INSIDE SORAMAME

私の頭の中のキオクを綴っていくつもりです・・

失われた風景(12)

2010年12月31日 |   ┣ 失われた風景
(つづき)
今年10月16日のダイヤ改正で姿を消した「4-1番」。
LEDの部分が判読しづらいが、「アイランドシティ←天神←昭和通←大濠公園」という表示である。

来年も、「枝番」を巡る話題には事欠かない一年になるかもしれない。

…というわけで(?)、皆さまもどうぞよいお年をお迎えください。
今年もご愛顧ありがとうございました。
(つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

失われた風景(11)

2010年12月30日 |   ┣ 失われた風景
(つづき)
色々と物議を醸した(?)「31番」の方向幕の新調バージョン
最近見ない気がするのだが、まだ走ってますかね?(←車両のことに全く詳しくないため、そのへんのことは全くわかりません…)。
(つづく)
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

失われた風景(10)

2010年12月29日 |   ┣ 失われた風景
(つづき)
上の写真は福岡市早良区の「西新商店街前」(西行き)バス停の廃止直後の様子。
現在は、標柱自体も撤去されている。

廃止になったのは、今年3月の改正時だったと思うのだが、どうやら記事では触れていなかったようだ。

西新交差点と脇山口交差点の間の道路渋滞の激しい場所にあったのだが、道路を走るバスの本数の割に停車するバスは少なく(城南線の「西新四丁目」から明治通りの「修猷館前」に向かうもののみが停車してい…ましたっけ?)、かなり目立たない存在ではあった。

なお、向かい側の東行きの「西新商店街前」バス停は、「脇山口」の影武者として今も健在である。
ただ、「5番」が停車していた頃は独立した“バス停”の扱いだったものが、現在は、臨時(仮設)的な扱いのようであり、西鉄のサイトで検索しても「西新商店街前」というバス停はないものとされている。

下の写真は、先日役目を終えたJR九州バスの「トリアス久山」バス停。
西鉄とJR九州では、ビニールがか半透明か、という違いがあるようで…。
(つづく)
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

失われた風景(9)

2010年11月03日 |   ┣ 失われた風景
(つづき)
天神・協和ビル前」バス停でも、バステラス化の工事が進行中。

以前取り上げた、方面を示した「案内版」は、仮設のバス停にも流用され、最後の最後まで与えられた役割を全うするもようであり、なんだか涙ぐましい。
そして間もなく「失われた風景」となる。
(つづく)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

失われた風景(8)

2010年09月23日 |   ┣ 失われた風景
(つづき)
左上は、現在の古賀ローカル線のバス停掲出路線図で、その下が以前のもの。

実際の道路の形状をなるべく忠実に再現しようとする努力(?)がやや後退している(特に、千鳥駅周辺)。
また、この2時点の間で、古賀市を超えて新宮町福岡市東区まで行く線や、「青柳四角」と「宮前」を直接結ぶ線とその線上の「青柳町」「青柳町構口跡」がなくなっているのがわかる。

“バス停の路線図や、バスの車内に掲示されている路線図が遠めからしか見えず、字が読み取れないとき、位置関係や線の色のつながり方、文字数の長短などから、停留所や行先番号を推測することを無意識のうちにやってしまう”と、以前書いたことがあるが、みなさんもぜひやってみてください(←強制ではありません(笑))。
舞の里古賀駅南口古賀駅東口古賀駅市役所前サンコスモ古賀青柳熊鶴谷山米多比薦野八反田グリーンパーク古賀…、いずれもこの路線図の中にあり、旧路線図のほうには、さらに、太閤水平山西鉄香椎もある。

この地区のバスでも最近は行先表示のLED化が進んでいる。
「古賀駅東口~グリーンパーク古賀」のような「無番」がLEDになると、「番号あり」と比べてかなり味気ないものに見えてしまう…。
(つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

失われた風景(7)

2010年07月27日 |   ┣ 失われた風景
(つづき)
今年春のダイヤ改正以前の「米一丸」バス停の路線図。

「東新町」の先で、「巴町経由」と「九大前経由」に分かれた後、「警察本部前」で再び合流するというルートが描かれているが、「九大前経由」のほうは現存しない。

福岡市のバス路線は、“九大前から姪浜まで「東西」を貫いているのが当たり前だ”という感覚が個人的には染みついているのだが、現在、「九大前」を出て天神方面に向かうバスは、全て天神交差点で左折してしまい、赤坂門にすら行かなくなっている。
なお、ここでいう「東西」という概念は「相対方向感覚」によるものであり、詳しくは「古賀駅南口」の記事を参照のこと。

「九大前経由」ではないほうの便は、新たに「20番」として天神より西まで(地行経由で福岡タワー南口まで)運行されている。
この区間便として、平日朝に2本だけ「大濠公園行き」という系統があるのだが、これは「20番」ではなく「1番」として運行されている。
「大濠公園行き」に「1番」と付けた人も、おそらく私と同様に、“九大前から姪浜まで「東西」を貫いているのが当たり前だ”という感覚を持つ人なのではないかな?などと考えてしまう。
(つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

