INSIDE SORAMAME

私の頭の中のキオクを綴っていくつもりです・・

近い遺産(99)

2017年02月27日 |    ┣ 近い遺産
(つづき)
今回は、私的な近い遺産。

2002年6月に私的にまとめた、福岡地区の路線再編案が出てきた。
春のダイヤ改正も近そうなので、今回その一部を掲載してみる。
今から15年前の状態を前提として、そこからどうすべきか?という話なので、2017年の今から見るとなんだかよくわからないかもしれませんが。

( )内の数字が行先番号です。
----------

(1)
・月見町系統を箱崎駅経由に統一
・姪浜駅南口~博多駅系統 を(4)とし、経路変更(下記)
・姪浜以南の行先番号整理(下記)。 また、(無番)野方~羽根戸~乙石 新設

(1-2)
・(83)に変更(下記)

(2)
・室住系統、羽根戸系統、田隈系統を全便藤崎止めに
 室住系統を(8-1)に、羽根戸系統を(2-5)、田隈系統を(2-2)に改番
・次郎丸経由四箇田系統を全便藤崎または医療センター発着に
・次郎丸経由金武営系統を全便博多駅発着に
・羽根戸経由を金武営発着に(~旧道~吉武~金武小西口(新)~建野~金武営) 。また、乙石系統を廃止。

(3)
・野芥~田村団地~四箇田間 廃止

(4)新設
・姪浜駅南口~明治通~天神~日赤~大橋駅

(7)
・むろみ団地(原北中)ループ新設 (→室見3→南庄→原北中→小田部2→南庄→室見3→)
・警固~天神間 を赤坂門経由に変更

(8-1)(8-2)(8-3)新設
・現(2)の室住系統→(8-1)、 現(8)→(8-3)、
現(8)のむろみ団地非経由→(8-2)(朝夕 室住~小田部~南庄~室見駅~藤崎~西新~タワー南口 で運行)
また、全便藤崎ターミナルに乗り入れ

(12)
・~梅光園口(上下とも)~六本松2~大濠~鳥飼2(新道)~大濠2(新道)~唐人町~明治通~ 経由に変更

(11)(13)(16)(17)(18)(19)等
・上りを「六本松2丁目」に停車し(12)からの乗換の利便確保。

(14)
・吉塚営~天神~六本松~茶山~福大病院~片江/早良

(15)
・タワー南口~天神~六本松~茶山~干隈1~西油山ハイツ
・現行の(15)は廃止

(17)
・扇町系統廃止

(21)
・貝塚駅経由で運行

(22M)新設
・下原~香椎~海岸通り~名島RP~百道RP~タワー南口

(25)
・中央ふ頭発着に変更

(26)
・石城町・貝塚駅経由で運行 ・緑ヶ浜発着に変更

(42)
・(11)(12)として運行(下記)

(40)
・西公園発着を 明治通~(荒戸交差点)~港銀座通り~給油センター~福浜2~医療センター に変更

(48)
・経路変更
 大橋駅~南消防署(新)~塩原橋~沖学園~扇町~山王~博多駅(上り・筑紫口~交通C/下り・郵便局前)~福高~ゆめタウン
・レーク野多目~大橋駅間を(1)(3)として運行(下記)

(49)
・那の川以北を廃止
・存続区間は(15)(16)として運行(下記)

(54)経路変更
・(下記(503)と連続運行~)天神~那の川~小笹~田島1(新)~田島2(新)~別府6~昭代~藤崎

(61)
・那珂川系統を全便福浜発着に
・片江・福大病院系統を(60)とし、全便博多ふ頭発着に
・ガンセンター系統を(65)とし、全便月見町発着(九大前経由)に

(62)
・行先番号整理(下記)

(66)(67)
・朝夕にきよみ通り経由便(66-1)(67-1)を新設 (~清水町~ノンストップ~山王1~各停~筑紫口)

(67-1)(68)
・廃止

(69)
・小笹~藤崎間を廃止

(91)新設
・(無番)福大病院~四箇田線を一部変更
・~建石~四箇田団地東(新)~四箇田公民館~四箇田団地経由に
・西端を金武営、東端を片江~油山~柏原~免許試験場~長住6まで延長

(94)
・西新~医療センター~タワー南口間延長

(96)
・西新~藤崎間を廃止し、~西新4~医療センター~タワー南口で運行

(97)(98)
・それぞれ(86)(89)に変更(下記)

(151)(152)
・全便タワー南口発着に

(161)
・全便博多ふ頭発着に

※上り 渡辺通1以北で、行先番号と行先の完全対応を図る

(202)(203)
・廃止

(501)
・朝夕に田隈新町経由新設(~外環室見橋~昭和新町(外環)~次郎丸中北口(新)~田隈新町~四箇田)
・朝のみ金武営発を新設

(503)新設
・(藤崎~ この間(8-1)(8-2))室住~美室~橋本西~都市高速~天神(~那の川~藤崎 この間(54))

(35)
・(39B)を改番

(37)(41)(73)
・博多駅~住吉~薬院駅~赤坂門~長浜(鮮魚市場)間 延長

(139)
・天神(都市高速)上宇美線 に行先番号付与

(600)
・天神コア→警固神社→警固町→六本松→別府橋→城南区役所北口→別府2→別府橋→六本松→警固町→法務局前→舞鶴1丁目→天神3止/天神コア→ (記載停留所のみ停車)

姪浜地区 行先番号変更
(1)医療センター~駅南口~新室見~橋本~野方~三陽高校 →(81)
(1)駅南口~新室見~橋本~野方~壱岐ヶ丘~金武 →(82)
(1-2)駅南口~新室見~福重~宮の前~ウエストヒルズ方面 →(83)
(1)医療センター~駅南口~新室見~拾六町~野方 →(84)
(1)駅南口~都橋~外環状~野方~生松台方面 →(85)
(97)駅南口~都橋~下山門~拾六町~野方 →(86)
(98)駅北口~マリナタウン方面 →(89)

早良・脇山地区 行先番号・経路変更
 博多駅~明治通~天神~西新~飯倉~野芥~早良営~早良平尾~脇山小~早良高校→(3)
 博多駅~明治通~天神~西新~飯倉~野芥~早良営~早良平尾~陽光台→(3)
 博多駅~明治通~天神~西新~飯倉~野芥~早良営~さわら台団地→(3)
 天神~西新~飯倉~野芥~西油山ハイツ→(3)
 藤崎~脇山口~飯倉~野芥~早寿園~四箇田団地→(93)
 タワー南口~脇山口~飯倉~星の原団地~原往還~荒江四角~脇山口~タワー南口 →(97)(98)新設
 タワー南口~脇山口~飯倉~野芥~早良営~さわら台団地→(99)
 西新~飯倉~野芥~早良営~早良平尾~脇山小~椎原→(31)
 西新~飯倉~野芥~早良営~早良平尾~陽光台~曲渕→(32)
 早良営~早良平尾~陽光台~神の原~脇山小→(36)
 早良営~早良平尾~野田~早良高校→(37)
 早良営~西入部→(38)

大橋・白水地区 行先番号・経路変更
 九大前~県庁~天神~日赤~大橋駅~老司~片縄~那珂川営 →(62)
 博多ふ頭~博多駅~清水2~大橋駅~老司~片縄~那珂川営 →(47)
 皿山方面~清水町~大橋駅~ガンセンター~レーク野多目 →(1)
 長住方面~清水町~大橋駅~老司~老司団地 →(2)
 大橋駅~老司~老司団地~今立~博多南駅~大土居~春日原駅 →(2)
 若久方面~清水町~大橋駅~ガンセンター~レーク野多目 →(3)
 板付7~大橋駅~東若久 →(5)
 那の川(筑肥新道→百年橋通 ループ。以下同)~大橋駅~老司~警弥郷~博多南駅~那珂川営 →(6)
 大橋駅~老司~今光橋~博多南駅~那珂川ハイツ →(7)
 春日原駅~大土居~那珂川ハイツ・上梶原 →(8)
 博多南駅~市ノ瀬 →(9)
 那の川~大橋駅~井尻~昇町~博多南駅 →(11)
 大橋駅~井尻~昇町~平野ハイツ →(12)
 那の川~大橋駅~曰佐~弥永団地~博多南駅 →(15)
 大橋駅~曰佐~弥永団地~観晴ヶ丘~博多南駅 →(16)
 那珂川営~佐賀橋(~板屋) →(無番)
 那珂川営~西畑~大山 →(無番)
 大橋駅(直行)空港国際線・国内線 新設


----------

なんでこんな文書をまとめたのかも、今となっては何も思い出せないのだが、自分で作ったものながらそれなりに興味深い。

「12番」のルート変更や「600番」というのは、3年後の地下鉄七隈線開業に備え、何らかの手を打っとくべきでは?という意味合いだったもよう。
ちなみに「600」という数字は、かつての「60番」の変形速達版という意図がありそう。

14番」を福大病院経由と干隈一丁目経由で番号を分けよ、と書いてますが、今となっては「14番」自体が風前の灯となってしまい、分割の余地すらありません。

「8番」の藤崎ターミナル乗り入れ、南消防署前の道路経由きよみ通り経由の路線、「94番」のタワー延長などは、現実となっています。

“上り 渡辺通1以北で、行先番号と行先の完全対応を図る”と書いているように、郊外から天神に来てその先まで行く路線について、行先番号をどうにかすべきでは?という問題意識はこの時から抱いていたもよう。

室住団地からの都市高速路線「503番」は、別のルートで実現しています。

那珂川方面からの路線の都心乗り入れ抑制、というのも別の形で実現しているが、那の川でのループ折り返しを想定していたのは、郊外部から区役所病院などへの利便性低下を懸念していたもよう。

姪浜駅から郊外に行くものがほとんど「1番」、大橋駅から郊外に行くものがほとんど「62番」、という状況を改善すべき、ということを当時思っていて、それはその後とりあえず改善されていますが、一方で、早良地区がほとんど「3番」なのは、2017年の現在も変わらず。

博多駅~薬院大通~赤坂門~長浜地区」とか「大橋駅~福岡空港」は、15年前から言ってたんですね(笑)。
(つづく)
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チラシのオモテ(111)

2017年02月25日 |    ┣ チラシとキロク
(つづき)
平成7年(1995年)12月1日時点の「能古渡船場」に焦点を当てた時刻表。
西新営業所」や「千代営業所」、「渡辺通四丁目」や「福岡ドーム」の文字も見える。


「1番」が脇山口の交差点から北上していたり、愛宕浜一丁目経由も名柄団地経由もどちらも「300番」だったり、駅東ランプ経由が1日1本ではなく2本だったり、「68番」に福浜行きのほかに能古渡船場行き、西新行き、天神行きがあったり、


「68番」に福浜発の都市高速経由があったり…、と、“過渡期”な感じがなかなか面白いです。
(つづく)
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春のあしあと(1)

2017年02月23日 | バス━ 未分類
今年も、春にダイヤ改正が行われると思われる。

だんだんと暖かくなる気候や春の気配と、過去のダイヤ改正の記憶と、その当時の出来事が、私の中では密接に結びついているのだが(笑)、このブログも、5月で12周年を迎える予定で、過去に書いてきたことがそれなりに史料となってきた感もあるので(←個人の感想です)、過去の春の大改正を、10年前から振り返っていきたいと思う。
思いつきで始めた企画なので、予告もなく途中で終わるかもしれません。

1回目は、10年前、2007年春の福岡地区ダイヤ改正を振り返ってみる。
要点と、その後の出来事とのつながりなどを、できるだけ簡潔に記すことにします。


1.「特別快速3番」の“後退”

それまで、早良街道(早良営業所~脇山口間)でも終日速達運行を行っていた(早良営業所、早良妙見西口、野芥三丁目、干隈、飯倉二丁目、荒江四角、脇山口のみ停車)ものが、朝の上り数便を除き、各停となった。

21世紀初頭に登場し、この2007年の改正で“後退”してしまった「特別快速3番」だったが、現在に至るまで、この時の枠組みがほぼ維持されている。


2.「4番」千早駅に乗り入れ

当時、「香椎浜営業所~御幸町~3号線~昭和通り~天神~地行~福岡タワー南口」を結んでいた「4番」に、新たに「土井営業所~八田団地~千早駅~3号線~昭和通り~天神~地行~福岡タワー南口」という系統が新設。
それまで「3番」のみが乗り入れていた千早駅に、新たな路線が乗り入れた。

当時はまだ、3号線から直接千早駅に入るルートであり、東消防署前の道路経由になったのはそれから3年後のこと。

その後、香椎浜からの「4番」は「4-1番」に改番された後、結局廃止となり、現在は、土井営業所からの「4番」が残っている状態。

土井営業所から3号線に出て都心に向かう元祖の路線は、水谷、香椎参道経由の「24番」だが、千早駅経由の「4番」の登場で減便。
その後「24番」は、香椎浜ランプから都市高速に乗る「24N」へとシフトした後、現在は、都市高速に乗る少し前、香椎浜営業所までの「2番」として細々と運行を継続中。
「24番」のルートは、現在の千早駅周辺一帯は、かつてはバスが入れない場所だったということをよく表していた。


3.「63番」が大橋駅に


それまで、「扇町」を起終点としていた「63番」が西鉄大橋駅発着に変更になり、また、博多駅・キャナルシティ経由だったものが、住吉・渡辺通一丁目経由に変更となった。
その後、こちらも現在に至るまで大きな変化はなし。

なお、扇町行きは日曜の早朝に1本だけ残り、この便は、那の津通り上の「市民会館前」経由だったので、「博多埠頭入口~那の津口」間と「美野島南公園前~沖学園前」間という、2つの免許維持区間を走る重要な任務を負う路線となったが、その後、2009年6月に廃止となった。


4.「3番」の福大病院行き運行休止

地下鉄七隈線開通時に新設された「椎原・曲渕~早良営業所~干隈一丁目~福大病院」線の、早良営業所以北が運行休止となった。

干隈交差点~七隈四角交差点間は、一日数本のみの状態に逆戻りし、現在もそのまま


5.大橋ローカル「6番」の新設

「大橋駅~野間四角~若久~屋形原~桧原営業所~柏原営業所」の「区3番」(くのさんばん)が廃止となり、福大病院を起終点とする「6番」が新設された。

「60番」桧原循環線を引き継いだ「61番」の福大病院行きは減便となり、この2年後に廃止となっている。

大橋駅と福大病院を結ぶ路線としては、その後、「700番」(現在の「外環1番」)も登場している。


6.香椎浜地区からの「直行」が隆盛

それまで平日朝のみ運行されていた香椎浜地区から天神北ランプ経由で天神に向かう便が、昼間も運行されるようになった。
東部地区から呉服町ランプではなく天神北ランプを利用して都心に入る路線は、その後、「24C」「新宮急行」「310番」などにも拡大している。

香椎浜地区から天神北ランプ経由で天神に入る路線は、現在は「22T」を名乗っているが、当時は「直行」として運行されていた。


7.その他

博多駅から医師会館前までノンストップの「直行」の新設、
新たな「快速39番」の登場(博多駅から吉塚営業所まで延長され、博多駅~千代町間は呉服町にのみ停車。現在も運行されている大井町、二又瀬通過の従来の「快速」とは別)、
「特別快速40番」(那珂~筑紫口間ノンストップ)の新設
…など、速達系統の種別(というか愛称)が、よりいっそうわかりにくくなっていった時期でもありました。
(つづく)
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no alternative(21)

2017年02月20日 |   ┣ no alternative
(つづき)
「みどりが丘団地入口」にしか行くことができない“no alternative”な路線図。


ここは「名子」。
2012年春までは、ここを終点とするバスもありました。

この付近のバス停の関係性については、こちらの記事でも長々と書いています。


同じ行先番号でも、取扱いバス停・経由地・終着地の異なる系統がございます。
西鉄バスの路線に対する一般論としてはその通りだが、このバス停に限って言えばそれは当てはまらず。

「270番」のような路線が何かのはずみでできたとしても、「27B」同様ここは通過でしょうか。
(つづく)
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続・オモワク(29)

2017年02月19日 |    ┣ 思惑と提案
(つづき)
先日の西日本新聞の記事に、連節バスの今後について市が行った検討について出ていた。

・福岡市は、連節バスを活用した都心循環型のバス高速輸送システム(BRT)について、定時性を高めるための専用走行空間のあり方に関する検討結果をまとめた。
・連節バスだけの独立型走行レーンの設置は当面見送り、新年度以降は時間帯を定めた専用・優先レーンの拡充や、路面塗装などで走行位置を明示化する方向で対応する。
・検討は、独立型走行レーンを中央分離帯側、歩道側に設置するか、時間帯を定めた専用・優先レーンを設けるか、の3パターンについて行った。
・独立型走行レーンは、時間通りにバスが走れる一方、ほかの一般車両が走れる車線が減るため、車両の流入を抑える施策がない現時点で導入すると「交通混雑が悪化する」と評価。
・また、独立型走行レーンは、車道の横断や、タクシー、自転車に影響が出るため、時間帯を定めた専用・優先レーンの検討を進めることとする。
・市は併せて、自動車の流入量削減につながる都心部の交通対策に取り組む。
・今後は、概ね20分間隔で走らせ、利用者ニーズを把握する方針。

とのこと。

今回の検討結果である、
“独立型走行レーンは、時間通りにバスが走れる一方、ほかの一般車両が走れる車線が減るため、車両の流入を抑える施策がない現時点で導入すると「交通混雑が悪化する」と評価”
というのは真面目に言っているのでしょうか。

これって、試行運行を始める前からわかっているというか、わかっていなければいけないことなのでは?。

連節バス導入が明らかになった当時の記事で、

“「連節バスが走る専用レーンも検討する」とのこと。
「100円循環バス」が2台続けて来る現状を見ていると、専用のレーンがあるのに越したことはなと思う。
ただ、連接バスルートの現状が片側3車線ずつの6車線が標準だとすると、その上下1本ずつを「専用レーン」にした場合、単純に考えても、一般車両や路線バスが走れるスペースは現在の3分の2になってしまうわけで、一般車両と路線バスを現行から3割以上減らすことが求められることになる。

“周辺のバス路線の再編を進め、マイカー用駐車場を整備することで、連節バスの運行をスムーズにし…”と言うのは簡単だが、これを実現するのが難しいのではないだろうか(お金をかければ駐車場は整備できるとしても、「都心の周辺部に車を停めて、連接バスに乗り換えて…」という行動を定着させるのは容易ではなさそう)。

既存の都心部の路線バスも、大がかりな再編や合理化が求められることになるわけだが、「W」や「2←→22」で、都心周辺部でバス路線を分断しておいて、さらに都心の内部でも分断…ということが果たして受け入れられるだろうか、という懸念もある(この春、天神地区の停車バス停が大きく変わったのは、一つの布石だったのかもしれません)。”


と書いた。

別の記事でも、連節バス導入には、都心部に入るバスを削減する覚悟、専用レーンや駐車場を設ける覚悟、違法駐車を一掃する覚悟、乗り換えを嫌がらない覚悟、車で都心に行きにくくなるのを受容する覚悟…などなど、いろんな人がいろんな覚悟を持たないといけない、と書いたのだが、そういう検討が何も進んでいない中で、連節バスを導入し、さらに台数を増やすことも既に決まっている状況というのは明らかにおかしいです。
(つづく)
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イミカヨミカ(59)

2017年02月18日 |   ┣ イミカヨミカ
(つづき)
四箇田団地」の下に“Shikata housing estate”。


こっちには“Murozumi housing estate”も。

ここは「藤崎バス乗継ターミナル」。
以前から、ここでは「団地」を“housing estate”と表現している。

「住宅団地」「工場団地」「流通施設団地」「産業団地」…など、本来は団地にもいろいろあるのだが、その中の「住宅団地」のことを主に「団地」と呼ぶことが定着しているし、四箇田団地も室住団地も、工場や流通施設ではなく住宅なので、ハウジングエステートでよいのだろうけど、なんか仰々しい感じも。


他も、全体的に「意味重視」で書かれているが、「営業所」は“Eigyosho”だったりする。


こちらは「天神三丁目」での表示。
天神地区のバステラス(←新型のバスシェルターのこと。「バステラス」は、公募で決まった愛称なのですが、そう呼んでいる人はあまり多くないかも)では、表現方法がちゃんとしているということを以前書いたのだが、ここは、「四箇田」「室住」とだけ書くことで、「団地」を訳すことを回避しているようにも見える。
(つづく)
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続・オモワク(28)

2017年02月15日 |    ┣ 思惑と提案
(つづき)

その筋(?)では有名な、運輸局の公示。



春からついに、





こんな路線とか、





こんな路線が走り始める気配。



偽チラシと全く同じルートではなさそうですが(コミュニティバス的なものではなく、都心に直通するもよう)、路線開設の趣旨というかコンセプト(この記事なども参照)は似たものがあるのではないかと思います。





あと、この表がさらに複雑になるかもしれません。

(つづく)
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see the light of day(15)

2017年02月13日 | バス━ 未分類

(つづき)
今回は、ほんのわずかな期間で廃止となったり、元の状態に逆戻りしたような、いわゆる「黒歴史」的なものについて、過去の記事からピックアップ。

 「410番」と「420番」
 「4番」の明治通り経由への変更
 「12番」の福大正門前経由への変更
の3つについて取り上げてみる(「西鉄香椎~マリノアシティ」とか、「22番」「29番」の東郵便局前の道路経由とか、他にもまだいろいろとありますが)。

まとめが続いていますが、ブログを春で終わらせるつもり…というわけではありません、とりあえず今のところ(笑)。
なお、基本的に記事をそのまま転載しているため、情報は当時のままです。


1.「410番」と「420番」

(1)華々しい登場2009年3月17日の記事

「420番」「410番」のチラシである。

それぞれのルートは以下の通り。

「420番」
【雑餉隈営業所~麦野~麦野三丁目(新設)~麦野一丁目~板付七丁目~板付団地第一~板付~西月隈三丁目~(月隈ランプ~都市高速~千代ランプ)~蓮池~(都心向けは昭和通り、郊外向けは明治通り)~天神】

「410番」
【雑餉隈営業所~麦野~新屋~板付~半道橋~(榎田ランプ~都市高速~千代ランプ)~蓮池~(都心向けは昭和通り、郊外向けは明治通り)~天神】

平日の運行本数は、「420番」の雑餉隈→天神が27本、板付7丁目→天神が28本、天神→雑餉隈が28本となっている。
一方「410番」は、雑餉隈→天神が4本、天神→雑餉隈が3本、天神→新屋が1本となっており、都心向けは夕方のみ、郊外向けは朝のみの運行である。

「410番」は、夕方の都心向け、朝の郊外向けなど、乗客が少ない時間帯に「420番」のルートを「だらだらと」走るともったいないことから、その「節約」のための路線という位置づけのようだ。
また、下りの「新屋行き」というレアな系統は、終点到着後、そのまま板付7丁目から「420番 天神行き」となるということではないだろうか。
「420番」都心向けの、「27本」と「28本」の差がこれに相当するもようである。

「420番」「410番」ともに、都心向けは昭和通り経由、郊外向けは明治通り経由という、かなり珍しい運行形態である。
都心向けが天神郵便局前到着後、天神橋口交差点を左折、さらに天神交差点を左折して、天神大和証券前から郊外向けとなるようである。

「500番台」や「600番台」などの都市高速路線は、一般道路経由路線(「201番」「204番」や「49番」「61番」「62番」など)との組み合わせで都心部内ループを行っている。
「40番」「41番」「43番」など、板付方面から一般道路経由で都心に向かう路線は、以前は天神までやってきていた(「40番」は西公園、「41番」「43番」は大名二丁目や動物園などまで)が、現在はすべて博多駅止め(「40番」のタワー行きを除く)となっており、天神まで再延長しない限り都市高速路線とのループができないことから、「420番」「410番」は都市高速経由同士でループを行うことになったようだ(ただ、郵便局前→大和証券前と乗ることはできないだろうから、厳密には「ループ」ではないのかもしれないけど)。

かつての志免・宇美方面からの都市高速線や、現在の東部地区からの「直行」のように、都心向けは天神北ランプで降りるという選択肢もあったのではないかと思うのだが、どっちが集客力があっただろうか。

「410番」は、一般道路経由の「41番」の末尾に「0」を付けて「410」である。
一方の「420番」は、既存の「42番」は、大橋駅~井尻~昇町方面というまったく違うところを通っており、「42番」がベースではない。
板付団地を通る「40番」をベースとすれば「400番」が適当なのだろうが、杷木~甘木~二日市を走る「40番」をベースにした「400番」が既に福岡都心部を走っていて使えないという理由からか、「630番」のときと同様、「410」との「並び」を意識して「420」となったようだ。
これを機に、既存の「42番」のほうは、大橋ローカル(もしくは春日ローカル)の番号に変えてもよかったのではないだろうか?


