カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

屋根の上の猫の親子

2015-06-30 09:29:39 | 日記
 妙な声を張り上げながら歩く猫がいて、窓から覗いてみると先方も気づいたらしく鳴き方を止めてカメラ目線になってくれた。

 

 以前は1匹だと思っていたら実は2匹いて、喋りまくって歩くのはオスの方だと判明した。

 

 こちらはメスの方で、2匹は似ているが模様が少し違うし体がやや小振りなので最近は直ぐ分かるようになった。

 昨日は、「わ~カワイイ!」という女性の甲高い声が聞こえてきて、声のする窓から隣の屋根の方をみると、母猫と子猫が屋根に居た。

 母猫は注意を怠っていない様子が窺えたが、子猫の方は無担着でヒサシの下を走り回っていた。

 前回に見たときのヨタヨタした歩き方ではなかったのでかなり成長しているようだ。

 繁殖が終わった後のオス猫は、子育てに専念する母猫にとってはむしろ子猫に危害を及ぼす存在になりかねない。

 しかしこのくらいの大きさに無事成長しているし、ずっと以前からオス猫も定期的に姿を見せ続けているのでトラブルは発生しなかったと見える。

 子猫と母猫の微笑ましい姿に慌ててカメラを取りに行ってレンズを向けたがチャンスを逃してしまった。

 カメラのメモリーが抜けていたのだ。

 いやいや私が抜けていたと言うことだが、次回のチャンスを狙うしかない。

 子猫共々親子が降りてこられるよう設置した脚立の撤収はまだ当分先になりそうだ。

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サッカーサンデーでどっとお疲れ

2015-06-29 09:23:40 | 日記
 昨日は朝の5時からの女子ワールドカップテレビ観戦に始まって、午後からは女子チャレンジリーグの益城ルネサンス熊本FC、引き続き夕方からはJ2ロアッソ熊本の応援にスタジアムへ・・。

 

 うまスタ補助競技場でのルネサンスの試合には、ロアッソ君や菊池のゆるキャラもかけつけてくれて楽しく応援。

 夕方からのロアッソの試合開始前には、通常子供達がやっている「絆宣言」に蒲島熊本県知事が登場。

 

 知事いわく「私が応援に駆けつけたとき、負けたことは過去に1度しかない」・・・その一度の時の知事挨拶は確か「私が応援に駆けつけたときまだ負けたことは一度も無い」だったので、発言的には正しい。

 どちらの試合も、良い試合だった。

 そしてどちらも負けた。

 知事がもし次の機会に挨拶するときは、数字が1から2に増えているかを聞き逃さないようにすること。

 帰りはとても混み合って、疲れ果てた顔の配偶者と残念の乾杯をしたのは21:00頃だった。

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花の名前のややこしさ

2015-06-28 09:37:53 | 日記
 一年前の今日のブログというメールサービスに、変なサービスもあるものだと思っていたのだが、そうでもないように思えてきた。

 なぜなら毎年同じ時期に同じような事を書いているし、内容的には以前の方がずっと良くて反省させられることが多いことに気づかされたからだ。

 去年の今日は、庭の花の名前が覚えられない等と愚痴っていて、調べた挙げ句にこの名だろうと判定したものを、咲いた様子の写真の下に書き込んでいる。

 特にカタカナのややこしいやつを、日本語化して意味を持たせてくれれば覚えやすいのに・・・などとのたまっている辺りからは、今年も以下同文と言いたい。

 そんな中に、「キョウガノコ」という花があって、今年は「キョウガノコ?」と?を付記した覚えがある。

 

 今考えてみると「キョウガノコ」は「京鹿の子」なのではないかと考えられる。

 多分調べれば直ぐ分かることなのだろうが、配偶者の着物の話の中に、鹿の子絞りという文様の話を聞いたような気がするので今年は「京鹿の子??」くらいにレベルアップしておけば良かったかな・・などと思う。

覚えられない花の名
 花の名前というのは生活に馴染んだ一般的な花とか、花自体が印象的かもしくはその名前がその花を彷彿とさせるようなものは記憶に残る。 また特異な名で印象に残るものもある。...


