
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猫の訪問

2016-11-25 09:57:59 | 日常あれこれ
 最近我が家の庭に中型の猫がやってくるようになった。

 綺麗な猫であるがとても用心深いので野良ではないかと思っている。

 
 (猫A)
 
 (猫Aの横顔)
 やがてもう1匹が現れるようになった。
 
 (猫B)
 
 (猫Bの横顔)
 部屋の中からガラス戸越しなら撮影もOKなのだがガラス戸を開けたり玄関のドアを開ける音を聞くと逃げてしまう。

 毛の艶もいいからきっとそれなりに生活してはいるのだろう。

 一年ほど前に隣家の屋根の上で産まれた子猫2匹はその後近所で元気に暮らしているが、問題は今年の子猫である。

 震災で傾いた隣家で去年と同じ母猫が子猫を産んだことは分かっていたが、震災のドサクサと引き続いた解体工事などでその後の猫の運命は分からなかった。

 解体工事が終わって暫くすると現るようになり、そしてどこかに帰っていく。

 気になるのは、去年生まれた2匹の子猫たちと毛の色がそっくり似ていることである。

 生まれ故郷の今は無い家の跡地を眺めに来ているのだろうか。

 
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祝日の国旗

2016-11-24 09:23:34 | 熊本地震
 昨日は「勤労感謝の日」で国民の祝祭日だった。

 祝祭日には国旗を掲揚しましょう等と言われなくても我が家では昔からずっと掲揚していた。

 「していた」と過去形になるのは、震災以来中止したままだからだ。

 
 昼間は太陽も出て比較的暖かいと思って歩きに出たのだが西風は冷たく感じた。

 町のあちこちでは、休日でも解体作業が続いている。

 「勤労感謝の日」は勤労出来ることへの感謝の日か、働いてくれている人々への感謝の日かどちらなのだろう。

 歩きには夕方から出るのが普通だが地震以来堤防沿いコースは地面が痛んでいて危ないので、町の丘陵コースばかり歩いていた。

 久しぶりに昼間の堤防沿いを歩いたら、珍しいものに出会えた。

 
 (田んぼの中の稲株)
 
 (堤防の朝顔)
 
 (堤防のヒメジオン)
 ポツンポツンと残っている稲の株は多分耕作されなかった田んぼだと思うが、稲穂が付いていた。

 堤防の朝顔も、ヒメジオンも夏のもので今の時期には珍しく群生して咲いていた。

 
 (通行止めのままの橋)
 こちらの堤防から向こう側の堤防に架けられた橋の一つは、今も50~60Cmの段差で通行止めのままだった。

 こうして風景は変わらないものと、変わり果てたものが混在しているのだ。

 我が家の周りの家が解体されてしまい、突然ぽっかりと一軒だけ目立つようになってしまうと、祝日の国旗はとても違和感のある風景に思えてしまう。

 せめて隣家が再建されるまでは慎みたいと思っている。

 「逃げられぬ活断層の上で寝る」

 
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復興城主の特別のアングル

2016-11-23 10:36:31 | 日常あれこれ
 熊本城の復興城主に申し込んだら「復興城主手形」が渡された。

 本物は2ヶ月後くらいに郵送されてくるらしいが、取り敢えず今日から有効な紙製の暫定的なものである。

 実は何年前か忘れたが、熊本城の一口城主になっていて手形は二枚になってしまった。

 
 (一口城主と復興城主)
 今回、裏面を見てみたら何やら城主の特典が書いてあるのに初めて気がついた。

 幾つかの市の施設が無料で入館・園できるようになっていた。

 城主手形協賛店でも本証を提示すれば特典を受けることが出来るとある。

 もっとも手形を持ち歩かないので多分今後も特典には縁が無いだろう。

 手続き後にコンパクトな熊本城の写真集をくれた。

 
 (写真集)
 表の表紙から内容の半分は震災前の熊本城の姿で、市内の夜景を挟んで後半から裏表紙は震災後の熊本城が撮されている。

 
 (震災後の熊本城)
 立ち入れない角度からの写真もあって、ちょっと資料にも記念にもなりそうなので取って置くことにした。

 
 (二の丸広場から見た熊本城天守)
 このアングルは二の丸広場の立ち入り限界の柵の前から私が撮したもので、前面に長い石垣と白黒の塀が連なるのだが、今は塀も見えなくなっている。

 子供達が小さかった頃は、阿蘇だの水前寺だの地域の名所で謹賀新年などと書いた手書きのプラカードを持って年賀状用の写真を写したものだった。

 熊本城のこの位置が、その時の師走の寒空の中での家族の撮影場所で、通りかかった観光客に笑われたものだった。

 年賀状の時期には一家で6畳の暗がりに籠もって、現像・焼き付け・定着とモノクロ写真の年賀状を手分けして作っていた。

 如何にも絵葉書的なアングルだが、特別な感慨が湧き上がってくるアングルでもあるのだ。

 「古写真時がきっちり写ってる」

 
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二人の復興城主

2016-11-22 16:49:33 | おでかけ
 夕べ熊本城復興城主の話で盛り上がって、それなら明日熊本城に行こうという話になった。

 あれこれやっていて、家を出たのは昼過ぎだった。

 
 (二の丸から)
 さすがに石垣の傷みや、天守閣の屋根などの傷みがひどいようだ。

 
 (北側から天守と小天守)
 取り敢えずずぐるりと城の周りを回ってみる。

 
 