(2)「410番」廃止と「420番」大減便2009年12月2日の記事


「410番」廃止、そして「420番」も大幅減便(平日上り朝4便、下り夕方4便のみに。上りは「昭和通り経由天神郵便局前行き」から「明治通り経由天神コア前行き」に変更)とのことである。

今年3月23日のダイヤ改正で、試乗会まで開催してかなり派手に登場した同路線であったが、年越しを待たずにこのような事態を迎えることとなってしまった。

一般道路経由の天神行きがあったところに新たに都市高速経由ができた「500番台」「600番台」とは異なり、一般道路経由の天神行きが既に廃止された麦野、板付団地地区だったので、そこに新たに天神行きを作っても、採算がとれるだけの利用者獲得は難しかったのかもしれない。

テコ入れのために「大野城サティ」まで延長してみては?と書いたこともあったが、叶わぬ夢となった。
「ミニミニ100円循環バス」登場の可能性もほぼ消えた(笑)。
「420番」の登場で「狭義の終点」から「広義の終点」となった「板付七丁目」だが、再び「狭義の終点」に逆戻りする日も近そうな気配である。


2.明治通り経由になったと思ったら昭和通り経由に戻った「4番」

(1)昭和通り経由→明治通り経由に2012年3月6日2012年3月17日の記事)


土井営業所と福岡タワー南口を、八田遊園地、若宮田、千早駅、西鉄名島駅、千鳥橋、石堂大橋、昭和通り、天神、大濠公園、地行経由で結んでいる現在の「4番」だが、千鳥橋~大濠公園間の経路が「石堂大橋、昭和通り経由」から「築港口、明治通り経由」に変更となる。

現在
【千鳥橋~石堂大橋~蔵本~天神(昭和通り)~法務局前~大濠公園】
変更後
【千鳥橋~築港口~蔵本~土居町~天神(明治通り)~赤坂門~大濠公園】

明治通りからタワー方面へは、昨年春から「70番台」が運行されており、今回さらに「4番」も明治通りに移すことでフリークエンシーを高めようという意図があるのかもしれない(ただ、それだったら「310番」のタワー延長はいまいち整合性がとれないのですが)。

一方、明治通り(大手門以東)から貝塚、名島方面というバスは現在なく、「4番」が一時間に3~4本以上運行されるような頻発路線であれば話は別だが、現状の本数で明治通り東行きを走らせたとしても、貝塚、名島方面の客はなかなか拾えないのではないだろうか。

これらを合わせて考えると、「4番」は、今回の改正のように全て明治通り経由にするのではなく、
西行き(タワー方面)は明治通り経由で、
東行き(千早駅、土井方面)は貝塚、名島方面へのバスが多く走る昭和通り経由
というイレギュラーなカタチでも十分に成り立つのではないだろうか(東行きが、荒戸交差点の右折に時間をとられることもなくなるし)。

「東蜷田」の記事で、
“行きたいところの近くまで連れていってくれれば、想定していた場所と多少ずれたとしても、それはさほど大きな問題ではない(「数分後に同じバス停で乗り継ぎをする」とか「迎えに来ている人が居る」などの事情がない限り)。これは、「どこで降ろされるのか」というのが、既にバスに乗っている人にとっての問題だからである。一方で、「どこで乗れるのか」というのは、未だバスに乗っていない人にとっての問題であり、最悪の場合、“バスに乗れない”という可能性もあるため、この意味で、「どこで降ろされるのか」と比較して「どこで乗れるのか」は常に大きな問題だといえる。…と、なんだかもっともらしいことを書いたのだが、実はごく当たり前のことではある。ただ、この当たり前のことが、新路線やルート変更などを考えるうえで結構重要な要素となるし、また、論理学というか哲学的な側面もあって(ないですかね?)面白いと思う”
と書いた。
今回のケースは、まさにその典型例と言えるのではないだろうか。

起点が香椎浜から土井になったり、千早経由が西鉄名島駅前経由になったり、そして今回の変更が行われたりと、「4番」の試行錯誤は続く。
天神から名島、香椎方面へのバスの行先番号は「20番台」が基本なのだが、「4番」については「20番台」ではないのをいいことに(?)、固定概念に束縛されることなく自由に泳いでいる感がある。
もし、「4番」ではなく「24番」などの番号が付いていたとしたら、「明治通り経由に変えよう」という発想は出てこなかったかもしれない。

なお、今回の経路変更により、福岡市博多区の「呉服町」交差点は、4つ全ての方向から「直進、右折、左折」するバスが存在するという、福岡ではかなり珍しい交差点になる(ただ、新「4番」用に新たな乗り場は設置されないため、「4番」は、「呉服町」交差点は通るものの「呉服町」バス停には停車しないようですが)。
まあ、このことに対して価値を見出だす人がどれたけ居るのかという問題はありますが(笑)。

昨年4月の「70番台」の乗り場変更(昭和通り→明治通り)は、“土井方面のバスが都市高速経由と一般道路経由で乗り場が異なることになる”という分散のデメリットよりも、“県庁、箱崎方面の路線を集中させる”ことによるメリットのほうが大きいという判断がそこそこ正しかったようであり、それなりに受け入れられていると思うのだが、今回の「4番」については、“貝塚、名島方面のバスが昭和通りと明治通りで乗り場が異なることになる”という分散でしかない気がしている(一応「4番」の終点は土井営業所ではありますが)。

一方、反対方向については、”明治通りと昭和通りに分かれているシーサイドももち地区への路線を集中させて、利用を高めたいたい”という意向があったと思われる(ただ、この場合、「4番」西行きの土居町から先は「77番」にすべきだと思いますが)。
今回の変更は、こちらの「集中」のほうがまず先にあって、名島方面の乗り場分散はその副産物と見ることができるのかもしれない。

ということは、前にも書いたように、いずれ「東行きのみ昭和通り経由に戻す」ことが行われる可能性もあると思うのだが…いかがでしょう。 

なお、「昭和通り経由が明治通り経由に変わる」と簡単に言っても、実際は、従来の「4番」も、荒戸交差点~地行交差点間で「明治通り」を通っている。
「国体道路」の問題もそうだが、このへんを言いだすとキリがなくなるというか、「通り名」を経由地として採用することの根幹が揺らいでしまうことになるので、あまり深く追求せずに、表面的に見て間違っていなさそうであればそれでいいのかもしれない。


(2)明治通り経由の起死回生策2012年10月27日の記事


「4番」が「昭和通り、石堂大橋経由」から「明治通り、石城町経由」に変更になったのは今年の3月。
それから半年以上経ってこんなチラシが作成されるということは、あまり利用状況が芳しくないのだろうか。

「石城町」がこんなにフィーチャーされることも珍しい。
ターゲットとしては、石城町バス停~築港口バス停あたりの専門学校に通う学生ということだろうか。

地下鉄「千代県庁口」駅から専門学校街(?)まで徒歩、というパターンも多いようなので、そのへんを切り崩す余地がまだあるということなのかもしれない。
「180円」を強調しているのは、天神~呉服町・千代県庁口間の地下鉄運賃「200円」よりも安い…という意味もありそう。
「ほぼ」が付いているのは、“180円あれば、石城町から、西は天神、東はゆめタウン博多まで、だいたいのところには行けますが、だからといってどこでも180円で行けるわけじゃないですよ!”ということだろうか。

「石城町地区から天神地区」の本数、及びアクセス方法が増えたという点(従来の、「25番」天神北、渡辺通り経由、「21番」昭和通り経由に加え、「4番」の明治通り経由)では、利便性は高まったのかもしれない。
一方、「天神地区から石城町地区」で考えると、全体としての本数は増えたものの、乗り場がそれまで以上に分散し、かつ、各路線が待たずに乗れるほどたくさん来る訳でもないため、「石城町地区から天神地区」ほどの利便性向上を実感できないというのが現実なのではないだろうか(それを補完するために、チラシにも「天神周辺乗り場MAP」が付いているのだと思います)。

なお、先に述べた“石城町バス停~築港口バス停あたり”を含むエリアのことを「築港地区」と呼ぶ場合もあり、専門学校は「築港口」付近にも多く立地しているのだが、このチラシで「築港」や「築港口」ではなく「石城町」の文言が用いられている背景についての考察はこちらの記事の末尾を参照。

また、「4番」と「310番」の関係については、こちらの記事の末尾を参照。


(3)昭和通り経由に「逆戻り」2013年3月5日の記事


2012年3月に「石堂大橋、昭和通り経由」から「石城町、明治通り経由」に変更となった「4番」だったが、このたび「石城町、昭和通り経由」に変更となる。

「4番」の明治通り経由への変更については、「分散によるデメリット」が「多様性の提供によるメリット」を上回る感があったので、東行きについては昭和通り経由に戻したほうが合理的なのでは?という主旨のことを以前の記事でも何度か書いたのだが、今回、東行きだけでなく、西行きも含めて昭和通り経由に戻るとのこと。
なお、依然「石城町経由」であることは変わらないため、2012年3月以前の状態に逆戻り…というわけではない。

また、朝に運行されている都心行きの「快速」のみ、引き続き明治通り経由で運行されるとのこと。
これは将来、「呉服町」交差点を石城町→土居町方向にバスが右折することを認めない指導が県警から出されることを回避するための、既得権の公示というか、「免許維持」的な意味があるのかな?などと考えるのだがいかがでしょう。

ちなみに、2012年3月以降、「呉服町」の交差点は、全ての方向からやってくるバスに「直進、右折、左折」のパターンがある(4方向×3=12パターン)という珍しい交差点になっていたのだが、今回の改正で、「土居町→石城町方向」がなくなり、全11パターンとなる。

もともとは旧「24番」が福岡タワーまで行かなくなるのを機に、「香椎浜営業所~御幸町~名島~貝塚~石堂大橋~昭和通り~天神~唐人町~地行~福岡タワー南口」というルートでスタートした「4番」だったが、ルート変更を繰り返し、方向性が定まらないまま存在価値が薄れていく感があるのは非常に残念だ。


3.福大前のバス乗り場にやってこなくなった「12番」

(1)大々的なルート変更とバス停改称2011年3月19日2011年4月4日の記事)