失われた風景(6)

2010年04月26日 |   ┣ 失われた風景
(つづき)
今年3月26日まで、福岡市内に夥しい本数走っていたものの、その翌日に忽然と姿を消した「西公園行き」。
いったいどこへ行ってしまったのだろうか…(?)。

ほぼ毎朝、西公園行きで通勤していたのだが、現在でも、たま~に「西公園行きです」という運転手さんの声を耳にすることがある。
それまで毎日何度も口にしていた「習慣」を変えるというのは、なかなか大変なんだろうなぁと思う。

「西公園行き」というのは、福岡地区では、「天神行き」「博多駅行き」に次いで、本数が多い行先だったのではないかと思う(数えた訳ではないので正確ではないかもしれません)。
影響する路線も多岐に渡ることになるのだが、それを一瞬にして「大濠公園行き」に変えてしまえるのは、行先表示のLED化の利点なのかもしれない。

それまでの「西公園」バス停は、「西公園」という名称が付いていながら、公園としての「西公園」、町名としての「西公園」のいずれからも離れており(市内電車の電停の名称としては適切だったのかもしれないけど)、かつ、ランドマークである「大濠公園」のそばに位置していることから、より実態に即した「大濠公園」という名称にしたということなのだろう。
「西公園」により近い、那の津通りの「荒戸二丁目」を「西公園」という名称に変えて、「61番」の福浜行きを 「福大若葉高校経由」から「西公園経由」という呼び方にしてみては?などと考えたりもする。
でもこれを今すぐにやると大混乱しそうなので、もしやるとしても少なくとも2~3年は間を空ける必要があるかも。

ちなみに、側面の行先表示LEDの下に、「おたずねはこのインターホンで」というシールとインターホンがあるのだが、このインターホンに向かって「おたずね」をしても、運転手さんから「前にお願いします」(=前ドアのところまで来て直接尋ねてくれ、の意)と言われるのがお約束というかお決まりのパターンになっている。
このインターホン、要るんですかね?
(つづく)
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

失われた風景(4)

2010年01月21日 |   ┣ 失われた風景
(つづき)
天神協和ビル前」バス停の道路側についている、このバス停から出るバスの「方面」を記した案内板。

同じ道路上の少し東側に位置する「天神新天町入口」(かつての天神岩田屋前)バス停は、先ごろ新型バスシェルター(バステラス)に置き換わったため、同種の案内板(正確には覚えていないが、「西新、姪浜、早良方面」的なことが書かれていたと思う)がなくなってしまった。
キャナルシティ博多前」の非電照式バス停同様、「いつかなくなるんだろうなぁ、でも、なかなかなくならないよなぁ…」といつも思っていたのだが、ついになくなってしまい、写真に収めなかったことを後悔している(キャナルシティ博多前の画像はちょんびんさんからいただきました。ありがとうございます!)。

「協和ビル前」のこの案内板のほうは、まだ現存しているので、先日取り上げたこれと同様「失われた風景」という訳ではないのだが、バステラス化も時間の問題っぽそうであり、「失われそうな風景」ということで、取り上げてみた次第。

「新天町入口」のものも「協和ビル前」のものも、おそらく30年以上にわたって「現役」だ(だった)と思われ、残されたこの「協和ビル前」の案内板にも、天寿を全うしてほしいものである。

なお、これより下は、ものすごくどうでもよいことなので、読み飛ばしていただいて構いません…。

「天神」地区にはたくさんのバス停があり、「乗り場番号」で区別されるとともに、「天神協和ビル前」「天神新天町入口」「天神大和証券前」など、「天神」の下に様々なコトバが付くことによっても区別されている。
ただ、「天神○○」というのが、「天神」という大きなカテゴリーの中のひとつの乗り場である場合(Aとする)と、「天神」とはまた別のバス停の場合(Bとする)がある。
「天神協和ビル前」「天神新天町入口」「天神大和証券前」などはAであり、ここではその意味で、「天神(協和ビル前)」「天神(新天町入口)」「天神(大和証券前)」と表現することにする。
天神コア前」もAなのだが、「天神コア」という建物の前にあるバス停なので、意味的には「天神(天神コア前)」となり、呼び方を厳密にすれば「天神天神コア前」ということになる。
「天神バスセンター三越前」も同様に、「天神天神バスセンター三越前」ということになる。
ただし、「天神郵便局前」は、その前にある郵便局は「天神郵便局」ではなく「福岡中央郵便局」なので、意味が「天神(郵便局前)」だと考えれば、呼称が「天神郵便局前」でも一応問題はない。
この考えを援用すると、「天神三丁目」もAなので、意味は「天神(天神三丁目)」、呼び方は「天神天神三丁目」ということになるのだが、「天神(三丁目)」だと解釈すれば「天神三丁目」という呼び方でも一応矛盾はない。
一方で「天神四丁目」はBであり、「天神(四丁目)」ではなく、意味的にも呼び方的にも「天神四丁目」で正解となる。
天神北」は、もともと「天神(ショッパーズ前)」でありAであったものが、「天神の重心を南に移そう」という「策略」(?)のもと、「天神」から外れたような名前に変わったものであり、AからBに一歩足を踏み入れたような位置付けになっているのだが、運賃などの面からみると依然Aに属すると考えられるので、意味的には「天神(北)」ということになる。
天神南」と「天神一丁目」は、もともとBとAの中間に属していた(ただし、もともとは「天神」を冠していなかった)ものが、上記「策略」によりAとなったものなので、「天神(南)」「天神(一丁目)」ということになる。

だから何?という感想は十分承知の上です…。
(つづく)
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

失われた風景(3)

2009年10月30日 |   ┣ 失われた風景
(つづき)
現存する風景なので、「失われた風景」という訳ではないのだが、都心部に丸いバス停は結構珍しいなぁ…という意味で。

このバス停は、見ての通り、バスが数珠つなぎになった際などに、先頭の車両が停車する位置を示すためのものなので、時刻表や路線図は付いていない。

なお、この写真の奥に屋根が見える通常のバス停のさらに奥には、西新交差点を右折するのに備え早めに車線変更できるよう、「9番」と「96番」専用の乗り場もある。
「9番」と「96番」用の乗り場は、もともとは「95番」が新設された際にできた乗り場であった(「95番」はもともと藤崎発着であり、この先の脇山口交差点を右折していた)。
以前は、天神地区や博多駅地区同様、西新地区にも「乗り場番号」というものがあり、「95番」が停まる乗り場には「0番」という番号が付いていた。

この右側にある校舎は外から見てもとてもキレイで、今の生徒さんたちがとても羨ましく思える。
(つづく)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

失われた風景(2)

2009年02月17日 |   ┣ 失われた風景
(つづき)
かなり久しぶりの「失われた風景」。

先日の記事「く・ふ・う(3)」に対してKassyさんよりいただいたコメントから思いついて、かつてのバス停の「手書き路線図」を思い出してエクセルで作ってみた。
子供のころは、私も手書きでこのような路線図をよく書いてたなぁ…なんて考えながら。

こんな感じだったかな…??

当時の各営業所には、おそらく路線図専用(?)の定規みたいなものがあったのではないだろうか。

なお、これはあくまで「イメージ」であり、「8-1番」と「49番」が同時期に存在したかとか、細かい点は気にしないでください。
(つづくかも)
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

失われた風景(1)

2008年06月10日 |   ┣ 失われた風景
先日の「49番」の記事に関して、Sawara-Catさんとコメントをやりとりするうち、福岡地区の西鉄バスの方向幕に、一時期「全面方面色」の幕が導入されていた頃のことをいろいろと思い出した。
今から25年前くらいに導入され、「見にくい」との評判などから、数年で新たな表示(右端に方向色+番号)に改まり、それがLED化を迎えるまでずっと続いてきた。

「全面方面色」の幕は、福岡地区のバス全部に数年間は導入されていたはずなのだが、不思議なことにこの幕を付けたバスの写真や詳しい解説などを今まで見たことがない(私が探しきれていないだけかもしれないけど)。
もしかしたら西鉄サイドでも「なかったこと」にされているのかもしれない。

私も頭の中に映像が残っているだけなのだが、この先、年齢とともに完全に忘れてしまうかもしれないため、よい機会なので、その頭の中の映像を公開してみた次第である。

郊外向けは、一番上のような感じだった(と思う)。
ちなみに「3番」は、博多駅発用と天神発用で、幕が別々に用意されていた(これは確かだと思う)。
「方面色」は現在と同じ(北から時計まわりに、黄→茶→緑→橙→青)であった(と思う)。

なお、これより前の時代には、方面色はなく、白地で左側に○数字で番号(「1番」「20番」など路面電車の代替はオレンジ色の丸、「69番」など筑肥線の代替は紺色の丸など、若干のバリエーションはあった)、その右に経由地、行先の順で表示していた。
さらにその前は経由地と行先の間に「経由」の文字が入っていた(「経」には糸へんなし)。
このころの写真はサイトを探せば見ることができる。

都心向けは真ん中のような感じで、バックは白ではなくグレーだった(と思う)。
さらに前の、導入開始当初は一番下のような感じで、経由地と行先の間に、なぜか下まで届かない線が一本入っていた(と思う)。
そして経由地の文字も小さく、当時は今ほど方向幕のスペースも大きくなかったので、決して見やすいとは言えなかった。

間違いも多いと思われるので、この頃のことを覚えている方、この頃の写真が載っているサイトを知っている方、よかったら情報をいただけたら幸いです。
(つづくかも)
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする