INSIDE SORAMAME

私の頭の中のキオクを綴っていくつもりです・・

近い遺産(107)

2024年04月24日 |    ┣ 近い遺産

(つづき)
「香椎浜海岸通り」。


バス停の周囲を見渡しても、


海岸はありませんが、


過去には確かに“海岸通り”でした。
試験場前」は「聖マリア病院前」、「九大前」は「箱崎三丁目」となりましたが、ここはいつまで「香椎浜海岸通り」であり続けることができるでしょうか。


運輸支局経由」「南公園経由」と区別するため、バスの行先表示の経由地として「海岸通」が大々的に使用され、そこそこ定着もしているので、このままそっとしておいたほうがよいのかもしれませんが。
ただ、この行先表示は、「海岸通」の位置にかなりの違和感あり(個人の感想です。実際のルートは、海岸通→総合体育館→こども病院→アイランドシティ照葉。違和感のある表示は今に始まったことではないのですが)。

行先表示が方向幕からLEDに変わるに際し、「香椎浜海岸通」は「海岸通」、また、「油山観光道路」も「観光道路」という表記に変わった。
過去の記事で、

“LEDは幕に比べて表示できる字数が少ないため、いろんな省略がみられる。
22番などは「香椎浜海岸通」を「海岸通」と表示し、13番などは「油山観光道路」を「観光道路」と表示している…などがその例である。
利用者にとってみれば、たとえ「香椎浜海岸通」や「油山観光道路」が具体的にどこなのかはわからなくても、行先表示に「香椎浜」や「油山」という文字が入っていることで、だいたいの「方面」がわかるという効果があったと思う。
それが、「海岸通」や「観光道路」という表現になると、その効果はあまり期待できず、「いつも利用する人」にしかわからなくなってしまったと言えるのではないだろうか”

と書いたことがありましたが、現在の「22N」の表示に「香椎浜海岸通」の文字を入れると、さらにゴチャゴチャになってしまいそうなのは事実。


郊外方面。
下原行きと土井営業所行きが目を惹きます(土井営業所行きは「24N」の名残り)。
都市高速経由のバスが走り始めてすぐの頃は、香椎浜営業所から運輸支局(当時は陸運支局)、海岸通りを経由して、香椎浜ランプから都市高速に乗る、というルートだったので、こちらに天神行きが停車していました。


都心方面。
こちらからも土井営業所に行けます
ここから千早駅行きのバスが朝に多く運行される日がやってくるか、もしやってきたらその日は西鉄バスの大きな転換点と言えると思います。
(つづく)

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近い遺産(106)

2022年11月27日 |    ┣ 近い遺産

(つづき)
福岡市に住む70代以上の人は、渡辺通一丁目のことを「一丁目」と言いがち。
あと、西鉄天神大牟田線を「急行電車」、昭和通りを「50メーター道路」、福岡(天神)駅のコンコースを「サテライト」、博多ポートタワーを「博多パラダイス」とも言いがち

時代は変わっても、時刻表の中にいまだに生き続ける遺産たち。

この記事この記事この記事この記事この記事などでもかつて取り上げました。


「城内」は、現在の「福岡市美術館東口」。
「城内」と「福岡市美術館東口」の間に「城内美術館東口」という名称だった時代もあり、また、もともとの「美術館東口」は現在の「福岡城・NHK放送センター入口」。
「城内」という名のバス停は現存しないが、私の中では未だに「13番」は“城内経由”。

  
福浜と西新が唐人町三丁目経由でつながっていたのは平成の初期


青柳と平山をつなぐ路線がなくなってから既に13年半
「往復共通」と「上下共用」、表現の違いは、バス停設置時期の違いを反映。


「西山」は、南金武の1つ先にあった、「2番」「97番」のかつての「狭義の終点」。


市に昇格してから既に25年が経過。
「新町」は「古賀新町」のこと。


羽根戸」は、もともと「2番」の「狭義の終点」だったものが、田村大橋の開通により四箇田団地行きの経由地となった。
現在は四箇田団地とはつながっていない。


「土井三つ角」は現在の「土井四丁目」。
三差路から四差路になってからも、ずっと「三つ角」を名乗っていました
(つづく)

コメント (1)
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近い遺産(105)

2021年11月14日 |    ┣ 近い遺産

(つづき)

令和に遺る原町団地線。

古賀駅~花見~原町団地は「134番」だったでしょうか。

原町団地は、もともとは新日鉄八幡製鉄所の社宅として高度成長期に造成された住宅団地。

もう1経路、古賀団地、東医療センター経由の便は、136番」→「4番」と番号を変え、また、終点も原町団地(牟田)から舞の里に変え、2017年春まで存続しました。

 

原町団地への西鉄バス乗り入れについては、

 

“地元からの原町団地へのバス乗り入れ要望を当初は断っていた西鉄が、同じく要望を受けたJR九州バスが団地乗り入れを開始した(福間駅~粟島神社の循環)のを受けて慌てて乗り入れを始めたものの、JR九州バスよりも先に早々に撤退したという、ある意味、曰く付きの歴史を持つ路線”

 

過去の記事で書きました。

 

東花見から古賀北中方向は、一時期運行されていた23番」千鳥パークタウン行きの名残りでしょうか。

 

 

時代は変わっても、時刻表の中にいまだに生き続ける遺産たち。

この記事この記事この記事この記事などでもかつて取り上げました。

 

宇美と二日市がつながっていたのもひと昔前。

 

野方天満宮、壱岐中と下山門を結んでいたのは、福岡市西区が3分割された日から走り始めた「97番」

 

干隈一丁目から早良方面には現在行けません。

というか、バスの本数的にはほぼどこにも行けません。

 

宮竹小学校西、井尻駅北は2016年に新設された比較的新しいバス停だが、昇町に行く路線が停車したことはこれまでなし。

この付近から郊外といえば昇町や那珂川方面だ!”という固定観念(?)を持つ人が名付けたからなのか、それとも、「46-1」はもともと昇町方面に行く路線として構想されていたのか。

(つづく)

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近い遺産(104)

2020年08月09日 |    ┣ 近い遺産

(つづき)

「西入部」は、「3」のかつての「狭義の終点」のひとつ。

なお現在は、室見川の対岸に「西入部五丁目」のバス停があり。

 

バス停の名称は変わっても、時刻表の中にいまだに生き続ける遺産たち。

この記事この記事この記事などでもかつて取り上げました。

 

国民宿舎」も、「3番」のかつての「狭義の終点」。

現在は、五十川一丁目バス停近くの民間企業によって運営されています。

 

「佐賀橋」は、「62」のかつての「狭義の終点」で、現在はダムの底。

 

「警察入口」は「宇美町役場入口」に

早見口と四王寺坂は、今はつながっていません。

 

佐谷経由と新原経由があって新原経由のほうがちょっと優勢、という時代の印象が個人的には強い「36」だが、もともとは「佐谷」がメインだったもよう。

現在は、「36番」は佐谷には行きません。

 

パナソニック前と「東光寺」をつないでいたのは「63」でした。

 

西高下」は、現在の「講倫館高校前」。

“西高”は西福岡高校のことで、校名変更により、バス停は「下」から「前」に。

「新宮駅前」から「福工大前駅入口」という変化もあり。

 

「みどりが丘」「緑ケ丘」「みどりが丘団」「みどりが丘団口」「緑ケ丘団地口」…。

ダイバーシティとはこういうことです。

(つづく)

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近い遺産(103)

2020年06月27日 |    ┣ 近い遺産

(つづき)

「的場一丁目」。

 

かつての「博多温泉」。

 

斜めに入った突き当たりが、かつての奥博多温泉センター。

 

福岡市の都市計画図より

周囲は容積率200%なのに、この付近だけ、商業地並みの400%に指定されていることにもその名残が。

 

バスが通り始めてから現在に至るまで、「49番」以外のルートになったことがない場所(おそらく)。

 

    

都心方面と、

 

  

郊外方面。

 

49番」については、「弥永団地」の記事や、40番台全般についての解説の記事なども参照のこと。

(つづく)

 

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近い遺産(102)

2019年10月12日 |    ┣ 近い遺産

(つづき)

フェンス越しに「米山町」と「箱崎駅北口」。

「米山町」は現在の「箱崎駅西口」

箱崎駅北口」は、短命で姿を消したバス停で、西鉄にも同名のバス停が存在した。

 

ここはJR九州バス「山の神」の車庫。

伊野皇大神宮への入口。

キャッチフレーズは「九州の伊勢」、ラフォーレ原宿小倉みたいな感じ。

 

この先は犬鳴峠。

21世紀に入って20年が経とうかというこの時代まで、一般道路経由で博多と直方を結ぶ路線が残っていることには敬意しかない。

ただ、支線である「宮田~飯塚」と「福丸~福間」は先月末でついに廃止となり、本線の枝線であった篠栗駅東久原トリアス久山、支線の枝線であった八並公民館原町団地なども、それより前に段階的に廃止となっている。

「博多~直方」はいつまで走り続けるでしょうか。

「宮田~飯塚」と「福丸~福間」は、廃止後も宮若市等のコミュニティバスが自治体の境を越えて運行しているので、JR九州バスの犬鳴峠越えがもし廃止になっても(不吉なことを言ってすみません)、コミュニティバスが「福丸~トリアス久山」を運行…みたいなことになれば、それはそれで面白いかもしれないのですが(ついでに「コガバス」と「マリンクス」もトリアスまでやってきていただけたら尚更)。

   

直方方面の乗り場と、

    

博多方面の乗り場と、

猪野への旧道。

(つづく)

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近い遺産(101)

2017年07月07日 |    ┣ 近い遺産

(つづき)
逆光の中の公民館入口観晴が丘は現存しない行先。


「泉」、一文字バス停の潔さ


縦読みすると「白水」。


ラインナップは「弥永団地」と同じ。


反対側。


弥永団地と反対の隣りのバス停は「下泉」ではなく「下白水」。


「路線バスを除く」の標識は、かつて路線バスが走っていたことの証拠になるのだが、ここは現在も路線バスのルート。


やよい」は「白水3丁目」…ではなくて「泉3丁目」。
(つづく)

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近い遺産(100)

2017年04月14日 |    ┣ 近い遺産

(つづき)
「近い遺産」シリーズ、ついに3桁に到達です。

ちなみに1回目は、今から10年前、「香椎」バス停に残る「福岡空港」と「動物園」について取り上げていました。

“「近い遺産」シリーズを始めた頃は、「世界遺産」には「手の届かないところにある遠い世界の話」というイメージがあって、その対極にあるものとしての「近い遺産」だった訳だが、ここ数年で「世界遺産」もずいぶん「近い遺産」化した感があり”

と、1年半前の記事で書いたのだが、「世界遺産」の「近い遺産」化は、そこからさらに進んでいる。

冒頭の画像、「昭和橋」のバス停に出てくる行先のうち、左端の「杷木」以外は、現在はどこにも行くことができない。


裏面には書き加えがあるが、書き加えられた3つの行先のうち、「本宮」と「笹尾」に行くバスは今はない。

 
現存するのは神杉野行き(コミュニティセンター前行き)のみだが、


路線図(というか系統図)には、廃止となった路線がまだ残る。

  
バスが進む方向にあるのが筑後川に架かる昭和橋。


福岡市にも久留米市にも直通ではつながっていない、一日たった数本だけのバス停だが、「ひるパス」などの境界バス停として、「城山峠」「高六」とともに、そのステータスは意外に高い(?)。
ということは、ここを通る路線の「バス路線ネットワークへの寄与度」の高さを表している、ということもできる。

  
反対側。
「にしてつグループ」の下には「両筑交通」の文字がうっすらと。

 
「杷木」にしか行けず“no alternative”だが、


なぜか、「杷木~日田線(一般道経由)」の時刻表も掲示。
このバス停に停まる気がしないのだが、私の認識が間違っているのでしょうか。


こちらは「杷木~日田線(一般道経由)」の「杷木」の時刻表(一番右)だが、


どうやら間もなく減便となるもよう。


現在「昭和橋」にやってくるのはこのバス。


(つづく)

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近い遺産(99)

2017年02月27日 |    ┣ 近い遺産
(つづき)
今回は、私的な近い遺産。

2002年6月に私的にまとめた、福岡地区の路線再編案が出てきた。
春のダイヤ改正も近そうなので、今回その一部を掲載してみる。
今から15年前の状態を前提として、そこからどうすべきか?という話なので、2017年の今から見るとなんだかよくわからないかもしれませんが。

( )内の数字が行先番号です。
----------

(1)
・月見町系統を箱崎駅経由に統一
・姪浜駅南口~博多駅系統 を(4)とし、経路変更(下記)
・姪浜以南の行先番号整理(下記)。 また、(無番)野方~羽根戸~乙石 新設

(1-2)
・(83)に変更(下記)

(2)
・室住系統、羽根戸系統、田隈系統を全便藤崎止めに
 室住系統を(8-1)に、羽根戸系統を(2-5)、田隈系統を(2-2)に改番
・次郎丸経由四箇田系統を全便藤崎または医療センター発着に
・次郎丸経由金武営系統を全便博多駅発着に
・羽根戸経由を金武営発着に(~旧道~吉武~金武小西口(新)~建野~金武営) 。また、乙石系統を廃止。

(3)
・野芥~田村団地~四箇田間 廃止

(4)新設
・姪浜駅南口~明治通~天神~日赤~大橋駅

(7)
・むろみ団地(原北中)ループ新設 (→室見3→南庄→原北中→小田部2→南庄→室見3→)
・警固~天神間 を赤坂門経由に変更

(8-1)(8-2)(8-3)新設
・現(2)の室住系統→(8-1)、 現(8)→(8-3)、
現(8)のむろみ団地非経由→(8-2)(朝夕 室住~小田部~南庄~室見駅~藤崎~西新~タワー南口 で運行)
また、全便藤崎ターミナルに乗り入れ

(12)
・~梅光園口(上下とも)~六本松2~大濠~鳥飼2(新道)~大濠2(新道)~唐人町~明治通~ 経由に変更

(11)(13)(16)(17)(18)(19)等
・上りを「六本松2丁目」に停車し(12)からの乗換の利便確保。

(14)
・吉塚営~天神~六本松~茶山~福大病院~片江/早良

(15)
・タワー南口~天神~六本松~茶山~干隈1~西油山ハイツ
・現行の(15)は廃止

(17)
・扇町系統廃止

(21)
・貝塚駅経由で運行

(22M)新設
・下原~香椎~海岸通り~名島RP~百道RP~タワー南口

(25)
・中央ふ頭発着に変更

(26)
・石城町・貝塚駅経由で運行 ・緑ヶ浜発着に変更

(42)
・(11)(12)として運行(下記)

(40)
・西公園発着を 明治通~(荒戸交差点)~港銀座通り~給油センター~福浜2~医療センター に変更

(48)
・経路変更
 大橋駅~南消防署(新)~塩原橋~沖学園~扇町~山王~博多駅(上り・筑紫口~交通C/下り・郵便局前)~福高~ゆめタウン
・レーク野多目~大橋駅間を(1)(3)として運行(下記)

(49)
・那の川以北を廃止
・存続区間は(15)(16)として運行(下記)

(54)経路変更
・(下記(503)と連続運行~)天神~那の川~小笹~田島1(新)~田島2(新)~別府6~昭代~藤崎

(61)
・那珂川系統を全便福浜発着に
・片江・福大病院系統を(60)とし、全便博多ふ頭発着に
・ガンセンター系統を(65)とし、全便月見町発着(九大前経由)に

(62)
・行先番号整理(下記)

(66)(67)
・朝夕にきよみ通り経由便(66-1)(67-1)を新設 (~清水町~ノンストップ~山王1~各停~筑紫口)

(67-1)(68)
・廃止

(69)
・小笹~藤崎間を廃止

(91)新設
・(無番)福大病院~四箇田線を一部変更
・~建石~四箇田団地東(新)~四箇田公民館~四箇田団地経由に
・西端を金武営、東端を片江~油山~柏原~免許試験場~長住6まで延長

(94)
・西新~医療センター~タワー南口間延長

(96)
・西新~藤崎間を廃止し、~西新4~医療センター~タワー南口で運行

(97)(98)
・それぞれ(86)(89)に変更(下記)

(151)(152)
・全便タワー南口発着に

(161)
・全便博多ふ頭発着に

※上り 渡辺通1以北で、行先番号と行先の完全対応を図る

(202)(203)
・廃止

(501)
・朝夕に田隈新町経由新設(~外環室見橋~昭和新町(外環)~次郎丸中北口(新)~田隈新町~四箇田)
・朝のみ金武営発を新設

(503)新設
・(藤崎~ この間(8-1)(8-2))室住~美室~橋本西~都市高速~天神(~那の川~藤崎 この間(54))

(35)
・(39B)を改番

(37)(41)(73)
・博多駅~住吉~薬院駅~赤坂門~長浜(鮮魚市場)間 延長

(139)
・天神(都市高速)上宇美線 に行先番号付与

(600)
・天神コア→警固神社→警固町→六本松→別府橋→城南区役所北口→別府2→別府橋→六本松→警固町→法務局前→舞鶴1丁目→天神3止/天神コア→ (記載停留所のみ停車)

姪浜地区 行先番号変更
(1)医療センター~駅南口~新室見~橋本~野方~三陽高校 →(81)
(1)駅南口~新室見~橋本~野方~壱岐ヶ丘~金武 →(82)
(1-2)駅南口~新室見~福重~宮の前~ウエストヒルズ方面 →(83)
(1)医療センター~駅南口~新室見~拾六町~野方 →(84)
(1)駅南口~都橋~外環状~野方~生松台方面 →(85)
(97)駅南口~都橋~下山門~拾六町~野方 →(86)
(98)駅北口~マリナタウン方面 →(89)

早良・脇山地区 行先番号・経路変更
 博多駅~明治通~天神~西新~飯倉~野芥~早良営~早良平尾~脇山小~早良高校→(3)
 博多駅~明治通~天神~西新~飯倉~野芥~早良営~早良平尾~陽光台→(3)
 博多駅~明治通~天神~西新~飯倉~野芥~早良営~さわら台団地→(3)
 天神~西新~飯倉~野芥~西油山ハイツ→(3)
 藤崎~脇山口~飯倉~野芥~早寿園~四箇田団地→(93)
 タワー南口~脇山口~飯倉~星の原団地~原往還~荒江四角~脇山口~タワー南口 →(97)(98)新設
 タワー南口~脇山口~飯倉~野芥~早良営~さわら台団地→(99)
 西新~飯倉~野芥~早良営~早良平尾~脇山小~椎原→(31)
 西新~飯倉~野芥~早良営~早良平尾~陽光台~曲渕→(32)
 早良営~早良平尾~陽光台~神の原~脇山小→(36)
 早良営~早良平尾~野田~早良高校→(37)
 早良営~西入部→(38)

大橋・白水地区 行先番号・経路変更
 九大前~県庁~天神~日赤~大橋駅~老司~片縄~那珂川営 →(62)
 博多ふ頭~博多駅~清水2~大橋駅~老司~片縄~那珂川営 →(47)
 皿山方面~清水町~大橋駅~ガンセンター~レーク野多目 →(1)
 長住方面~清水町~大橋駅~老司~老司団地 →(2)
 大橋駅~老司~老司団地~今立~博多南駅~大土居~春日原駅 →(2)
 若久方面~清水町~大橋駅~ガンセンター~レーク野多目 →(3)
 板付7~大橋駅~東若久 →(5)
 那の川(筑肥新道→百年橋通 ループ。以下同)~大橋駅~老司~警弥郷~博多南駅~那珂川営 →(6)
 大橋駅~老司~今光橋~博多南駅~那珂川ハイツ →(7)
 春日原駅~大土居~那珂川ハイツ・上梶原 →(8)
 博多南駅~市ノ瀬 →(9)
 那の川~大橋駅~井尻~昇町~博多南駅 →(11)
 大橋駅~井尻~昇町~平野ハイツ →(12)
 那の川~大橋駅~曰佐~弥永団地~博多南駅 →(15)
 大橋駅~曰佐~弥永団地~観晴ヶ丘~博多南駅 →(16)
 那珂川営~佐賀橋(~板屋) →(無番)
 那珂川営~西畑~大山 →(無番)
 大橋駅(直行)空港国際線・国内線 新設


----------

なんでこんな文書をまとめたのかも、今となっては何も思い出せないのだが、自分で作ったものながらそれなりに興味深い。

「12番」のルート変更や「600番」というのは、3年後の地下鉄七隈線開業に備え、何らかの手を打っとくべきでは?という意味合いだったもよう。
ちなみに「600」という数字は、かつての「60番」の変形速達版という意図がありそう。

14番」を福大病院経由と干隈一丁目経由で番号を分けよ、と書いてますが、今となっては「14番」自体が風前の灯となってしまい、分割の余地すらありません。

「8番」の藤崎ターミナル乗り入れ、南消防署前の道路経由きよみ通り経由の路線、「94番」のタワー延長などは、現実となっています。

“上り 渡辺通1以北で、行先番号と行先の完全対応を図る”と書いているように、郊外から天神に来てその先まで行く路線について、行先番号をどうにかすべきでは?という問題意識はこの時から抱いていたもよう。

室住団地からの都市高速路線「503番」は、別のルートで実現しています。

那珂川方面からの路線の都心乗り入れ抑制、というのも別の形で実現しているが、那の川でのループ折り返しを想定していたのは、郊外部から区役所病院などへの利便性低下を懸念していたもよう。

姪浜駅から郊外に行くものがほとんど「1番」、大橋駅から郊外に行くものがほとんど「62番」、という状況を改善すべき、ということを当時思っていて、それはその後とりあえず改善されていますが、一方で、早良地区がほとんど「3番」なのは、2017年の現在も変わらず。

博多駅~薬院大通~赤坂門~長浜地区」とか「大橋駅~福岡空港」は、15年前から言ってたんですね(笑)。
(つづく)
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近い遺産(98)

2016年11月19日 |    ┣ 近い遺産
(つづき)
年代物の「西鉄バス路線案内図」


設置されているのは「志免」。


路線図によると、「志免」は「32番」「34番」「37番」「35番」「38番」「39番」の「広義の終点」となっていて、ほかに「33番」のルートにもなっているが、現在は「志免」を終点とする路線はない。


現在のラインナップは「5番」「32番」「33番」「34番」「37番」「370番」で、このうち「33番」と「37番」は、路線図の当時と現在では別の路線である。


英単語(?)みたいな“SHIME”。


反対側、都心方向の乗り場は旧電話局の前に。


こんな掲示も。
電話局が町の中心施設であった時代が確かにありました。


英単語(?)みたいな“SHIME”。


「32番」「33番」「34番」は、行先や経由地の重複や矛盾を抱えている部分があり、行先番号の“線引き”を考え出すとなかなか考えがまとまらない路線たちなのだが、それに対して「37番」は、四王寺坂と博多駅を結ぶ1系統だけと潔く、それでいてそれなりに健闘している印象があり。
(つづく)
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近い遺産(97)

2016年11月03日 |    ┣ 近い遺産
(つづく)
「旧三瀬街道と金武宿の周辺」。

地図に出てくるバス停のうち、「西部運動公園中央口」「農協前」「金武小学校前」「中原池」「乙石」及び、新道上の「飯盛」は存在せず、また、旧道上の「飯盛」も改称されていて、路線の変遷を物語る


旧金武宿、つい最近までバスが通っていた道路。


三瀬街道の一部。


左に入る道路が旧道。


南側の入口付近。


少し南の新道上に「南金武」。


都心方面の乗り場、ラインナップは「かなたけの里公園入口」と同じ。


かつては西鉄バス「2番」の「広義の終点」で、屋根付きの車庫がありました。
同じく「2番」の「狭義の終点」だった「羽根戸」は、裏道に入った川沿いの小さなスペースで折り返しを行っていて、「南金武」とともに子供の頃は自転車でよく見に行っていた。


反対方向、全て金武営業所行き。


遠くに福岡タワーも見えます。


少し右に目を移すと、「入部幼稚園前」方向。


ちなみにこのバスは、一日一本だけの「四箇田団地→四箇田団地入口→南金武→金武営業所」


南に進み、左に行くと室見が丘方面、中央は室見が丘よりも30年ほど前に造成された福岡ハイタウン、右奥はかつて「2番」や「97番」が走っていた西山方面。


「金武」か「南金武」のバス停名を「金武宿」に変えたら?ということをたまに考える。

既存の何気ないバス停名も、歴史的背景を踏まえるとか、自治体名を入れたりして一工夫することで、「物語性」を帯びたり、間接的な地域振興につながったりする可能性を秘めていると思う。
「前」とか「入口」などを付けて冗長になってしまわないよう、簡潔な名前にする必要はあると思いますが。

赤間支所前」は「赤間宿」、「水城」は「水城跡」、「名島運動公園前」は「名島城」、「柳橋」は「柳橋連合市場」、「港一丁目」は「長浜ラーメン」、「高速青柳」は「高速古賀青柳」、「高速立花山」は「高速新宮立花山」…みたいな感じで。

でも「原往還」と言われても、特に「物語性」を感じることなく普通に受け入れているので、実際の効果は保証しかねます(笑)。
(つづく)
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近い遺産(96)

2016年09月05日 |    ┣ 近い遺産
(つづき)
バスナビの“当バス停”は、「香椎台三丁目 パークシティ第一方向」。

「パークシティ第一」は、現在の「青葉五丁目第一」(でしたっけ)。


「香椎台三丁目」。
ここもかつては「サニータウン第二」。

「サニータウン」「パークシティ」のように、開発当時の住宅団地名がバス停の名称から消えてしまったところもあれば、「ネオポリス」「森林都市」「那珂川ハイツ」「さわら台」「八幡東ニュータウン」のように健在のところもある。


もともとは「狭義の終点」だったバス停だが、現在は、みどりが丘団地入口を経由して、トリアス猪野久山篠栗駅まで行けるようになっている


反対側、都心方面。
「23番」から分割され「27番」ができ、都市高速経由の「27B」が開設された当初は、「27B」よりも「27番」のほうが本数が多かった。
(つづく)
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近い遺産(95)

2016年06月04日 |    ┣ 近い遺産
(つづき)
「多々良・篠栗・須恵・宇美方面」とあるものの、


2011年4月以降、ここから多々良には行けず。


「千代一丁目」。
かつての「千代文化スポーツセンターパピオ前」、6文字しか表示できない車内のデジタル表示の運賃表では「文化センター」でした。


反対側。


行先番号が行先番号の役割を果たしていない見本。


市内電車の面影。

6月ですが、「連接バス」運行開始はいつなのでしょう。
あと「橋本駅循環ミニバス」は、試行期間延長とのこと。
(つづく)
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近い遺産(94)

2016年05月26日 |    ┣ 近い遺産
(つづき)
“【当バス停】寿町二丁目”のあとに“春日原、大和町方向”の文字。


当バス停、「寿町二丁目」だが、


ここから「大和町(一丁目)」に行く路線はあっても、「春日原」に行く路線は現存せず。


現在は、このラインナップ+「46番」と「46-1番」が停車するのみ。


ちなみに路線図は、「46-1番」を上書きして作ったと思われ、「46-1番」がすごく遠回りに見える。


「一つの名称のバス停に、2つ以上の乗り場がある」というケースが通常なので、管理上(?)は、バス停名のあとに、「○○方面」とか「○○方向」などという言葉を付けて、どちら向きの乗り場なのか、ということが示されている。
ただ、それが「春日原方面」のように、実態を反映していない場合があって、趣味的観点でみるとなかなか面白い。


新宮急行」の前身「230番」の名残。
ここでの「新宮駅」は、新宮中央駅ではなく旧筑前新宮(現在の福工大前)駅。


現在運行中の「美和台循環バス」の前身「美和台コミュニティバス」の名残。


先日の記事関連。


74番猪野行きの名残。


羽根戸経由の「2番」の名残。


旧「50番」→「41-1番」の名残。


これとか、


これとかも、とても興味深い。
(つづく)
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近い遺産(93)

2016年02月17日 |    ┣ 近い遺産
(つづき)
物理的に路線バスは通れても、この道路を通る路線バスは現存せず。


「今宿青木」の交差点。
国道202号のバイパスができる前は、交通の要衝としてそこそこの位置を占めていて、私の好きな交差点の一つ。

かつて昭和バスが走っていたのは交差点から東方向で、


南北方向には、現在「なぎさ号」が走る。


上ノ原方面と、


今宿駅方面。


すぐ北側を国道のバイパスが横切る(高架は西九州道)。


こちらは「バイパス青木」。
ジャイアント馬場とかマギー司郎のように“カタカナ+漢字”なのが幼い頃からなんか気になっていた。


バイパス上の西鉄のバス停は「バイパス青木」ではなく「下青木」(もともとは昭和バスのバス停)。


郊外行き乗り場。


九大総合グランド行きのみだが、内訳は、博多駅から来たものと六本松のほうから来たものがあり。

鉄道料金(筑肥線+地下鉄)があまり安くないことを考えると、バスの出番はもっとありそう
ただ、東部地区と違い、天神と博多駅が鉄道で一直線で結ばれているのが、バスにとっては脅威。


都心方面行き乗り場。


全て博多駅行きで、こちらは天神から六本松方面に向かうものはなし。


福重ランプから都市高速に乗ると案内されているが、


厳密には石丸ランプから。
(つづく)
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