 今日は朝からナデシコのテレビ観戦、その後13:00から女子サッカーのチャレンジリーグ(益城ルネサンス熊本)と18:00からのJ2ロアッソの讃岐戦の応援に駆けつける100%サッカ漬けの一日なので忙しい。

 簡単に済ますつもりのブログ更新を甘く見積もったおかげで、配偶者の急かす声が階下から聞こえてくる。

 急がねば・・・。

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遅れて来たLED

2015-06-27 09:53:40 | 日記
 わらしべ長者のようにだんだんと儲かる話もあるが、だんだんと出費がかさむ話もある。

 一昨日居間でソファーに寝っ転がって天井を見ていた配偶者が照明のカバーが汚れてきたとのたまった。

 だから段々と暗く感じるようになったのだ・・・・と。

 見上げてもさほど汚れているとは思わなかったが、この付近の高さになると清掃担任は自ずとこちらに回ってくる。

 椅子を足場に、築後22年の家と同じ歴史の照明をカバーを外して拭き始めたのだが、だんだんエスカレートして蛍光ゴボールを一個づつ取外し清掃する辺りから、「もうこんな古くて電力消費量が多くて、しかもごっついばかりで明るさイマイチの照明はやめて、LEDに替えようよ」という話になってしまった。

 つまりピカピカに掃除が終わった段階で、燃えないゴミか大型ゴミかになることになってしまった。

 バラして「燃えないゴミの規定のビニール袋」に入れば燃えないゴミ、入らなければ大型ゴミの回収日まで待つことになる。

 

 4個のカバーの部分と本体に分けたらそれぞれが規定のビニールに収まって取り敢えずめでたしめでたし。

 照明がないのでダイニングの明かりでその晩は過ごしたが、腕時計を忘れたとき何度も腕を見てしまうのと同様で、何度も点かない壁の照明のスイッチを押してしまう。

 翌日は〇〇電気の開店時間を待って早速購入に及んだ。

 じつは先日も、他の部屋の照明がおかしくなって、LEDに替えたばかりだったので、商品知識も取り付け要領も判っていたために店員の説明も分かり易かったし、品定めにまったく時間が掛からなかった。

 寿命はおおむね10年程度で、保障の期間は5年。点かなくなったら本体ごと買い換え交換という具合。

 コスト的にはどうだか判らないが、蛍光管の交換の手間や省エネの観点からならいいだろう。

 それに以前に比べて格段に安くなっている。

 何でもそうだが、新しいものが登場したら皆さんが沢山買って安くなった頃に遅れて買うに限る。

 そのことに関しては気分は良いのだが、磨き上げた後にゴミとして捨てる気分は、何とも複雑なものではある。

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言葉と比較文化

2015-06-26 09:31:00 | 本と雑誌
 2日前の除草作業がこたえて、身体のあちこちがまだ痛い。

 特に階段を降りるときの、大腿部の前方が痛いのは通常の運動とは違う足腰の使い方をしたからだろう。

 昨日から雨が降っていて、今日などは大雨になるとの予報である。

 で、晴耕雨読の雨読ばかりが続くことになった。

 
 「ことばの文化」外山滋比古・倉澤栄吉・興津要(著)2006第6刷リブリオ出版(刊)

 昭和47年だの昭和54年だのに行われた、3氏のそれぞれの講演記録が収録されたものである。

 講演なので話の内容には当時の世相が反映された部分もあるが、話の内容は普遍性のあるもので今でも新しい。

 最初の外山氏の「始めにことばありき・・・」からはじまって、「母乳語から離乳語」へ移行する三つ子の魂百までといわれる所以の話はとても面白いし、2番目の倉澤氏の「教育の現場論」も興味のある内容になっている。