現在の「東七隈~福大前~西片江一丁目(旧長野町)」という経路から、「東七隈~七隈四角~七隈七丁目~福大薬学部前~福大正門前(旧福大病院東口)~西片江一丁目」に変更。
同時に「12番」が通らなくなる現在の「福大前」は「福大東口」に改称。
「3番」福大系統には変更なく、「福大前行き」が「福大東口行き」に変更されるのみ。
以前の記事で、“下手に「福大正門前」と「福大前」が併存する状況を作りだすよりも、「福大病院東口」のままそっとしておいたほうがよかった気もするのだが、いかがだろうか”と書いたのだが、“そっとして”おかなかったのは今回のルート変更フラグだったようだ。
東七隈交差点~七隈四角間が、にわかに活況を呈することになる。

「12番」とは異なり、「16番」の経路に変更はなく、福大東口(現在の福大前)経由のまま。
「無番」の早良高校行きは、福大正門前経由に変更となる。
「140番」で夜間都心向けに一本だけ運行されている福大前~東七隈経由の便も福大正門前経由に変更となり、「福大東口」に停車するのは「16番」と「3番」のみということになる。

今回の変更が、福大の学生さんのニーズに合っているのであれば、それ以上特に言うことはないのだが、実際どうなのだろうか。

天神から福大への「エコルライナー」は、従来の「12番」の経路から城南学園通り経由に変更となり、「エコルライナー」専用の「中村大学前」バス停(下りのみ)が設置されている。
かつて「エコルライナー」が城内経由から赤坂二丁目経由に変更になったのは、筑女の学生の利用を取り込もうとしたためと考えられるが、今回はさらに中村の学生も…ということで、もはや「福大の学生のみをターゲットにしていたのでは成り立たない」ということを示しているといえそうだ。

ただ、そういう対策をすればするほど、地下鉄と同じようなルートになってしまうというのが皮肉な感じもする。

今後、学生の数は減っていくので、エコルカードの利用者数を増やすのは難しいのかもしれないけど、保有率を高めることを考えるとすれば、例えば、「赤間急行」の朝の数便を「エコルライナー」のルートで福大まで延長するとか(天神北ランプ経由にして、天神北で降車扱いしたあと、天神協和ビル前に向かいそこからはエコルと同一経路)、もっとダイナミックな工夫が求められるのではないだろうか。
目先の収益性や運用の効率を考えればなかなか厳しいのかもしれないけど、エコルカードが「使える」カードであることをアピールして保有率を高めて、将来にわたっての西鉄の顧客の囲い込みを行うということは必要と思われる。


「福大の学生のみをターゲットにしていたのでは成り立たない」というのは、「12番」のルート変更にもつながる話といえるかもしれない。
今回の改正で、これまでの「福大病院行き」はなくなり、「片江営業所行き」の一部が福大病院に立ち寄るようになっている。

「片江営業所行き」でみると、「福大正門前」に停車する前に病院敷地内に入って「福大病院」バス停に停車することから、「福大正門前」を利用したい人にとってはなんとももどかしいルートだが、「福大病院」に立ち寄る系統をある程度走らせることで、「保険」をかけているようにもみえる。


(2)わずか3ヶ月で逆戻り2011年7月5日の記事


「12番」の福大地区のルートが今年3月までの状態に戻される。
そして、「福大前」から「福大東口」に変更された停留所名も再び「福大前」に戻される。

具体的には、
「~東七隈~七隈四角~七隈七丁目~福大薬学部前~(~一部、福大病院構内~)~福大正門前~西片江一丁目~」というルートが、
「~東七隈~福大前~西片江一丁目~」に変更となる。

改正の「お知らせ」には、
「※1 停車バス停の変更は西片江一丁目~東七隈間のみです」
「※2 桧原営業所系統、福大病院乗り入れ系統については、福大正門前経由のままで、経路変更はございません」
とあり、「元の状態に戻します」とは一言も書かれておらず、「たいした変更じゃないんですよ」とでも言いたげ(笑)。

でも、ルートを元に戻すだけでなく、バス停名までも「福大前」に戻して、あたかも今年春の改正を「なかったこと」のようにするというのはなかなか大がかりであり、大学やその関係者側などからの何らかの要請もあったのかもしれない。
4月1日の記事は、少し皮肉の思いを込めて書いたつもりだったのだが、現実がその上を行ってしまった感じだ(笑)。

まあ、鉄道とは違い、あれこれとルートを変えられるのがバスの利点といえぱ利点なのかもしれない。
春の改正で、どこかに一言「試行」とか「社会実験」とでも書いておけばよかったのに、と余計なことを思う。

なお、一応残る「※2」の、福大正門前を通るほうは「12-1番」に変更されるとのこと。

「12番」とともにルートが変更になった「エコルライナー」のほうは、福大行きは現行のままで、福大発のほうが「福大前」発になるようである。
これは、以前書いた「どこで降ろされるのか」と「どこで乗れるのか」の問題の好例といえよう。




(3)そしてフェードアウト2013年3月5日の記事

2011年の4月に、「福大前」が「福大東口」に改称され、「12番」が「福大前経由」から「福大正門前経由」になったのだが、そのわずか3ヶ月後の2011年の7月に、「福大東口」が「福大前」に戻され、「12番」が「福大正門前経由」から「福大前経由」に戻った。

その際、「福大正門前経由」もわずかに残り、それが「12-1番」として運行されていたのだが、その路線も今回廃止となり、2011年4月まであった「福大前経由福大病院行き」が復活し、2011年4月以前の状態にほぼ逆戻りとなる。
「負け惜しみ」感が強かった「12-1番」だったが、今回の改正を機に“フェードアウト”である。
なお、当時の「福大病院行き」は倉瀬戸(現在の西片江二丁目)経由であるのに対し、新系統は福大正門前(当時は深夜バス用の「福大病院東口」→「福大正門前」)経由なので、全く同じという訳ではない。
(つづく)

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see the light of day(14)

2017年02月11日 | バス━ 未分類
(つづき)
今回は思い付きで、西鉄バス福岡地区の40番台について書いた過去記事からピックアップ。

まとめが続いていますが、ブログを春で終わらせるつもり…というわけではありません、とりあえず今のところ(笑)。
なお、基本的に記事をそのまま転載しているため、情報は当時のままです(ずっと変わらないと書いている「46番」は、昨年春に久々に変わっています)。


1.甘木の「40番」と板付団地の「40番」2008年3月7日の記事

「5番」(能古渡船場~西新~博多駅線)の廃止、これは結構意外だった。
この「5番」は、もともと「1番」の能古渡船場行きが「愛宕下経由」から「博物館南口経由」に変更になってしばらくして、「1番」から分離されてできたものである。

愛宕下経由の頃は「1番」でもよかったのだろうが、さすがに脇山口交差点を曲がって北上するようになっても「1番」というのはかなりわかりにくかったらしく(このバスは藤崎方面には行きませんというアナウンスも流れていた)、「1番」から独立して「5番」となり「能古渡船場~博物館南口~西新~天神」の路線となった(のちに博多駅まで再延長)。

ちなみに、「1番」の時代は、博多駅から先、板付7丁目まで運行されていた。
学生時代、山王公園前バス停そばの南近代ビルで、ベネッセの「進研模試」の採点のバイトをしていたのだが、西新や天神から一つ前の瑞穂まで220円で行けるためこの路線をよく利用していた。

「5番」ができた際、この板付七丁目線については「40番」として独立し、「板付七丁目~博多駅~天神~西公園」という路線となった(現在は天神や西公園までは運行されていない)。

現在「二日市~甘木~杷木」を走っている「40番」は、かつて博多駅や天神まで運行されており、この「40番」というのは福岡市内線の連番の名残なのだが、板付七丁目線が新たに「40番」となることでその面影が薄れ、ひとつの時代が終わったなぁ…と思ったものだった(ただしその後、甘木から都市高速経由で博多駅に向かう路線が「40」の末尾に「0」を付けた「400番」として新設されており、「40番の本家は私だ」と主張しているようにも見える)。

しかし考えてみれば、現在の「5番」も「40番」も以前はすべて「1番」だったわけで、さらに姪浜駅以南が分割される前のことを考えれば、「1番」がどれだけ複雑な路線であったかがわかる。


2.「41番」と「43番」について~飛ばされた「42番」とその野望~2010年5月28日の記事


「43番」はもともと、「雑餉隈営業所~中~金隈~板付~東光町~堅粕~博多駅~明治通~天神~赤坂門~薬院大通~動物園」というルートで運行されていたが、郊外部&都心部の両端がそれぞれ切れて、真ん中だけが残っているという点では「68番」にも共通するものがある。
なお、「43番」自体は、「雑餉隈営業所~中~金隈~宝満尾~福岡空港」という新たな系統ができ、現在はそちらがメインとなっている(緑橋経由の「33番」廃止後、無番の「金隈~福岡空港」を経て、登場したという記憶がある)。

「金隈~博多駅」の「43番」と、「雑餉隈~福岡空港」の「43番」は、「金隈~月隈間」のほんのわずかな区間しか重複しないのに、どちらも同じ「43番」という状態になっている(「タワー~博多駅」と「博多駅~ゆめタウン博多」の「15番」よりはましだろうか??)。

もともとの「43番」は、「41番」と兄弟関係にあり、ともに雑餉隈と福岡都心部を結んでいて、「麦野経由」(41番)か「金隈経由」(43番)か、という違いだったのだが、今では「兄弟」の面影は薄くなってしまった。
現在、「東光町」と「博多駅」の間は、「43番」がここ「堅粕」に停車するのに対して、「41番」は東光橋を渡るためどこにも停車しないのだが、以前はどちらも堅粕経由だったと思う(←もともとは東光橋自体がなかったんでしょうけど)。

なお、「兄弟」であるにも関わらず、「44番」と「45番」、「47番」と「48番」、「51番」と「52番」、「56番」と「57番」…のように、番号が続いていないのは、当初「42」という番号を忌み嫌ったためではないかと推測される。
同じく忌み嫌われそうな「44番」も、もともとは「45番」の一部だったものが、のちに分割されたと思う。
そして、「42」についても、その後、番号が足りなくなって、縁起を担ぎ続ける訳にもいかなくなり、「春日~大橋線」の番号として使われるようになり、現在に至っている。

ただ、この「42番」は、福岡市内線というよりは春日ローカル線といったほうがよさそうなルートであり(方向幕の行先番号も丸数字)、敢えて「42」を付ける必要があったのか?という気もする。
しかしもっと深読みすれば、“はじめは大橋駅までの運行でスタートさせるが、いずれは天神や博多駅など、福岡都心部に乗り入れてみせるぞ!”という密かな「野望」があったのかもしれない。


3.相対的に新しい「44番」と筑紫通り前史2011年7月28日2016年10月14日の記事)


福岡市博多区の「麦野四丁目」バス停。

「雑餉隈営業所~南本町~麦野四丁目~諸岡四角~青果市場前~山王一丁目~博多駅~住吉~天神~都市高速~福岡タワー南口」を結ぶ「44番」のルートになっている。

このバス停は通称「筑紫通り」上にあるのだが、「麦野」の下にコトバが付かない単に「麦野」という名称のバス停は、「41番」が通る県道福岡日田線(旧国道3号)上にある。

県道福岡日田線上には、「板付」というバス停もある。
そして、「板付」の下にコトバが付く「板付新橋」は「麦野四丁目」と同じく「筑紫通り」上に、そして「板付四丁目」「板付七丁目」などは県道福岡日田線と「筑紫通り」の間のまた別の筋にある。
「板付」「麦野」ともに、それぞれの町域の中央部に位置するという訳ではないにもかかわらず、下にコトバが付かない名称のバス停を県道福岡日田線が独占している。
もし、全く白紙の状態から一斉にバス停に名前を付けたとすると、こういうことは起こらないと考えられ、路線網の成り立ちというか、形成の過程を窺い知ることができて面白い。

このような例は、清水(町)、梅光園、警弥郷、橋本…などでも同様といえるかも(全く同じという訳ではありませんが)。

ちなみに、このバス停が立っている住所は、郊外向けは「麦野四丁目」だが、写真の都心向けは「三筑二丁目」である。
「三筑」は、バス停の名称にはなっていない地名であり、城南区「松山」と同じく私にとっては近くて遠い場所である(笑)。


「那珂小学校」交差点で、筑紫通りから北西に分岐するこの道路は、かつてのバス通りだが、ここをバスで通った記憶がないのが悔やまれる。
まっすぐ行くと「東光寺」。


青が旧バス通り。
道路のつながり方をみると、これと並行する赤の部分に新しい道路を造りたかったのでは?という意図が感じられる。


ただし、現在の都市計画図にはそのような計画線はなし(赤い線は用途地域の境界、紫やピンクの色は用途地域であり、都市計画道路とは関係なし)。
間に古墳や工場があって難しそうだったから早々に諦めたのでは?などとも考えるのだが、その計画の有無を含め、全て想像です。


4.遠回り(←褒め言葉)の「45番」2012年10月14日2010年5月9日の記事)


博多バスターミナルにて「45番」の側面表示。

例えば、バス路線の「線」が引かれていない地図と照らし合わせながらこの行先表示を見ても、“どの道を通って終点の雑餉隈営業所まで行くのか?”というのはまずわからないと思われる。
ただ、「36番」「46番」「74番」…など、同様の路線には、経路がわかりやすい路線以上に魅力を感じてしまうのも事実。


福岡市では、「千代町」「警固町」などの旧町名の後に「丁目」を付ける場合、「千代一丁目」「警固二丁目」のように「町」が取れるケースが多いと思うのだが、春日市では「宝一丁目」「光三丁目」「春日原北四丁目」などとはならず、「宝町一丁目」「光町三丁目」「春日原北町四丁目」など、「町」が取れなかったケースが多い(←一つ一つ検証した訳ではなく、イメージで書いているので、事実誤認の可能性もあります)。
このあたりは、自治体の考え方次第なのだろうか。

また、春日市には「住居表示」というものがなく、「地番」が「住居表示」のように機能しているという珍しい市でもある。
そういう意味でも「お宝」かも。

ここ「宝町」を通る路線は「45番」と「45-1番」だが、行先番号の種類の割に系統数は多い。
天神や福岡タワーまで行かなくなり、都心部では影が薄くなってしまった感がある「45番」だが、郊外部では、福岡女学院がある限り賑わいが続きそうだ。
ただ、都市計画道路長浜太宰府線の、三宅本町から寺田池までの間が開通すれば、人の流れが井尻から大橋にシフトする可能性はある。

私が子供のころは、昇町方面から来た「45番」は宝町交差点を左折して、県道福岡筑紫野線を北上、岡本交差点を右折して雑餉隈営業所に向かっていたが、後に、宝町交差点を直進する「大和町一丁目経由」ができ、両者が併存していたが、その後、現在の「大和町一丁目経由」だけが残った。
それより昔は、「45番」は「唐梨経由」だったという記述をどこかで見たこともあるのだが、その頃のことは知らない。


5.我が道を行く「46番」2010年9月26日の記事


「博多ふ頭~博多ふ頭入口~対馬小路~市民会館前~天神北~天神大丸前~天神一丁目~キャナルシティ博多前~駅前三丁目~博多駅~駅前四丁目~東領団地~アサヒビール前~竹下~井尻一丁目~井尻駅入口~井尻六ツ角~精華女子短大前~寿町二丁目~JR南福岡駅~雑餉隈営業所」を走る「46番」の天神地区における側面表示。

博多駅から雑餉隈営業所に向かうルートは複数あり、かつ、「46番」が雑餉隈営業所まで行くようになったのはつい最近(今年3月23日)で、博多駅から雑餉隈へのメインルートでもないことから(雑餉隈まで延長される前は井尻六ツ角が終点)、「博多駅→雑餉隈営業所」という表示ではやや不親切に見える(前面の行先表示も、行先部分の上に大文字で博多駅、下に雑餉隈営となっている)。
“博多駅から先の利用者は常連客なので「46」という番号で判断できるだろうから、天神地区においては、博多駅までの利用者に対してわかりやすい表示にすることを主眼に置こう”という考えもわからないではないのだが、せめて「竹下」と、できれば「井尻」はどうにかして入れてほしい気はする。

なお「46番」の郊外部は、「井尻六ツ角」までの運行となるさらに前は、「~放送所前~昇町~上白水~現人橋~道善~那珂川営業所」まで運行されており(一時期は「天神山行き」もあり)、そしてさらにその前は、もっと郊外の「大山」まで運行されていたそうだ。

都心部についても、「博多ふ頭」が始発となる前は「天神」や「那の津四丁目」を基点としていた(なお、当初は国体道路経由ではなく昭和通り経由で、天神郵便局前から出ていたようだ)。
郊外部と都心部での変化はあるものの、「駅前四丁目~竹下~井尻」間については、私がバスに興味を持ってから既に30年以上が経つが、その間ずっと固定されており、この区間に「46番」以外のバスが通ったこともないと思われ、都市部にありながら、距離的にも期間的にも、路線がずっと固定されている。

このことを以前書いた際、ひろしさんから「担当営業所はちょこちょこ変わりましたけどね。」というコメントをいただいた。
たしかに、現在は「雑餉隈営業所」が担当しているが(←私が担当営業所とか車両のことについてほとんど興味がないため、違っていたらごめんなさい)、福岡の「1番」や大野城の「12番」などとともにKassyさんから提供していただいた平成9年の「46番」の時刻表では担当は「高速営業所」となっているし、「那珂川営業所」が担当していたこともあったと思う。

「46番」が長年あまり変わらないのは、「46番」には「営業所への帰属意識」というものがあまり強くなく、各営業所とも、「46番」という路線を「持っている」というよりは「預かっている」くらいの心もちなので、あまり大きく変えることには気持ちが向かわないのかもしれない。
そう考えると、井尻六ツ角から雑餉隈営業所までの延長というのは、かなり画期的なことといえるのかもしれない。

今後さらに、以前提案したルート変更竹下駅への「46番」以外の路線の乗り入れなどが行われることはあるだろうか…。


6.仲の良い「47番」と「48番」2009年9月11日2008年9月27日の記事)


福岡市博多区の「塩原橋」バス停。

福岡地区の兄弟路線「47番」と「48番」の違いは、郊外側の終点が「那珂川営業所(47)」か「レークヒルズ野多目(48)」かと、パナソニック前~清水四丁目間が「清水一丁目・清水二丁目経由(47)」か「美野島南公園前・塩原橋経由(48)」か(=那珂川の西岸経由か東岸経由か=どちらが早く那珂川を渡るか)という2点である。

2点めの違いについては、現在「47番」が通っている道路が開通する前は、全て「美野島南公園前・塩原橋経由」だったようだ(ただし、かつては「美野島南公園前」ではなく「福岡製紙前」)。
個人的には、「清水一丁目・清水二丁目経由」よりも「美野島南公園前・塩原橋経由」のほうが好きであり、「47番」と「48番」なら、つい「48番」を選んで乗ってしまう傾向にある。

ただ、最近は橋の架け替えに伴うルート変更により、那珂川東岸での滞在時間は以前より短くなっている(現在は「これより右折」して橋を渡るが、以前は「もう少し直進」だった)。
那珂川とJRの博多運転区により隔てられている南区の清水・塩原地区と博多区の美野島・竹下地区だが、橋の架け替えや新設を含むこのあたりの再開発により、心理的な距離は、以前に比べて縮まってきているような気がする。

バス停の行先案内の部分には、「48 福商・野多目」と表示されているが、2007年3月以降は、「63番」もここを通るようになっている。
「福商」とは「福商高校前」のことであり、福商高校とは福岡商業高校のことだが、現在は校名、バス停名ともに「福翔高校」に改称されている。
「福商高校前」は、かつては「48番」の「狭義の終点」であったが、現在は「福翔高校」を複乗して、「レークヒルズ野多目」まで延長されている。
「福商・野多目」という表現は、「校名変更よりもレークヒルズ延長のほうが時系列的に先」ということを物語っているといえそうだ。


「47番」「48番」の昭和58年8月1日当時の時刻表。

松下電器前(現在の「パナソニック前」)からは、以下の行先が運行されていた(本数は平日のもの)。

・都心向け
「47番」「48番」
 駅前四丁目経由博多駅行き…61本
「47番」
 駅前四丁目、博多駅経由祗園町行き…22本
「48番」
 駅南三丁目経由博多駅行き…6本

・郊外向け
「47番」
 清水二丁目経由、大橋駅経由那珂川営業所行き…31本
「47番」
 清水二丁目経由大橋駅行き…8本
「47番」
 清水二丁目、大橋駅経由三宅本町行き…18本
「47番」
 清水二丁目、大橋駅経由福商高校行き…2本
「48番」
 福岡製紙前、大橋駅経由福商高校行き…29本

当時の都心向けは合計で89本であったが、現在は132本となっており、約1.5倍に増えている。

都心向けに関しては、現在は博多駅から博多埠頭まで終点が延びている(ただし、博多駅→博多埠頭間は「99番」として運行)。
また、当時は「祗園町行き」が存在した(「博多駅」の下に小さく「(渕上前・祗園町)」と書かれた方向幕があったことを記憶している)。
「駅南三丁目経由」は、この時点で6本しかないが、現在でもしぶとく生き延びている。

郊外向けの「福商高校」とは、今の「福翔高校」のことであり、現在はそこから「レークヒルズ野多目」まで終点が延びている。
当時は、通学用に「大橋駅~福商高校」の区間便も存在した。
「福岡製紙前」は、その後「本州製紙前」→「美野島南公園前」と名称を変えており、工業地域から住宅地域へと変わっていく様子を反映している。
また、当時は「47番」に「三宅本町行き」が存在したが、西高下、三軒屋、小笹団地東門などと同様、途中の折り返し場は減少傾向にある。

松下電器前~清水二丁目~塩原方面の道路は比較的新しく、もともとはすべて「福岡製紙前」を通っていたが、その後、「47番」が清水二丁目経由、「48番」が福岡製紙経由と区分されるようなった。
また、美野島交差点~博多駅前四丁目交差点に関しても、昔は、現在の経路(旧鹿児島本線の線路跡の道路)ではなく、そのひとつ西側の道路(通称「小柳通り」)を通っていた。
ただし、この二つについてはリアルタイムでの記憶がないため、過去の地図やその後見聞きした情報などを総合したうえでの推定であり、誤りがあるかもしれません。


7.飯倉にも来ていた「49番」2008年6月6日の記事


昭和59年4月27日時点の「49番」の時刻表の一部。

「49番」は当初、弥永団地~天神間で運行をスタートした。
それまで弥永団地には「45番」のみが乗り入れており、昇町経由で井尻駅、博多駅方面、及び南福岡駅、雑餉隈営業所方面への路線が運行されていたが、香蘭短大前交差点から那珂川町方面に抜ける通称「新幹線通り」の整備により、この道路を通って大橋駅、天神方面に向かう「49番」が新設され、福岡都心部への利便性が向上した(現在、弥永団地に「45番」は乗り入れていない)。

昭和58年3月の福岡市営地下鉄1号線(現在の空港線)の姪浜までの開通のときの大改正により、「49番」は「西と南の副都心(西新と大橋)を結ぶ」という使命を担って、天神から先、貫線(現在の明治通り)、西新を経由して飯倉まで延長された。

なお、このときの改正で「西と東の副都心(西新と香椎)を結ぶ」ということで、「2番」が城浜団地、香椎花園まで延長された。
ただ、「2番」の城浜団地行きは香椎を通らないし、また「49番」についても、本当に西新と大橋を結ぼうという気があればもっと速いルートもある訳で、「副都心を結ぶ」というコンセプトも「後付け」の感が強い。
実際のところは、「とりあえずいろんなところを直通で結んで乗り換えの必要性を減らして、地下鉄に対抗しよう」という、現在も脈々と受け継がれる思想がバックにあったような気がする。

なお、飯倉行きは短期間で縮小され、西新止めが多くなり、最終的には天神から西へ向かうルートは廃止された。
また、弥永団地より南の郊外部分については、JR博多南駅の開業や、春日市南部や那珂川町の住宅団地開発(白水ケ丘や観晴が丘など)等に合わせて路線延長が行われている。

当時、弥永団地からの上りの本数(平日)は、
 西鉄大橋駅止め 24本
 天神止め    1本
 飯倉営業所行き 28本
の計53本であったが、現在では、
 西鉄大橋駅止め 44本
 天神方面行き  41本(天神行き、那の津4丁目行き、「630番」と連続運行する呉服町方面行きの合計)
の計85本となっており、約1.6倍に増えている。

ちなみに、「49番」のオリジナルルート上には福岡市南区の曰佐(おさ)地区(「お」の字は「曰」であり「日」ではない)があるが、読みにくいという判断からか、「49番」が走り始めた頃の方向幕には「曰佐」に「ふりがな」が振ってあった。
(つづく)
コメント (2)
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どうでもいいですよ(74)

2017年02月10日 |   ┗ どうでもいいですよ
(つづき)
赤信号の下、堂々と左折する西鉄バス。
遅れを取り戻そうと焦っているわけでも、うっかり信号を見落としているわけでもなく、


この標識に従った、合法的な信号無視。


福岡県では珍しい「常時左折可」の標識が、ここ小倉北区の「黄金一丁目」交差点にあり。


合法的信号無視の該当路線は、この「8番」霧ヶ丘三丁目行きと、「9番」の大谷池行き。


交差点を曲がってこの道を進みます。


(つづく)
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see the light of day(13)

2017年02月06日 | バス━ 未分類
(つづき)
前回、福岡の「97番」について触れたので、過去に90番台について書いた記事からピックアップ。
なお、基本的に記事をそのまま転載しているため、情報は当時のままです(六本松二丁目には、今は「54-1番」も停まります)。


1.「93番」について(1)2009年8月30日の記事


昭和59年4月27日時点の「93番 荒江線」の時刻表である。

私が物心ついたときの「93番」は、「早良妙見口~荒江四角~六本松~国体道路~天神~福岡競艇場/~昭和通~博多駅」というルートを走っていた。
それより前は「西高下」(現在の講倫館高校前)を発着するものもあったらしく、「91番」「92番」「93番」はかなり仲の良い兄弟路線だったようだ。

子供の頃、野芥三丁目から奥の堂に行く際、いつも「3番」では面白くないので、「12番」や、この「93番」を好んで利用していた。

この時刻表の当時の「93番」は、
「早良営業所~早良妙見口~飯倉営業所~荒江四角~六本松~国体道路~天神~石城町~港湾局前~千鳥橋~妙見~吉塚駅前」と、
「早良営業所~早良妙見口~飯倉営業所~荒江四角~脇山口~藤崎~室見団地~原北中学校前」
という、全く性質の異なる2系統が運行されていた。
こうなった経緯については以前書いたことがあるのでそちらを参照していただきたい。

吉塚駅前系統は、私が生まれた1973年に廃止された市内電車吉塚線の代替路線(と思われる)「80番」(渡辺通一丁目~天神~石城町~港湾局前~千鳥橋~妙見~吉塚駅前)を併合してできたものであった。
そして、「93番」吉塚駅系統の廃止後、再び「80番」として復活し、その後「85番」の派生系統として「福博循環線」に組み込まれ、その後また廃止となっている。

「80番」は後に、市内各地から天神を経由して中央ふ頭(博多港国際ターミナル)に向かう路線が「天神→中央ふ頭間」で番号を統一する際の数字として使われるようになり(その後、2008年、2009年と、「統一」はさらに進んでいる)、さらにその後、「博多駅~キャナルシティ~天神~中央ふ頭」を走る路線の番号としても使われるようになっている。
こう考えると「80番」は、途中、幾度かの廃止や復活を経てはいるものの、天神~築港地区を結ぶ路線としてかなりの歴史を有するといえる(ただ、今年6月の「中央ふ頭→築港口→千鳥橋」の廃止により、吉塚駅方面へのルートの面影はなくなってしまったが…)。

室見団地系統のほうは、現在のように「93番」が藤崎止まりになって以降は、城南線から来た「10番」が原北中学校まで乗り入れるようになり、その後、現在の「8番」登場に至っている。
「原北中学校前」は、「月見町」「板付団地」「八幡東ニュータウン」などと同様、「反対側の起点との組み合わせによって振り回される場所」の典型例であったが、「8番」になってからは原北中学校前から室住団地まで路線が延びたため、その位置付けにも変化がみられる。

吉塚駅前系統の廃止、藤崎~原北中学校間の廃止により、「93番」は「早良営業所~藤崎」のみの運行となった。
その後、四箇田団地から早良街道に抜ける新道の開通により、末端部分が早良営業所ではなくなり、少し手前で分岐して、早寿園前~四箇田団地に向かうようになり、ややオリジナリティが付加されたカタチとなって現在に至っている。
四箇田団地(野芥二丁目経由)、西入部、早良国民宿舎など、郊外で国道263号から分岐するルートは衰退傾向にあるが、「93番」は大丈夫だろうか…。


2.「93番」について(2)2009年2月21日の記事


来る2月28日より、早良営業所とマリノアシティ福岡を結ぶ路線が、土日祝日のみ、8月30日までの期間限定で運行を開始する。

【早良営業所~飯倉~脇山口~藤崎~愛宕下~豊浜団地~マリノアシティ福岡】
という、「3番」の早良営業所~西新間と「9番」の西新~マリノアシティ間を足し合わせたようなルートである。

香椎~マリノアシティ線の失敗という先例を踏まえているからなのか、できるだけリスクを回避したようなルート設定であり、裏を返せば、「面白み」にはいまいち欠ける気がする。
例えば、荒江の先から左折して、昭代、室見三丁目、愛宕一丁目経由とかだったら、ちょっと乗ってみようかな?という気にもなれたかも(失敗のリスクはかなり高まりそうだけど…)。

新路線の番号は「93番」であり、藤崎→早良営業所間のみは「3番」として運行されるようである。

「90番台」の成り立ち、及び、「93番」のもともとのルートについては、以前書いたことがあるのでそちらを参照していただきたい。

現在の「93番」は、
 【四箇田団地~早寿園前~飯倉~脇山口~藤崎】
というルートで運行されている(新路線開設後も継続して運行される)。
運行は平日のみであり、終点の藤崎にある早良区役所が開いていない土日祝日は、
 【四箇田団地~早寿園前~飯倉~脇山口~西新パレス前】
というルートで「3番」として運行されている。

このことから判断して、現在の「93番」という番号は、「藤崎に行く」もしくは「藤崎から出る」という事象に独自性が見出されて付けられている、換言すれば、「93番」が「93番」たる所以は(四箇田団地~早寿園前~重留新町を通るからではなく)藤崎を通るからだということができる。
そうであるならば、今回新設されるマリノアシティ線が、藤崎→早良営業所間を「3番」として運行するというのは本来適切ではなく、脇山口→早良営業所間を「3番」として運行すべきであろうと思われる。
まあ、こういう矛盾は他にもた~くさんあるので、あまり熱く語ってもしょうがないのだけど…。

ちなみに、このマリノアシティ線、期間限定でありながら、「ご利用状況に応じて、期間の延長もあります」とも書いてあった。
こんなこと別に書かなくてもいいのにね…とも思ったが、運行開始後は、どういう「ご利用状況」になるだろうか…。


3.「95番」について2011年2月25日の記事


福岡市城南区の「東七隈」バス停。

行先案内の部分には、「140 茶山、明治通(経由)天神」「3 干隈、荒江四角(経由)西新、天神」と書いてあって、たくさんバスが来そうな感じもするが、実際は、各系統それぞれ一日一本ずつで、計3本しかない。
「福大前~東七隈~小松ヶ丘方面」に運行する「12番」や「16番」などが停車するほうの「東七隈」は、かなりの本数がやってくるが、「福大通り」の東七隈交差点と七隈四角交差点の間にあるこののりばは、長らくこんな感じである。

ずいぶん前の記事で、“多くのバスが通る2つの道路に挟まれた地域は、相対的に本数が減る傾向にある。多くのバスが通る道路まで歩けばよいのだから、そのバス停単独でみると利便性の低下は限定的なのかもしれない。ただ、本来は、タテとヨコの軸が連携して「ネットワーク」が生まれるのであり、タテばかり充実してヨコがスカスカとなってしまっては、「本数の割りに使い勝手が悪い」という状況が進んでしまい、効率は良くないと言える”と書いたことがあった(「700番」の登場で、ヨコの軸も一応カタチが整ったので、「700番」がもし本格運行されれば、既存の他のヨコ軸ルートがさらに縮小されてしまう可能性はあると思う)。

同じ「福大通り」上の、七隈四角交差点から先の干隈三叉路までの区間は、まさにそんな場所で、かつては「14番」の「飯倉営業所行き」や「3番」の「椎原・曲渕~福大病院」なども走っていたが、現在は「3番」の「福大前~東七隈~七隈四角~干隈~荒江四角~西新~天神」が2.5往復走るだけである。
一方の、ここ「東七隈交差点~七隈四角交差点間」については、かつてはたくさんバスが走っていたものが衰退した…というよりは、ずっとひっそりとしている感じである。

とはいえ、私が子供の頃は、「3番」の「片江営業所~福大前~東七隈~七隈四角~干隈~荒江四角~西新」という系統が日中も一時間に一本程度運行されていたと思う。
そしてその後、既存の「3番」の日中の便を全て振り替えるというカタチで、「95番」(片江営業所~福大病院~七隈四角~茶山~別府四丁目~荒江四角~脇山口~藤崎。現在は藤崎ではなく、福岡タワー南口まで運行)が登場して以降、「3番」の福大系統は一日数本という状態が続いている。
なお、「3番」の福大系統は、数年前(このブログを始めるよりも前だとは思いますが、具体的なことは覚えておりません…)に一旦廃止となったことがあり、その後再び復活して現在に至っていることから、一定の需要はあるのかもしれず、計り知れない生命力のようなものも感じる。

「95番」が登場したのは、昭和58年の国鉄筑肥線の姪浜~博多間廃止により「11番」から番号を変えた「96番」、昭和57年の西区の分割により誕生した「97番」よりも前だった…ような気がするのだがどうでしょうか(西区の分割前、現在の城南区のエリアから西区役所がある藤崎に行く路線として開設された…と考えれば、合っている気もする)。
「94番」(片江営業所~油山団地~堤~北片江~田島~城南区役所前~鳥飼~西新パレス前。現在は福岡タワー南口まで)の登場は、「95番」「96番」「97番」よりも遅かった…ような気がするのだがこれもどうでしょうか(これも、「4」という数字を飛ばして付ける傾向からすると合っている気もする)。

このバス停は「福大通り」上に立って(建って)いるが、「福大通り」とは、城南区の片江一丁目交差点(バス停でいうと「北片江」の近く)から干隈三叉路交差点までの区間に付けられた福岡市の「道路愛称」である(ちなみに、私が子供の頃は、「福大通り」のうち、現在「16番」のルートとなっている片江一丁目交差点~小松ヶ丘交差点間の道路はまだ開通していなかった)。
片江一丁目交差点から東の南区清水四ツ角交差点までは「大池通り」、その先、博多区の国際線北口交差点までは「きよみ通り」という愛称が付いている。

愛称が付いた時期は、「大池通り」(昭和54年)が先で、その後「福大通り」(平成元年)、「きよみ通り」(平成6年)と名前が付いていった。
「きよみ通り」~「大池通り」~「福大通り」は一続きの道路なので、全区間「大池通り」ではダメだったのだろうか?ということをたまに考える(今から変えたほうがいいと言っている訳ではありません)。
市内の道路が長い区間一本でつながっているということがイメージできれば、一般の人が道路を「軸」として認識しやすいのではないだろうか。
同様に、城南区の別府六丁目交差点から東区の千早駅裏までの区間についても、全区間「百年橋通り」としては?というのはやや乱暴だろうか。
「別府橋通りと今宿新道」、「パピヨン通りと吉塚通り」なども同様で、「一本でつながっている」という道路の“連続性”というものにもう少し価値を見出だしてもよいのでは?という気がしている。
まあ、「一本でつながっている」とはいっても地域の表情は移り変わっていく訳なので、「連続性」よりも「地域性」を重視したほうがよいのだという考えもわかるのだけど。

ちなみに、この「東七隈」バス停の向かい側は「松山」という町名である。
「松山」は、城南区の中で唯一バス停名として使われていない(「堤団地」など、団地名が町名となっているものを除く)町名であることから、私にとっては近そうで遠い場所である(笑)。


4.「96番」について2009年6月2日の記事


福岡市中央区の「六本松二丁目」を取り上げてみる。

このバス停には「96番」のバスが「藤崎~西新四丁目~六本松二丁目~笹丘~島廻橋~長住三丁目~自動車免許試験場~柏原~桧原営業所」というルートで運行されている。
この「96番」はもともとは「11番」を名乗っていたが、国鉄筑肥線廃止時に新設された三つの代替路線のうちのひとつ(昭代三丁目~六本松~城南線~博多駅。その後、藤崎と中央ふ頭まで延長)に番号を譲って、「96番」となった。

この「96番」のルートは、友泉団地交差点~六本松西交差点間の道路が開通して油山観光道路が全通したのに伴い「13番」「16番」などとともに樋井川沿いの県道経由から油山観光道路経由に変わった以外、長年ほとんど変わっていない(考えてみれば、観光道路全通前までは、樋井川沿いの県道のうち別府団地~友泉第二〔現在の友丘〕間には「11番」「12番」「13番」が連番で走っていたということになる)。
「94番」の終点が西新パレス前から福岡タワー南口に延びたり、「95番」の終点が藤崎から福岡タワー南口に変更になったりと、「96番」の仲間的な路線が地味ながらも時代についていこうとしているのとは対照的である。
ただし「96番」も、この六本松二丁目経由ではなく城南区役所経由の「区役所96番」という路線がほんの一時期走っていたことがあったが(たしか一日一本)、これもすぐになくなってしまった。

南区の「井尻」が「井尻六ツ角」に改称される際、地名の下に何も付かないバス停と、下にコトバが付くバス停との「格」の違いみたいなことを書いたが、ここ「六本松」は、早良区の「原」とともにその好例である。

「96番」は、この付近を走るバスの中では例外的に、国道202号と城南線とが交差する「六本松」の交差点(バス路線と市内電車が交差していた交差点)を通らないことから、「六本松」のバス停と位置的に近いにもかかわらず「六本松」とはせずに「六本松二丁目」という名前にしているということなのかもしれない。
「渡辺通一丁目」などとは異なり、「六本松」のバス停は、交差点の西側のみにしかなく、バス停としての「六本松」の「重心」は、六本松の交差「点」よりもかなり西側に移っていると思われる(地下鉄七隈線六本松駅の開業で、重心移動がさらに強くなった感あり)ことから、この「六本松二丁目」についても単に「六本松」としてしまっても特に問題ないような気がする。
ただ、方向幕の時代から「96番」の経由地は、「六本松二丁目」と表記している場合もあれば単に「六本松」と表記している場合もあり(現在のLEDでは「六本松二丁目」と表記されている)、「別にどっちだっていい」という感じなのも確かであり、何十年も使われている名称を今さら変えても無用の混乱を引き起こすだけなのかもしれない。

かつて、「90番台」の成り立ちについて、「旧西区の区役所連絡バス」だと書いたことがあるが、早良区の区域で「96番」でなければ藤崎(早良区役所)に行けないという場所はないことから、この「96番」は、現時点ではそのような役割は担っていない。


5.90番台の先駆者たち2007年5月17日2007年5月18日2007年5月19日の記事)

「91番」は、現在の「7番 昭代線」のルーツである。

【野方/西高下/藤崎~弥生2~昭代~六本松~国体道路~天神~中央営業所】

というルートを走っていた。

その後「1番」と統合されて「7番 鳥飼循環線」となり(「1番」はそのまま残った)、さらにその後、循環運行休止に伴い、もとの「91番」の部分が引き続き「7番」として残ったものである。

「7番」はその後、「四箇田団地行き」「原行き」などができたりしたが、現在は「姪浜駅南口行き」でほぼ落ち着いている(一時期は「姪浜(発着所)行きもあり」)。
また、都心部分は東に延びて、「吉塚営業所」まで運行され、「14番」衰退のあと、今泉地区~川端・呉服町方面を結ぶ貴重な足にもなっている。

「92番」は、

【野方/西高下~原~六本松~警固町~昭和通り~天神】

というルートを走っていた。

「90番台」はもともと、「1番」「2番」「3番」などの西部地区のメイン路線を補完する路線として位置付けられていたようだ。
それが、旧西区の分割により新たな区役所連絡路線の開設が必要となってきたこと、「200番台」の国体道路経由の路線が充実したことなどの理由から、「旧西区(西区、早良区、城南区)の区役所連絡バス」へと役割が変化し、現在に至っている。

「90番台」の位置づけの変更に伴い、この「92番」も、晩年は野方発着の路線が「204A番」、西高下発着の路線が「201A番」に改められ、その後廃止となった。

欠番ではないが、「93番」も、もともとは、

【早良妙見口~荒江四角~六本松~国体道路~天神~石城町~妙見~吉塚駅】

というルートを走っていたが(さらにその前は、福岡競艇場行き、昭和通り経由博多駅行きなどもあった)、西区の分割に伴い、上記ルートに加えて、早良方面と藤崎(早良区役所)を結ぶ路線が加わった(一時期は「原北中学校前」まで運行)。
「93番」は、上りでみた場合、荒江四角を右折するルートと直進するルートという、まったく違う路線が混在するといういびつな状況を経て、区役所連絡路線のみが残り現在に至っている。

なお、「92番」が通っていた区間のうち、赤坂門~法務局前(かつての検察庁前)間は、当時「50番」「51番」「52番」「54番」なども走っていたが、現在では「2-1番」「3-1番」が朝の上りのみ通る区間となってしまった。


6.90番台と区役所連絡2011年12月17日の記事


西鉄大橋駅と福大病院を結ぶ路線として何かと脚光を浴びているのは「700番」のほうだが、同区間を結ぶ路線の「元祖」はこちらの「6番」である。

ルートは、「西鉄大橋駅~南区役所~清水町~野間四角~若久~中尾二丁目~屋形原~桧原営業所~鬼ノ木団地~堤~片江営業所~西片江二丁目~福大病院」。

もともと、「西鉄大橋駅~6番と同経路~桧原営業所~花畑園芸公園~柏原営業所」というルートで運行されていた「区3番」(くのさんばん)をベースとしつつ、「61番」の福大病院方面の減便を補う役割も担って、2007年春のダイヤ改正で登場した。

「区3番」とベースは同じでありながら、「区」という「漢字」が取れて数字だけになったのは、南区を超えて城南区まで行くことから、南区役所連絡バスのカテゴリーから外れるためと考えられる(ここから演繹的に考えると、「93~98番」の「9」という数字には、旧西区[西、早良、城南]の区役所の「ク」の意味があるという解釈もできる)。
また、「漢字」が取れて単なる「3番」ではなく「6番」という番号になったのは、当時(厳密には「6番」登場の前日まで)、福大病院には別の「3番」(福大病院~菊池ヶ丘~干隈~野芥~早良営業所~早良平尾~椎原・曲渕)が乗り入れていたこと、及び、大橋駅には別の「4番」「5番」が乗り入れていたことがその理由だと思われ、「6番」という番号は意味がなさそう(?)でいて一応意味がある。


7.90番台の位置づけの変化、拡大(1~3の補完→区役所連絡→博多ふ頭)2008年3月8日2012年4月17日の記事)

天神→中央埠頭間のバスは「80番」に統一されているが、この方式に以下の3パターンが加わる。

 天神→博多埠頭間       …  「90番」
 薬院駅→博多駅→中央埠頭間 …  「88番」
 博多駅→博多埠頭間      …  「99番」

となり、今までのように郊外部からやってきたバスに天神から乗る際に、バスの番号で行先を見分けるのが困難な状況がいくぶん改善される。
かつて、博多駅&天神~博多埠頭間については、表示の統一を図るべきでは?とか、LEDの利点を活かして、「80番」の例に倣い、番号と行先を完全対応させることが可能なのでは?などと好き勝手に書いてきたが、そういう方向に進んでいくのは嬉しいことである。

ただ、「90」「88」「99」という数字は、どうも直観的に紛らわしいのではないだろうか…。
本来なら、天神→博多埠頭は「90番」、博多駅→中央埠頭が「85番」、博多駅→博多埠頭が「95番」などのほうがうまく頭の整理ができそうだと思われるが、既に「95番」があるから難しかったのかな…。

天神→中央ふ頭間を「80番」に統一したことが、ここ数年進んできた都心部における行先番号統一の第一号であり、

天神→博多ふ頭の「90番」、博多駅→中央ふ頭の「88番」、博多駅→博多ふ頭の「99番」は、それに続く第二陣として行われた。
「80」「90」と「88」「99」という、一見法則性がありそうで、突き詰めるとなんだか変な番号が採用された背景については以前にも書いたことがあるが、「法則性」よりも「視認性」「シンプルさ」「覚え易さ」が優先されること自体は間違っていないと思う。

博多駅から中央ふ頭へのバスは、この時刻表の頃は「一日何本」というレベルだった訳だが、その後、現在までにずいぶんと増えた。
(つづく)
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see the light of day(12)

2017年02月01日 | バス━ 未分類
(つづき)
西鉄バスの行先番号についてまとめた記事に意外に反響があったので、今回は、行先番号とともに、このブログでこれまでとりあげてきた中で比較的大きなテーマである「バス路線のネットワーク化」に関する記事を、いくつかの切り口から拾ってみる。

まとめが続いていますが、ブログを春で終わらせるつもり…というわけではありません、とりあえず今のところ(笑)。

以下では、6つの過去記事を紹介します。
なお、基本的に記事をそのまま転載しているため、情報は当時のままです。


1.鳥栖駅で考える広域ネットワークの価値2009年1月17日の記事


佐賀県鳥栖市の「鳥栖駅前」のうち、「10番」の久留米行きと「8番」の小郡行きが停車するバス停。

「甘木」と「端間」の文字を隠したテープが剥がれかけている。

考えてみれば、かつては「鳥栖~小郡~甘木」「甘木~田主丸」「鳥栖~基山~筑紫野」「久留米~北野~小郡~鳥栖」「鳥栖~小郡~大刀洗」「大刀洗~三輪」「久留米~鳥栖~筑紫野~飯塚」…などの、各自治体間を結ぶ西鉄のバス路線があったわけで、現在と比較すればかなり高度なネットワークが形成されていたといえる。

現在でも西鉄バスの営業地域は広範囲に及んでいるが、路線廃止やコミュニティバス等への移管により、エリアをダイナミックにまたぐような路線は衰退しており、特に中小都市間では、バス路線のネットワークはほぼ壊滅している。

「路線を廃止する」というのは、その沿線への影響だけにとどまらず、広域的にみた場合の「損失」も大きいのかもしれない。

もちろん、ネットワークが形成されていたからといって、それをうまく乗り継いで移動するという人もそこまで多くはなかっただろうし、そもそも採算が合わないのだから、ネットワークがなくなったって別に「損失」ではないという意見もあるだろう。

ただ、個人的には、路線が「つながっている」ということに、つい価値を見出してしまうのである…。


2.「97番」にみる福岡市内バス路線のネットワークの形成過程2013年3月15日の記事


3月15日までの運行となった「97番」。

現在のルートは「姪浜駅南口~内浜西区役所前~都橋~下山門~中村~拾六町団地~野方」であり、「都橋」までの区間に行きたい人は「1-4番」「507番」、「中村」までの区間に行きたい人は「507番」、「中村」から先に行きたい人は「1-5番」に乗ればよいので、「97番」がなくなったからといって、ここ「姪浜駅南口」から行けなくなる場所がなくなる訳ではない。
ただ、他の路線の本数が増える訳でもないため、明らかに利便性は低下する。

このように“削れるところは削ってしまおう”というのが、今回のダイヤ改正の特徴のひとつ。


こちらは「97番」が運行を開始した昭和57年当時の時刻表。


そしてこちらはそれから5年後、昭和62年当時の時刻表。

西山行き、四箇田団地行き、姪浜(折り返し場)行き、藤崎行き、一本だけの新道経由、拾六町団地への乗り入れ、旧道から新道への乗せ換え、能古渡船場行き、都心まで足を延ばす「1-1番」、橋本駅行き…などなど、今日までいろんな変化を遂げてきた「97番」。
「90番台」の位置づけが、“「1番」「2番」「3番」の補完的役割”から“区役所連絡路線”に変化する中で登場した路線であり、西鉄バスの営業エリア(当時)の西端にへばりつくように走るのも特徴的で、私の好きな路線の一つだった。

また、「97番」の登場により、それまでは「狭義の終点」であった「羽根戸」「藤ケ丘団地」「下山門」の3つのバス停が一気に「狭義の終点」ではなくなったという意味においては、西鉄バス路線のネットワーク化、そして、福岡市の都市化の進展を象徴する路線でもあった。

その「97番」が、“削れるところは削ってしまおう”というポリシーで廃止というのは、これもまた、時代の流れを象徴する出来事といえるのかもしれない。

復活の可能性もない訳ではないと思うのだが、とりあえず31年間お疲れさまでした。


3.蛭池で考えるバス路線が自治体境界を跨ぐことの意義2010年4月16日の記事


「鵜の池」と同じく国道442号上に位置する「動物+池」だが、ここには堀川バスではなく、「JR羽犬塚駅~蛭池~八丁牟田~大川市役所~一ツ木~大野島農協前」を結ぶ西鉄バスの「無番」が停車する。
八女市街地~羽犬塚~大川の間はひたすら一直線であるが、広すぎない道幅がバス旅には心地よい(ただし、トラックも多いので、歩くと怖い箇所もあります)。

バス停には、「国、福岡県、大川市、大木町、筑後市の補助金により運行されています」という掲示があった。
もし仮に、各自治体が独自でコミュニティバスなどを走らせるようになると、このような自治体の境を跨いで運行されるローカル線は、存在が危うくなりそうだ。
柳川市~大川市~佐賀市を結ぶ「西鉄柳川~市役所前~御花前~北間~大野島農協前~早津江」の「6番」も同様といえるかもしれない。

各自治体の中をきめ細かいルートで結んで住民のニーズに応えること自体は決して間違いではなく、それが功を奏している例も多いと思う。
ただ、それによって、自治体を跨ぐ移動が困難になっていくことに対しては、もう少し目を向けてほしい気がする。
「となり町の大型商業施設や病院に行きたいけど、バスがない」ということはよくあることであり、「住民サービス」という観点からも、広域的な移動手段という視点も忘れないでいてほしい。 
春日市の徳洲会病院への「45-1番」の福岡市側からの乗り入れなどは、そのようなニーズに応えるものであるといえ、今後、西鉄バスが生きていくための選択肢のひとつとして、もっと積極的に検討していく余地があるのではないだろうか。
例えば、「72番」の古賀橋トリアス行きを、新宮町の「佐屋」まで延長して、「マリンクス」や「高速立花山」との乗り継ぎを可能にするとか…(「需要」という点では、まず実現は困難そうだけど…。あくまで「例えば」です)。
Kassyさんが、「Mほろば」「Mどか」「Yよい」「Kわせみ」の「渡り」をされていたが(ここだけ伏せ字にしても仕方ないですかね?笑)、これらのコミバスを横断的に繋ぐ「幹線」的なものが一本あれば、各「支線」の利用ももっと増えるのではないだろうか。

「国境は人間が勝手にひいたものであって、実際の地球の上には線なんてない」というような内容は、メッセージソングなどにありがちなテーマだが、バスについても同じようなことが言えそうである。


4.自治体の意向がバス路線ネットワーク衰退に強く作用する時代2011年4月24日の記事


「大板井」と「小板井」の間なので「中板井」かと思いきや、「小郡市役所」バス停。

小郡市内には、かつては「鳥栖~小郡~松崎~北野~久留米」「鳥栖~小郡~松崎~甘木」「鳥栖~小郡~松崎~乙隈」「鳥栖~端間~本郷」「基山駅~東野~小郡」「三国が丘駅~ニュータウン第一~原田駅~筑紫駅」…など、市町村、そして県の枠を超えて、様々な西鉄バスのバス路線が走っていて、バス路線のネットワークの「要衝」という感さえあった。
しかし、時代とともに次々に廃止となり、現在は、「西鉄小郡駅」のバス停一つだけが、鳥栖プレミアムアウトレット行きの起点として残るだけである(大分自動車道上の「高速大板井」は除く。また、「新津古橋」バス停は、小郡市内にはないものとして扱われている)。

西鉄バスに代わり、コミュニティバス6路線がそれぞれ数便ずつ、市内各所と市中心部(市役所、あすてらす〔福祉センター〕、文化会館など)を結んでいるが、西鉄の時代とは異なり、いずれも市内のみの運行であり、「バスで行くことのできる場所」は大きく様変わりしてしまっている(「西鉄白木原駅」でも似たようなことを書いた)。

一昨年9月の「17番」の三国が丘系統の廃止により、市内の「美鈴が丘」「希みが丘」などの住宅地から、隣りの筑紫野市にある商業施設ベレッサ(旧筑紫野とうきゅうショッピングセンター)やJR原田駅に行くことができなくなり、住民から改善を求める声があがっていた。
そして、今月1日から、自治会が独自で運行する住民用のミニバン「ベレッサ号」がスタートしている。
「ベレッサ号」は、「美鈴が丘」「希みが丘」それぞれ週2日ずつ、一日4便が運行されているとのこと(運転手さんはボランティアだそうです)。

西鉄が開発した住宅団地が多く含まれる地区であるにもかかわらず、住民の方(かた)がバスのことでここまで苦労しないといけないというのは、なんだかやりきれない感じもする。
ゆくゆくは、「隣接する筑紫野市と共同でコミュニティバスを運行」…みたいになって、この苦労が報われればいいなと思うのだが、先行きやいかに。


5.大型商業施設がバス路線ネットワーク再形成に与える影響2010年6月1日の記事


筑紫野市の「イオンモール筑紫野」バス停。

オープンと同時(オープンの何日か前でしたっけ?)に、「西鉄二日市~JR二日市~むさしケ丘団地」を運行していた「2-2番」の大部分が、ここ「イオンモール筑紫野」を複乗(一部はイオンモール筑紫野で終点)する「2-3番」に振り替えられた。

バス停には、土日祝日には車両混雑による遅延の発生が予想される旨の告知があった。
イオンモールに用がなく、団地と駅の間を利用したい人にとっては気の毒に見えてしまう。
ちなみに、告知には「約30~50分の遅れ」と書いてあり、ゾーンを指定してかなり具体的に「予想」しているのが、なんだか面白かった(1~29分の間の遅れは基本的にないということだろうか??)。

周辺の「イオンモール」としては、福岡都市圏東部に「イオンモール福岡ルクル」、北九州都市圏南西部には「イオンモール直方」がある。

「イオンモール福岡ルクル」(開業当初は「ダイヤモンドシティ福岡ルクル」)には、西側から「32番」(現在は「30番」)「空港~ルクルの無番」が、東側から「36番」が乗り入れることにより、バス路線がつながった。
「イオンモール直方」には、北九州市側から「53番」、直方市側から「直方バスセンター~イオンモールのシャトルバス」などが乗り入れることにより、ここでもバス路線がつながった(ルクルのほうは、のりばがかなり離れてますけど)。

「野芥交差点~田隈小学校前交差点」「干隈交差点~東七隈交差点」「東比恵交差点~瑞穂交差点」「中津口交差点~三萩野交差点」…など、路線の廃止や大幅な減便により、路線やバス停単体ではなく、それらを総合体としてみた場合の「使い勝手」が悪くなるという事態(このブログではしばしば「ネットワークの崩壊」という言葉で説明している)が進む中、「イオンモール」のような大型商業施設は、逆に、ネットワークを構築する作用をもたらすといえ、バスが今後生き残っていくための頼みの綱(ネットなので“頼みの網”でしょうか)といえるのかもしれない。

ここ「イオンモール筑紫野」には、「2-3番」と反対側(東側)からはバスの乗り入れはないものの、東側にはJR天拝山駅、そしてそこから少し行くと西鉄朝倉街道駅があり、交通機関のネットワークの構築という観点からは、それが達成されている。

ちなみに、粕屋町の「イオンモール福岡ルクル」行きのバスは、行先表示が「イオンモール福岡」となっているのだが、福岡都市圏にもうひとつの「イオンモール」である「筑紫野」ができたことから、「イオンモール福岡」という表現は、今となってはやや曖昧に見える(バス停の時刻表には単に「イオンモール」とだけ書いてあり、もっと曖昧である)。
字数も多いことだし、そろそろ単に「ルクル」とかでも伝わるのでは?…と考えるのだが、いかがでしょう。


6.今も孤軍奮闘する「75番」2009年5月1日の記事


平成8年11月10日時点の、赤間~直方を結ぶ「75番」及びその支線「10番」の時刻表の一部。

当時はネオポリス~高六は「10番」として運行されていた。
「75」という番号は、宗像地区の番号としては異質なので、もともとは、黒崎~香月~直方の「70番」や、黒崎~畑観音の「72番」など、八幡西~直方エリアの「70番台」のひとつという位置づけだったのかもしれない(このエリアの変遷にはあまり詳しくないので、間違っていたら指摘してください)。

当時、赤間~直方間は平日23往復運行されていた。
現在は12往復とほぼ半減しているが、なんとか生き延びている。

中小都市間における西鉄バス路線のネットワーク崩壊については、これまで何度か取り上げたことがある。
この路線は、宗像市と直方市を結んでおり、ネットワークの崩壊を必死で阻止しているようなルートになっている。
赤間から直方までを乗り通す人はおそらく少ないと思われるが、途中で切れてしまうことがないよう願うばかりである。

(つづく)
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