 大きな木ごと石垣が崩れたり、隅の算木の部分だけで持ちこたえている櫓などが各所に見られた。

 テレビなどでよく見聞した飯田丸5階層櫓は一本足で持ちこたえたと評判になったが、今は崩落防止のため大がかりな鋼材を用いた処置がなされていて、崩落の危険は遠のいたが、その他の櫓には隅の石垣で辛うじて立っているものが幾つか見られた。

 
 (桜の馬場 城彩苑)
 ぐるりと城の周りを短いコースで歩いた。

 途中で県立美術館分館の写真展などを覗いたりしたので、かれこれ一万歩近く歩いた。

 少々つかれて「桜馬場 城彩苑」に着いて「復興城主」の申し込みをした。

 相方も城主になりたいというので、とうとう我が家には二人の城主が誕生することになった。

 権力争いが勃発しなければ良いが・・・。

 
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今年は庭で紅葉狩り

2016-11-21 11:38:28 | 日常あれこれ
 だいたい例年だと紅葉の時期になると何処かの山に出かけたものだった。

 今年は今のところ何処にも出かけていない。

 ところが庭の隅に放置されていた、鉢の紅葉が勿体ないと相方が玄関の横に持ちだしてきた。

 
 (花梨)
 15年以上も前に植木市で買った小さな苗の何本かを一鉢に植えていたのだ。

 大きく育てて花梨の実を成らせるのが目的だった相方が一本だけ地植えにした。

 その1本は今では大きくなってとても邪魔になっている。

 紅葉もしないし、やたらと葉っぱを落とすし、実もちっとも美味くなくて、オマケに花梨酒も不評だ。

 この鉢の花梨だけが栄養不足の鉢の中でもう何年も紅葉し健気に生き続けている。

 
 (ハゼの紅葉)
 ハゼは、かぶれる人はハゼの木の下を通っただけでかぶれる等というが、私は滅法ハゼには強い。

 小さいがこれも小さな鉢の中でもう何年も生きている。

 小学生の頃、近所の友達とはチャンバラをよくやって遊んだが、道具の刀は自分で木を削ってこしらえていた。

 山に手頃な刀として使えそうな木を見つけに行くのだが、私が見つけたのは真っ直ぐな枝が手頃なハゼの木だった。

 それを適当な長さに切って、刀の柄の部分を残して刀身は皮を剥いて削った。

 柄の部分もギザギザに模様を入れてそれらしくこしらえた。

 そこまでは良かったのだが、この刀を口にくわえてチャンバラをしたら、口の周辺が横一文字にかぶれてしまった。

 病院に行ったら「どうしたらこういう形状にかぶれるのかね?」と、とても不思議がっていたが、理由を言うと大笑いした。

 いわゆる「口割け女」状態で、とても恥ずかしかったので学校を休んだ。

 治ってから学校に行くと先生が休んだ理由を聞いたので、口割け女状態の話をしたらまたまた大笑いされた。

 鉢植えのハゼの紅葉を見ながら、ふと思い出して自分でも笑ってしまいそうな、そんなハゼの紅葉なのである。

 「人肌の酒に親しむ庭もみじ」


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隣家の地鎮祭

2016-11-20 09:59:43 | 日記
 曇りがちではあったが、朝焼けのような明るさがあった空が、北からにわかに黒雲に覆われたかと思うと雷雨になってしまった。

 それは昨日の朝の事で、豪雨も昼までには止んでいた。

 解体が終わったばかりの東隣りと南隣の更地には雨水がたまっていた。

 
 そこに一台のワゴン車がやってきて、何やらブルーシートを広げたり荷物を下ろし始めた。

 あれよあれよと言う間にイベント用のテントが張られ、紅白幕が回らされた。

 
 どうやら東隣に新築が始まりそうで、その「地鎮祭」が執り行われるようだ。

 震災で倒壊した家の跡地での「地鎮祭」とは地面の神様にお鎮まり下さいとお願いする本来の地鎮祭にこれほど合致したタイミングもないだろう。

 これから町の彼方こちらで、こうした地鎮祭が執り行われるだろうが、再出発ということでお目出度い話である。

 なのであるが、我が家としては解体の振動に引き続き建設の槌音を毎日聞くことになるのである。

 そして、境界の塀の設置で話し合うことになるだろう。

 朝日を浴びて開けていた視界も三日天下で終わって、以前の風景に戻るのだ。

 隣家が自宅の立て替えではなくて、アパートを建てるという話も少々気になる。

 諸々の思いが去来し不思議な感慨に浸らせてくれた地鎮祭だった。

 
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