INSIDE SORAMAME

私の頭の中のキオクを綴っていくつもりです・・

近い遺産(92)

2015年11月12日 |    ┣ 近い遺産
(つづき)
何にも消されていないところが潔い、

 
「京町」。


現在、堀川バスは「かんぽの宿柳川」行きのみで、

 
佐賀駅バスセンターへは西鉄バスのみが運行。

 
「1番 若津行き」も現存せず、また、佐賀行きも現在は「準急」ではありません。

  
反対側の乗り場も潔い。


瀬高行きは、現在は「急行」ではない。


西鉄柳川駅行き」が2つあるのは、「三柱神社前」に停車するか否かの違い。
左側が「三柱神社前」通過、右側が「三柱神社前」停車だが、どちらにも「1番」が出てくるところがミソと言えばミソ。

 
「おもてなし」の精神からすると、もう少しキレイであってほしいところ。
“何年からか”がなく「4月1日実施予定」とある新運賃も、既に実施されて1年半以上が経つ。


次が「三柱神社前」。
(つづく)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

近い遺産(91)

2015年10月16日 |    ┣ 近い遺産
(つづき)

世界遺産「三重津海軍所跡」は、「6番」沖新線の終点「早津江」から徒歩10分だそうです。



今から8年半前、「近い遺産」シリーズを始めた頃は、「世界遺産」には“手の届かないところにある遠い世界の話”というイメージがあって、その対極にあるものとしての「近い遺産」だった訳だが、ここ数年で「世界遺産」もずいぶん「近い遺産」化した感があり。





「6番」の起点、「西鉄柳川」。





駅がリニューアルし、観光列車「水都」も走り始め、





観光列車「水都」に合わせ、西鉄柳川と御花前を結ぶ直行バス「水都」も走り始めた。



筑後船小屋駅~西鉄柳川の「5番」廃止について触れた記事で、

“新幹線の駅と観光地を結びつけるというコンセプト自体を否定する気はないのだが、西鉄の特急電車が柳川に停車する現状では、なかなか需要が見出せない感じ。

ただ、新幹線の駅と観光地を結ぶ、ということであれば、「柳川駅まで」ではなく、御花などがある観光地としてのいわゆる「柳川」エリアまでバスを運行しなければ意味がなかった気もする…と、言ってみたところで結果論なのですが”

と書いたことがあった。

「筑後船小屋駅西鉄柳川~御花前早津江」のようなルートで多様な需要に応えることもできると思うのだが、それだと、西鉄電車の存在感が弱まってしまうので難しいでしょうか。





新しいバス乗り場完成後もしばらくは旧乗り場を使っていた堀川バスだったが、現在は新乗り場からの発車に。





旧乗り場もいずれは取り壊されるのかも。







急に力を入れはじめた西鉄の観光列車。

太宰府で「旅人(たびと)」、柳川で「水都(すいと)」と来て、次は何が来るでしょうか。





大牟田で「炭都(たんと)」、





西鉄新宮で「芳都(かぐと)」、





甘木で「甘都(すいーと)」





試験場前で「試験(てすと)」

…とかいかがでしょう。

(つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

近い遺産(90)

2015年08月21日 |    ┣ 近い遺産
(つづき)
131番」の表記が未だに残る「古賀北」。


現在では「3番」に


反対側は「方面」表示

「古賀北」というネーミングの“センス”については、過去の「ニュータウン第一」「乙犬東」「南薬院」などの記事を参照のこと。


こもの直通も健在。


ここから天神までの停留所が少なく感じられるのは、一般道路経由の系統がなく、全て途中で都市高速を通るため。


夏の雲とサンリブと古賀北。

ちなみに、先日読んだある書物によると、「薦野~原上~福間」のバス路線が開通したのは大正12年、「下山田~古賀間」の路線は昭和39年11月24日運行開始、「立花口」への乗り入れは昭和39年11月30日とのこと。
(つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

近い遺産(89)