 
 「さまざまな文明から」吉田光邦・山本七平・岩田慶治(著)2005第3刷リブリオ出版(刊)

 これまた昭和46/49年の講演記録なのだが、時代は違っても問題の萌芽はその当時もあって古くないどころが、今こそもう一度考える必要のある内容ばかりである。

 吉田氏の「現代文明論・・・進歩の意味」では、そもそも進歩とは何かを考察していて、ヨーロッパ文化が世界を席巻していく過程とそれに対応したアジアの国々の態度が語られる。

 山本氏の「比較文化論の試み」は日本人の独りよがりと相手の文化を理解しない態度は、自国の文化が確立されていないからだという指摘は非常に重要な意味をもっている。

 諸外国との外交交渉や近隣諸国との歴史認識のズレなど、耳に痛い話が沢山出てくる。

 40年も前の講演なのだが、まったく古くない。

 古くないどころか、今こそ真摯に語られるべき内容がずらりと網羅されている。

 「大きな活字で読みやすい本」という謳い文句のとおり確かに老眼鏡にやさしい本だった。

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不思議な花の生態

2015-06-25 09:37:14 | 日記
 ネジバナという安易な命名の代表みたいな花が咲き始めた。

 ピンクの小さな花がネジ状に巻きながら咲いている。

 

 植えたわけではないが芝の中で毎年5月頃芽を出し梅雨時に咲く。

 隅でヒッソリと咲く訳でもなく堂々と中央で芽を出し花を付けるのだが、何しろ小さいので目立たない。

 花茎が捻れているのが今風で言えば「かわいい」

 それに百日草がちょっと変わった咲き方をして驚いている。

 

 百日草は比較的咲いた花が長持ちするし、次々と交代して咲き続けるため、全体として長い期間それこそ百日くらいは楽しめる。

 しかし、花の一輪一輪の寿命がやたらと長いわけではない。

 と、思っていた。

 ところが、そろそろ終わりかけていた花の中央付近から、新たな花弁が出てきて開き始めた。

 こんな不思議な百日草は見たことがない。

 これでは中央付近の花弁がダメになるころ次にまた中央から出てくるのでは?等と面白がっている。

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菜園は雑草の天下

2015-06-24 13:52:39 | 日記
 曇りがちではあるが雨は降っていないので、久しく見ていない菜園を見に行った。

 草がボウボウで所々に野菜があるという状態になっていた。

 取り敢えず草取りから始め、次に支柱などを施してそれなりの形になるまで2~3時間掛かってしまいヘロヘロ状態。

 

 小さいのに既にナスは成りはじめていて、今日中でも収穫する必要のあるものまであった。

 

 ミニトマトは、苗を買ってきて植えたものは既に赤く色づきはじめているものもある。

 写真のミニトマトは、多分去年落ちた実から芽が出て育ったもので、全く植えた覚えの無い場所で育っている。

 この他に収穫期のジャガイモがあるのだが、通常ジャガイモの収穫は水分の少ない梅雨前に行うのがベスト。

 しかし、植え付けが遅かったので梅雨前に収穫できず思いきって梅雨明けに延ばすことにした。

 幹も葉っぱも倒れたり枯れたりしているものが多いが、多分ジャガイモ本体は大丈夫のつもりである。

 水分を飛ばさないとジャガイモは美味しくない。

 ちょっと様子見にいった菜園で思いっきり疲れてしまった。

 「夏が来る 草取る蚊来る 飽きも来る」

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シャッターチャンス

2015-06-23 09:19:09 | 日常あれこれ
 4月の下旬に天空の城で評判の竹田城に行ったのだが、城に上って天空状態を写真に写せる筈もなく、石垣と眼下の街を見下ろしてなるほどと頷いたものだった。

 

 観光パンフレットにもあったが、川と平地の対岸にある小高い山からの眺望が天空的にはベストで、霧や雲が垂れ込めてその上に城跡が見えればめでたしめでたしということなのだ。

 ただし気象条件がうまく合致する確率は限りなく低い。

 我が郷土熊本にも、雲海を求めてやまない写真家に人気のスポットがある。

 

 広大な阿蘇カルデラを見下ろす北外輪山一帯で、今も噴煙をあげてる中岳をはじめとして、五岳と呼ばれる中央火口群の山々が一望できる。

 一番東に位置する根子岳を頭にした涅槃像に見立てられた中央の五岳が、カルデラ内の雲海を布団のようにして横たわるように見えるのは、季節・天候・時間などタイミングが一致してはじめてシャッターチャンスとなるのである。

 ところが配偶者が言うには、先日某テレビ番組で竹田城を隣の山から写しに行った出演者が、城が天空状態に写るようセッティングしたカメラの前に、ドライアイスを設置して合成の雲海写真を写していたらしい。

 「なるほどね、その方法を阿蘇でやったらどうだろう」などと思ったが、手前の外輪山あってのカルデラの雲海だからかなり難しい事になりそうだ。

 それより空振りや失敗も含めて、少ないチャンスを求めて出掛けること自体に楽しさがあるのだろうと思い直した。

 
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夏至と持ち時間

2015-06-22 09:33:06 | 日記
 梅雨の最中に夏至がやって来た。

 梅雨が上がって太陽が照りつける頃は、すでに日照時間は短い方向に1ヶ月ほど進んでいるのだから不思議だ。

 

 日没後も明るい時間は長いので、時間がたっぷり有るような錯覚にとらわれる。

 

 季節に咲く菊の花も改良種などは時期に頓着せず咲き始め、そして気がついたときは萎んでいく。

 今日という一日も、そして長いと思っている人生も、何も出来ずになどと言いながら実のところは何も手を付けようとしないままに終わりが近くなる。
 
 「まだ有ると誰もが思う持ち時間」

 神のみぞ知る持ち時間だが、私達は少し多めに見積もる癖がある。

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泣きながら笑えるように・・・

2015-06-21 20:45:17 | 日記
 噴煙吟社が年に一回開催してる川柳大会に参加した。

 熊本市民会館(崇城大学市民ホール)の会場には、横須賀や沖縄からという参加者もして賑わっていた。

 その市民会館の近傍の桜町地区は再開発計画の俎上に上って久しいが、どうやら建設の槌音が響き始めたようだ。

 その交通センターと百貨店の前にある「おてもやん」の銅像も引っ越すらしい。

 

 日本に民謡は数有るが「おてもやん」ほど明るくてあっけらかんとしたものはあまりお目にかかれない。

 銅像の頭にはカンザシがあったのだが、盗られてしまい付け替えるとまた盗られるという具合で付ける方が根負けしてしまって諦めてしまったようだ。

 片足・片手を上げた仕草は、なかなか面白いポーズで熊本県民として頭を撫でてやりたいくらいだ。

 きっとかんざしも頭を撫でるついでに盗られたのかも知れない。

 いっぽう市民会館前の道路の向かい側にデンと鎮座しているのは加藤清正の銅像である。
 
 

 築城や治水、灌漑用の堀や堰など400年も前の施設が今も現役として使われ続けている。

 勇猛果敢・猪突猛進のイメージの強い清正だが、領地の開墾や治水などを通じて今なお県民に慕われている。

 作句をして提出した後、ちょっとした休憩時間に「おてもやん」と「清正公(せいしょこさん)」に面会した。

 句の方はイマイチだったが、2句だけ読み上げられた。

 課題「まだまだ」で「目標が尾根に隠れる九合目」

 自由詠として「データーにされて私が飛んでいく」

 の2句だったが、おてもやんと清正公にあやかって、硬軟併せ持つ句作りが出来たらいいなと思う。

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