2015年06月30日 |    ┣ 近い遺産
(つづき)
西公園」が残る「香住ヶ丘四丁目」。


西公園」は現在の「大濠公園」。
ただし、“西公園”という公園が“大濠公園”に改称された訳ではありません。

一方向運行の通称(?)「牧の鼻循環」の途中に位置し、


こっちから来て、


こっちに進んでいくバスしかないため、


「次は」「牧の鼻公園前」というのは厳密には間違い(間違ってるから訂正するべきと言いたい訳ではありません、念のため)。

こんな路線こんな路線を提案したこともありましたが、ここを逆方向に進む路線が通る日は来るでしょうか。

関係ないですが、早良区の内野七丁目地区で、柏原三丁目的な路線が検討されているという話を聞きました。
(つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

近い遺産(88)

2015年06月21日 |    ┣ 近い遺産
(つづき)
福岡市南区の「弥永団地」バス停。

  
49番」の観晴が丘行き、那珂川ハイツ行き、公民館入口行きは現存せず、

 
現在は、「49番」の博多南駅行きと、「630番」の天神山行きが停車。

  
反対側。

 
一昨年の11月以降、天神に直通する便が大きく減っている

「弥永団地」は、もともと「45番」の「狭義の終点」であった。
また、博多南駅が開業した頃には、「弥永団地~博多南駅」の区間便もあった気がする(「臨時」だったかもしれません)。


この看板の[49]の左側は、


[45]を消した跡ではないかと思われる。


交差点を越えると春日市

  
交差点を右折したところには「降車場」。
現時点で、「弥永団地」を終点とするバスはないが、このような待機スペースはぜひ残しておきたいところ(誰目線なんでしょうか(笑))。
(つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

近い遺産(87)

2015年02月17日 |    ┣ 近い遺産
(つづき)
黒マジックで消されているのは、おそらく2007年秋に廃止となった「マリノアシティ福岡」

 
ここは、福岡市博多区の「祇園町」の昭和バスとJR九州バスの乗り場。


櫛田神社への参道入口のすぐ近く。


ここに停車する昭和バスは、今となってはいと・しま号」のみ。


JR九州バスは、九大病院箱崎原田筑前蒲田久山、福丸、宮田、直方方面へ。

長らく、西鉄バスの「祇園町」とは離れた場所に位置していたが、

 
昨年11月、すぐ近くに西鉄バスの乗り場が建った。
祇園町付近の混雑緩和のため、大博通り北西行き(西鉄仕様の方角だと北)に停車していたバスのうち、明治通り経由「以外」のバスが、こっちに停車することに。


でもその後、ほんの少しだけ博多駅方面に戻っている。

 
ついでに、JR九州バスは、一つ先の「呉服町」も、昨年12月に乗り場が移動している。

 
呉服町交差点右折前の大博通りから、右折後の明治通りへ。


西鉄の乗り場、「吉田善平」の隣り。


「JR」の下には、「高速」の文字が隠れていました。
(つづく)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

近い遺産(86)

2014年09月25日 |    ┣ 近い遺産
(つづき)
浮羽支線の方向幕。


9月23日、ミリカローデン那珂川で行われた「バスの日」記念イベントの会場の一室にあったもの。


同じ部屋にはこんなものも。

幸い(?)、この手のものに対する収集欲はないので、見るだけで十分(笑)。

その他、特に「近い遺産」ではありませんが、会場の様子の一部です。









来年、子供たちは一緒に来てくれるでしょうか…。
(つづく)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

近い遺産(85)

2014年09月06日 |    ┣ 近い遺産
(つづき)
「杷木」の右に、


長い空白があって、


さらに空白があって「方面」。


ここは、うきは市の「浮羽発着所」バス停。

一つ目の空白には、「高速 福岡空港 天神 博多駅」が、
二つ目の空白には、「日田・高塚」が、それぞれ隠れており、「IIK」の低下を物語っている。


両方向に向かうバスが敷地に入ってきて、両面の乗り場に停車するパターンで、杷木、吉井営業所、甘木バスセンターなど、この付近の「ターミナル」は全て同じ構造。
この写真では、右側が杷木方面(東行き)の乗り場。


左側には、吉井、久留米方面と、


浮羽支線(妹川線、田篭線、小塩線)の乗り場(ただし、この時刻表に出てくる本宮行きと杷木行きは反対側に停車)。


ただし、お伝えしている通り、このうち妹川線と小塩線は今月末をもって廃止となる。


該当するのは下の2つ。


路線図の下に見え隠れする、手書きの「フリーバス区間」の文字。
この下には、旧タイプの路線図があり。


浮羽支線の2つがなくなると、浮羽~杷木間の“局所的高頻度運行”もなくなると思われる。

小石原線の一部を杷木から浮羽まで延ばすとか、「20番」を浮羽から杷木まで再び延長するなどして、浮羽~杷木間の本数がこれ以上減らないことを期待したいのだが、どうなるでしょうか。


なお、18歳未満でもバスに乗ることはできます。
(つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

近い遺産(84)

2014年08月09日 |    ┣ 近い遺産
(つづき)
「24番 福岡ド」が残るバス停上屋の柱。

「福岡ド」とは、「福岡ドーム」のことであり、「福岡ドーム」はその後2度改名されている。
また、「24番」という路線も現存しない。


ここは福岡市東区の「浜松町」バス停。
空港行きのモノレールはここからは運行されていない。

   
都心方面行き乗り場と、

     
郊外行き乗り場。


15番」のみが停車する「東浜」バス停にも近い。

24番」は現存しない路線だが、この黄色いシールの当時は、
土井営業所八田遊園地~八田団地~舞松原~若宮田~水谷香椎参道~御幸町~名香野名島~貝塚~箱崎浜~浜松町~千鳥橋~石堂大橋~蔵本~天神~法務局前~地行~国立医療センター(現在は九州医療センター)~医師会館ソフトリサーチパーク前~福岡タワー南口・TNC放送会館前(現在は福岡タワー・TNC放送会館前)」
というルートで運行されていた。

「24番」は日中一時間あたり4本程度運行され、結構な高頻度運行路線だったが、香椎参道踏切付近など(「24番」は参道の踏切は渡りませんでしたが)、渋滞箇所を多く通ることから、遅れが常態化していた印象がある。
そのためか、国道3号とタワー方面を結ぶ役割は、「24番」ではなく新路線「4番」(香椎浜営業所(その後、照葉小中学校前まで延長)~御幸町~天神~タワー)が担うようになった。

しかしその後、2007年春に、「4番」に「千早駅経由土井営業所」という系統ができたことにより、土井営業所とタワー方面を結ぶ便が復活、さらに2008年春には、「4番」のもともとの香椎浜営業所系統が「4-1番」に改番され、本家が分家に乗っ取られるカタチとなった。
その後、2010年秋に「4-1番」は結局廃止となり、またその前の2010年春には「24番」も廃止となっている。

結局現在の「4番」は、もともとの「24番」の経由地が一部違うだけ(多々良中学校前~名島間、「一部」といっても結構違いますが)というカタチで落ち着いており、一桁の「4番」よりも、東部地区のイメージが伝わりやすい「24番」として運行したほうがよいのではないかという気がしている。

現在の「4番」は、土井営業所と福岡タワーを結ぶ系統の割合が低くなり、「土井営業所~天神」や「千早駅~福岡タワー」という系統が増えている。
土井地区~千早駅、千早地区~天神、昭和通り~タワー方面…など、区間利用の需要に応えることが主眼となっており、香椎浜営業所と土井営業所のパワーバランスの中で現在のカタチにひとまず落ち着いている…という感もあることから、今後の状況次第では、3号線とタワーを結ぶ役割を「4番」ではなく「22番」や「23番」など他の路線が担う可能性も十分に考えられると思う。

千早駅と福岡空港を結ぶ路線がそこそこ堅調なようなので、一般道路経由とは別に、千早駅から名島ランプ~百道ランプ経由で福岡タワー行きとかどう?などとも考えるのだが、「西鉄香椎~マリノアシティ」の例もあるので、なかなか難しいでしょうか。
(つづく)
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

近い遺産(83)

2014年07月24日 |    ┣ 近い遺産
(つづき)
右上部分以外はほとんどが「白」で隠された路線図


右上部分に残るのはこれ。

ここは西鉄「筑紫」駅東口の入口付近。

「白」で隠された路線は、


駅の反対側、西口からの発車に


「筑紫駅西口」バス停。


ただし、西口から発車する路線のバリエーション及び本数は現在ここまで減ってしまっており、冒頭の画像の「白」で隠された部分にはもっと多くの情報が隠れていると思われる。

以前の記事で紹介した路線図の段階で、既に「17番」のみになっていたのだが、当初は「10番」「15番」「16番」などが存在した。
「15番」や「16番」が走っていた頃にここを訪れ、実際にこれらの路線に乗車したこともあるのだが、具体的な経路などの記憶が残っていないことが非常に悔やまれる。

路線図の「白」の部分を手で押さえてみたりもしたのだが、下に隠れている情報が透けて見えることはなかった(笑)。


現在では、この“路線”が最も栄えている。


路線図が掲示してあるほうの従来の駅の入口、「東口」の北側には、


以前も取り上げた「筑紫駅前」バス停(バス停での表記は「西鉄筑紫駅」)。


現在は山家道から浦の下、上西山に向かう「24番」のみが停車。


「浦の下」まで250円で、一つ先の「下西山」まで300円、もう一つ先の「上西山」まで350円。
運賃の上限200円とか250円で打ち止めにして、より多くの回数バスを利用してもらったほうが、収益が改善する方向に向かうのでは?と考えるのだがいかがでしょうか。

さらに言うなら、「17番」も「24番」もほぼ筑紫野市域内のみの運行なのだから(「17番」の「新津古橋」と「24番」の「山家道」以外)、2つの路線を直通運転(筑紫駅~原田駅~ニュータウン原田駅~筑紫駅~上西山、とか)にすれば、駅だけでなく、病院や商業施設等への足として、少しは利便性が高まるのでは?とも考えるのだがいかがでしょう。
(つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

近い遺産(82)

2014年05月02日 |    ┣ 近い遺産
(つづき)
福岡市東区の「九州高校前」バス停。
和白(営)」「こもの」「青柳四角」などが未だに“健在”だが、

 
実際は、深夜バス(平日1本)を除く全ての便が4つ先の「下原」で終点となる。


「深夜バスは通常運賃の2倍となります」とあるものの、深夜バスの経路の運賃は掲示されず。
でも、下原から先は、深夜バスでしか行けないのだから、「通常運賃」の概念を持ち出すことが間違いなのだという見解も成り立ちそうですが。


いずれ「九産大九州高校前」なんかに改称されるのかもしれません。

   
反対側、西鉄香椎~福岡市中心部方面行き乗り場。


こちらにも「23D」などが残る。
「23D」が運行されていた期間というのはそんなに長くはないと思うのだが、その時期に作られたものが現在まで残っていることに感謝。
ただ、こういうことをあまり書き過ぎると、更新されてしまうおそれもありますので、できるだけそっとしておいてください(笑)。


香椎バイパス(厳密には、国道3号博多バイパス)へのランプができることもあり、道路は少しずつ拡がってきているが、


この先にはまだ狭い区間もあり。


この坂道を上って線路を渡り、


坂を下ると、


香椎小学校前」。
(つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

近い遺産(81)

2014年04月22日 |    ┣ 近い遺産
(つづき)
福岡県筑紫郡那珂川町の「下中原」バス停。

やよい坂経由大橋駅、松の木経由市の瀬観晴が丘経由大橋駅、吉塚営業所上梶原…と、やや懐かしめの路線が並ぶ。


博多南駅方面行き乗り場。

62-1番」にとっては複乗区間の途中に位置しているため、


この先の博多南駅のロータリーで折り返して、再度、向かい側の「下中原」に停車した後、都心(警弥郷~老司~大橋~天神)方面と郊外(那珂川ハイツ)方面に分かれる。


これがその向かい側の「下中原」。
博多南駅を起終点とする「3番」以外は同じラインナップで、同じバスが数分後にやってくる。

この区間は、西鉄春日原~博多南駅~那珂川ハイツを結ぶ「2番」のルートにもなっているが、この道路上の「下中原」には往路・復路ともに停車しない。
博多南駅の時刻表では、「那珂川ハイツ行き」のバスとして「2番」と「62-1番」が同じ列で一緒に扱われているのだが、厳密には、「下中原」に停車するか否かという相違がある。

「かわせみ」のバス停も併設されており、


博多南駅行き乗り場、


町内各方面行き乗り場ともに、同じ数字がたくさん出てくる


話はこれだけでは終わらずに、南東約200mの別の道路上にはさらに別の「下中原」。
博多南駅を出て、西鉄春日原方面に向かう「2番」が停車する。
西鉄春日原からやってくるバスは、ルートが異なる(博多南駅のロータリーの反対側の「降車場」を経由する)ため、反対側には乗り場はない。

那珂川ハイツ~博多南駅間で「2番」が「下中原」に停車しないのは、「2番」にとっての「下中原」は、“博多南駅からみて那珂川ハイツ側”ではなく、“博多南駅からみて上白水公民館入口側”に存在するため、ということのよう。


「2番」が停車する「下中原」から東に約130m進んだところにある「中原4丁目」交差点。
階段を介して南西に向かうのが、現人橋方面につながる旧県道で、


かつての「46番」のルート


その対面側。
現在は新幹線のガードだが、その先は、下白水、坂口町を通って南福岡駅方面につながっている。
(つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

近い遺産(80)

2014年03月14日 |    ┣ 近い遺産
(つづき)
香椎拾六町でも取り上げた、路線バスが走っていない道路における「路線バスを除く」の標識。


ここは福岡県那珂川町の「井河(いごう)」交差点。

バス停としては、「井河」よりも「今立」のほうが近い。


福岡市方面と、


那珂川営業所方面。


「路線バスを除く」区間は、「井河」交差点から西に行き「丸の口」交差点までの間。


かつて、この写真の信号から先の部分、「井河」交差点から「下原」交差点までの間(約350m)が未開通の頃は、「61番」「66番」が「路線バスを除く」区間を走っており、「~今立~丸の口~浦の原~」という経路で運行されていた。

「井河」交差点~「下原」交差点間の開通後も、たしか「66番」に、免許維持路線として“現人橋経由ではない丸の口経由”の便がしばらく残っていたと思う。
(つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

近い遺産(79)

2014年03月01日 |    ┣ 近い遺産
(つづき)
福岡市中央区の「法務局前」西行きのバス停跡

 
乗り場が「法務局前」交差点の先に移転してからもずっとバスカットが残っていたが、現在、駐輪場として再整備中。

かつては、「50番」「51番」「52番」「54番」「92番」(後の「201A」「204A」)「2-1番」など、「法務局前」交差点(かつての「検察庁前」交差点)を左折する路線が多数あったことから、交差点の手前に乗り場が必要だったのだが、「法務局前」交差点を左折する路線がなくなったことに加え、近年の“大きな交差点周辺のバス停は、「交差点の手前」ではなく「交差点を越えたところ」へ”という渋滞抑制の流れもあり、


現在は交差点の少し先に移転している。


現在の乗り場にはバスカットはなし。
都心部の広い歩道を擁する道路であっても、新たにできるバス停についてはバスカットを設けないというのが最近の(福岡市の?県警の?)方針のようだ。
(つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

近い遺産(78)

2014年01月15日 |    ┣ 近い遺産
(つづき)
福岡市南区の「神田町一丁目」バス停。

“神田町”は行政上の地名としては現存しない。
旧町名がバス停名として使われているケースはたくさんあるが、「丁目」まで残っているのは結構珍しい(東通六丁目とか矢部川二丁目とか、他にもないわけではありませんが)。

ここ「神田町一丁目」は、福岡都心部の均一運賃区間の境界にあたり、いろんな印刷物等にもその名が掲載されていることから、改称すると影響が大きいから…なのかはわからないが、名前が変わる気配はない(改称したほうがいいと言いたい訳ではありません)。


都心方面。


野間四角はひとつ先。


郊外方面。
若久通り」の整備により、野間四角から自動車免許試験場へ行くにはここを通ったほうが速そうだが、試験場方面行きのバスは依然として野間大池、柳河内経由。


ひとつ先には「神田町」。


「神田町」そばの「野間2丁目」交差点を横切る道路を東に行くとすぐに「筑紫丘トンネル」。
福岡市内の幹線道路において「トンネル」は結構貴重な存在なのだが、「福大トンネル」ができてここの存在感もやや薄くなった気も。
(つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする