INSIDE SORAMAME

私の頭の中のキオクを綴っていくつもりです・・

no alternative(4)

2010年05月28日 |   ┣ no alternative
(つづき)
福岡市博多区の「堅粕」バス停。
電照式ではないのに英字表記があるタイプのバス停は、福岡地区ではあまり見かけなくなった。

行先案内にある「隣保館、明治通経由大名二丁目行き」は、今はなき「41-1番」(「50番」から改番して「41-1番」になった)である。

現在は、金隈(バス停的には「金隈」、町名的には「金の隈」であり、「桜(ケ)丘」とは逆のパターンである)と博多駅を結ぶ「43番」がわずかに停車するだけであり、このバス停からは終点の「博多駅」にしか行けず、路線図も見事に「no alternative」である。

「43番」はもともと、「雑餉隈営業所~中~金隈~板付~東光町~堅粕~博多駅~明治通~天神~赤坂門~薬院大通~動物園」というルートで運行されていたが、郊外部&都心部の両端がそれぞれ切れて、真ん中だけが残っているという点では「68番」にも共通するものがある。
なお、「43番」自体は、「雑餉隈営業所~中~金隈~宝満尾~福岡空港」という新たな系統ができ、現在はそちらがメインとなっている(緑橋経由の「33番」廃止後、無番の「金隈~福岡空港」を経て、登場したという記憶がある)。
「金隈~博多駅」の「43番」と、「雑餉隈~福岡空港」の「43番」は、「金隈~月隈間」のほんのわずかな区間しか重複しないのに、どちらも同じ「43番」という状態になっている(「タワー~博多駅」と「博多駅~ゆめタウン博多」の「15番」よりはましだろうか??)。

もともとの「43番」は、「41番」と兄弟関係にあり、ともに雑餉隈と福岡都心部を結んでいて、「麦野経由」(41番)か「金隈経由」(43番)か、という違いだったのだが、今では「兄弟」の面影は薄くなってしまった。
現在、「東光町」と「博多駅」の間は、「43番」がここ「堅粕」に停車するのに対して、「41番」は東光橋を渡るためどこにも停車しないのだが、以前はどちらも堅粕経由だったと思う(←もともとは東光橋自体がなかったんでしょうけど)。
なお、「兄弟」であるにも関わらず、「44番」と「45番」、「47番」と「48番」「51番」と「52番」「56番」と「57番」…のように、番号が続いていないのは、当初「42」という番号を忌み嫌ったためではないかと推測される。
同じく忌み嫌われそうな「44番」も、もともとは「45番」の一部だったものが、のちに分割されたと思う。
そして、「42」についても、その後、番号が足りなくなって、縁起を担ぎ続ける訳にもいかなくなり、「春日~大橋線」の番号として使われるようになり、現在に至っている。
ただ、この「42番」は、福岡市内線というよりは春日ローカル線といったほうがよさそうなルートであり(方向幕の行先番号も丸数字)、敢えて「42」を付ける必要があったのか?という気もする。
しかしもっと深読みすれば、“はじめは大橋駅までの運行でスタートさせるが、いずれは天神や博多駅など、福岡都心部に乗り入れてみせるぞ!”という密かな「野望」があったのかもしれない。

“「東光町」と「博多駅」の間は、「43番」がここ「堅粕」に停車するのに対して、「41番」は東光橋を渡るためどこにも停車しない”と書いた。
「41番」の博多駅行きに乗っていると、「このバスは堅粕を通りません」というアナウンスを耳にする。
「43番」の博多駅系統がそこそこの本数走っていた頃は、少なからず乗り間違えが発生していたためだと思われる。
「A」という系統はバス停「あ」とバス停「う」の間にバス停「い」に停車するのに対して、「B」という系統は「あ」と「う」の間にどこにも停車しない(「あ」と「う」の間にバス停自体が一つもない)というケースは、その案内が意外に難しい。
「堅粕を通らない」からといって、バスの行先表示に「堅粕通過」などと表示すると、「堅粕」という文字だけを見て、逆に「堅粕に行くんだ」と思われてしまう可能性が高く、下手に表示できないというジレンマがありそうな気がする。
「あ」と「う」の間に、「い」に対応して「い´」というバス停があるのであれば、一気に問題は解決するのだが、そのためだけにバス停を設置するのも本末転倒である。

赤間急行」で、広陵台の住宅地の中に入らないで、そのまま日赤看護大学に向かう便については、天神バスセンターの時刻表では「広陵台中央公園直進」という案内をしているし、北九州市営バスで若松市街地に立ち寄らずにそのまま若戸大橋に乗って戸畑、小倉方面に向かうものは「大橋直行」という表現を使う(←今は違いますかね?)など、同種の系統では、いろいろと苦心の跡がうかがえる。
「39番」(福岡空港~豊二丁目間)のように、「快速」という表現を使う手もあるが、「43番」に対して「41番」が快速か?といえばそれはどうも違う気がするし、「42番」や「45番」の女学院を経由しない便などについてはなおさらである。
一方で、「熊西局通過」のように、通過する停留所をストレートに出す例もあって、このあたりはケースバイケースといったところだろうか。

以前、早良妙見東口と片江営業所を結ぶ区間便(無番)に「福大病院に立ち寄るもの」と「福大病院に立ち寄らないもの」があったとき、前者の行先表示は普通に「福大病院 片江営」であるのに対し、後者は「倉瀬戸 片江営」と表現されていた。
前者も「倉瀬戸」(現在の「西片江二丁目」)を通るので、「倉瀬戸 片江営」という表示では「福大病院に立ち寄らない」ことの直接的な説明にはなっていない。
ただ、またまた深読みすれば、「福大病院の近くに行くにも関わらず、福大病院と書いていない→福大病院に立ち寄るのならば、きっとその旨を表示するはずなのに、そのすぐ近くの倉瀬戸だけが書いてある→ということは、福大病院には行かないのでは?」ということをどうにか感じ取ってほしいというメッセージのように私には見えた。

ここ「堅粕」も、廃止候補にあがっている。
「43番」の堅粕経由は空港通り開通前のルートの名残り、そして「41-1番」は博多駅が現在の位置に移転する前のルートの名残りであると思われる。
来年、博多駅が生まれ変わろうとしている現代にあって、時代に取り残されたまま、その役割を終えてしまうかもしれないと思うと寂しいものがある。
(つづく)
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近い遺産(34)

2010年05月27日 |    ┣ 近い遺産
(つづき)
西鉄赤間営業所のバスターミナルの、北九州方面のバスが出る1番のりば。
…といっても、現在、ここから北九州市に行くバスは出ておらず、「1のりば [20]」の背後に、うっすらと「[20]北九州」の文字が見えるだけである。

路線図の「空白」が、かつての栄華を物語っている。

時刻表を見てみると、朝と夕方にJR海老津駅行きがたくさんやってくるように一瞬見えるのだが、実際は、平日と土曜日の時刻が一緒に表示されており、それを記号で分ける方式が採られているため、見た目ほどの本数はない。
平日・土曜日・日曜祝日の3本立てダイヤになってからかなりの年月が経つものの、このターミナルの時刻表は、依然この形式が主流である。
ダイヤ改正のたびに、記号をあれこれ貼って作るのは面倒なのでは?といつも思うのだが、この形式、いつまで続くのだろうか…。
(つづく)
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Day Tripper(10)

2010年05月26日 |   ┣ Day Tripper
(つづき)
福岡市の西の副都心だった早良区の「西新」。

地下鉄七隈線開業により、福岡市西南部と都心部の間の交通の結節点としての機能はすっかり弱まり、現在では、市外からコミュニティバスがわずかに乗り入れるだけの、こんなに長閑な風景になってしまった…というのはです。
(つづく)

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ろくねんめじゃねえ

2010年05月24日 | このブログについて
おかげさまで、「INSIDE SORAMAME」は本日で五周年を迎えた。
タイトルはいきなり否定から入ったが、たしかに本日から「六年目」である。
なお、このタイトルは、マリンクスの車庫の近くにある某霊園のCMソングを歌っている歌手のヒット曲より引用。

私自身のこのブログに対する考え方は、1,000件目のとき四周年のときなどにあれこれと書いており、それ以降、特に心境の変化もない(ただし、思いつきで何年かぶりに「テンプレート」を変えてみた)。
まあ、「相変わらず」で続けていられることが何よりなのかもしれないけど。

みなさんからいただくコメントが、キオクの欠落を埋めるピースとなり、アイディアの源泉となり、そして、記事を書く原動力となっています。
コメントへの返信が遅くなったり、失礼なことも多いとは思いますが、今後とも、ご愛顧のほど、よろしくお願い致します。

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シューテングスター(51)

2010年05月23日 |    ┣ シューテングスター
(つづき)
福岡市南区の「レークヒルズ野多目」バス停。

東若久」「若久団地」「星の原団地」などとともに、(「都市部の沿岸部の狭義の終点」に対して)「都市部の内陸部の狭義の終点」(←「の」が多いですけど)である。

現在ここからは「48番」「48-2番」が、大橋駅塩原橋博多駅博多ふ頭方面に運行されている。
「16番」のみが通る城南区の「片江小学校前」「片江三丁目」、「73番」「73-1番」のみが通る東区の「若宮一丁目」などともに、「なぜか天神行きのバスに恵まれないバス停」という分類もできるかと思う。

「レークヒルズ野多目」の次は、「レークヒルズ中央」、その次は「レークヒルズ入口」である。
「レークヒルズ」の後に付くコトバが、「野多目」と「中央」「入口」で、「階層」が一致していない
「レークヒルズ野多目」を固定するならば、「レークヒルズ野多目中央」「レークヒルズ野多目入口」、そして現在の「レークヒルズ野多目」は「レークヒルズ野多目北」とでもしないといけないし、「レークヒルズ」を固定するならば、「レークヒルズ北」「レークヒルズ中央」「レークヒルズ入口」などにしないと統一感はない。
ただ、「野多目」という地名は入れておきたいし、かといって、全てのバス停に「野多目」を入れると、名称が長ったらしくなってくるし…ということで、「総合的な判断」で現在の名称に収まっているようにも見える。
「下野北」「下野中」「下野南」「下野」や、「野方台団地」「上野方台団地」「野方台」など、深く考えるよりはとりあえず現状をそのまま受け入れておいたほうがよさそうな名称群も多く、ここ「レークヒルズ」もそのひとつと言えるかもしれない。

4月16日の「愛をください」以降続けてきた、“シリーズものの記事を重複させないで(同じシリーズを登場させないで)どこまで続けることができるか”だが、とりあえず今回で「終点」である。
ただし、明日からもこのブログは続いていくので、「狭義の終点」ではなく「広義の終点」ということで…。
(つづく)
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20XX年X月XX日ダイヤ改正(3)

2010年05月22日 |    ┣ 思惑と提案
(つづき)
以前、千早駅を起点とする路線の少なさの打開を意図して、香椎地区の新たな路線の妄想してみたことがあった。

これ以外にも、このブログでは、ことあるごとに、新たな路線や現行路線の改善案などを勝手に書かせてもらっている。

「1番」の細分化、「天神→博多駅・県庁」「天神→タワー方面」の番号統一、「23番」新宮緑ケ浜系統の「26番」への改番「205番」西陵高校系統の「206番」への改番「4番」の西鉄名島駅経由へのルート変更「3番」の椎原~曲渕…など、予想が当たったものもわずかにある一方、堤ランプを通る「800番台」野芥ランプを通る「170番」外環状道路を通る「53番」や「600番」、「福岡空港~ルクル~太宰府」、「福岡空港~大橋駅」、「博多駅~薬院駅~赤坂門方面」…などなど、実現していないものも数多くある。

今回は、ここ最近考えているものを「走り書き」しておきたいと思う。

・「22-1番」の強化
現在の、高須磨町・名島経由から、名島弁天橋・名島運動公園経由に変更し、終点を香椎浜営業所から、香椎、西鉄香椎、和白経由で大蔵まで延長(「23番」大蔵系統は廃止)。
先日のダイヤ改正で、若宮田・舞松原地区からイオン香椎浜SCに向かう「24N」が新設され、今後は、「都心」だけでなく「ショッピングセンター」への足という視点も、より重視されると考えられることから、既存の「22-1番」に、「都心と箱崎ふ頭地区を結ぶ機能」に加え、「唐の原~和白方面とイオン香椎浜を結ぶ機能」も担わせることにより、利用率を高める。

・「46番」の経路変更
現在の「~五十川~井尻一丁目~井尻駅入口~折立(下りのみ)~井尻六ツ角~桜ヶ丘公民館前~」というルートを、「~五十川~井尻一丁目(新道上に移設)~井尻二丁目(新道上に新設)~井尻駅(踏切)~井尻駅前~井尻六ツ角~桜ヶ丘公民館前~」に変更。
46番」は、先日のダイヤ改正で、井尻六ツ角~雑餉隈営業所間の回送区間で営業運転が行われるようになったが、西鉄電車の井尻駅を通らず、かつ、下りの「井尻六ツ角」バス停は、「42番」が六ツ角を斜め右折するために交差点のかなり手前に設置してあることもあり、井尻地区を通り抜ける割に、その利便性を十分に発揮できていないと思われることから、ルート変更を考えてみた。

・「福岡都心ライナーⅡ」の登場
4月1日より、一方向のみの循環で運行されている「福岡都心ライナー」だが、「逆回り」を考える場合、全く同じルートでは面白み(?)がないので、以下のようなルートで新設。
博多駅A乗り場→渡辺通一丁目→薬院駅前→警固町→法務局前→天神三丁目→天神日銀前→呉服町→博多駅交通センター】(表示停留所にのみ停車)

…いかがでしょうか。
(つづく)
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初夏のにおいの西鉄香椎2010

2010年05月21日 |    ┣ ○○の西鉄香椎
西鉄香椎シリーズ」には記事の番号を付けていないため、これが何番目の記事なのかは正直よくわからない(かといって、番号を付けていても何番目かをよく把握していないものもあるのですが…)。

一番最初に取り上げたときは、まだ「西鉄香椎駅」の旧駅舎も現存していて、新しい駅舎が利用開始を待っている状態だった。
それから時は流れ、現在は、土地区画整理事業に伴う道路整備が周辺で進行中である。
駅の北側では、国道3号の「御島崎」交差点から、県道町川原福岡線(「23番」の下原系統が通る道路)に抜ける道路も開通している。
建物はまだほとんど建っていないため、「御島崎」交差点から西鉄香椎駅方面を見渡すこともできる。

一方で、「西鉄香椎」の折り返し場から発車するバスは、「2番」「3番」「29N」がなくなり、試行運行の「西鉄香椎~マリノアシティ」も試行期間終了を待たずに運行を取りやめるなど、「IIK」は一貫して低下傾向にある。
新道を利用して、「23番」の下原系統を西鉄香椎(現在のセピア通り上ではなく、写真の西鉄駅前のほう)経由にすれば、セピア通りと県道町川原福岡線が交差する交差点(←「交差する交差点」は重複表現ですが、「~と~が交差する点」や「~と~の交差点」ではいまいち伝わりにくいことから、敢えて用いています)の危険な状態を解消できそうだが(←狭い道を一生懸命曲がる姿が、この路線の醍醐味であることは事実なんですけどね)、JR香椎駅からは遠くなってしまうことから、利用者にとってはあまりメリットはないだろうか。
それならば、女子大前方面から来た「21番」「23番」などを、新道経由で西鉄香椎に立ち寄らせる…ということも考えられるが、従来よりもJR香椎駅に行き易くなることから、敵に塩を送るようなことはしないかな(「21番のみ乗り入れ」みたいなことはあり得るかもしれないけど)。

「IIK上昇」の朗報を気長に待ちたいと思う。

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続・一週間に一本だけ(7)

2010年05月20日 |    ┣ 一週間に一本だけ
(つづき)
福岡県糟屋郡須恵町の「古の添」バス停。

現在は、佐谷宇美営業所を結ぶ「無番」が土曜日に一本走るだけである。
なお、西鉄ではなく、コミュニティバスのほうは、本数は多くないものの「週に一本」ということはなく、一応毎日走っている。

もともとここは、「36番」の今はなき「佐谷経由」のルートであった。
また、このバス停には停車しないものの、飯塚と福岡空港をしょうけ越え経由で結ぶ特急バスもここを走っていた。

「36番」が「新原経由」に一本化され、佐谷地区が天神ではなく地下鉄福岡空港駅と結ばれるようになった際、ここ「古の添」や「上の原」を含む佐谷から先の部分は免許維持化され、現在に至っている。
なお、佐谷と福岡空港を結ぶ路線も、合理化の中で試行錯誤を繰り返しており、「37番」→「37-2番」→「4番」→「5番」と、ルート、行先番号ともにいろいろと変わっている。

もし仮に、「上宇美」にある西鉄ストアの規模が現在よりも一回りか二回り大きかったり、国鉄勝田線が廃止にならずにJRの路線として賑わっていたり、現行の「370番」「390番」よりも速く天神に行ける速達路線があって上宇美がその乗り換え拠点として機能していたりしたならば、佐谷から先が免許維持化されることはなかったかもしれない。
が、現実は厳しくて、現行の免許維持路線についても廃止の方針が打ち出されている。

約5年前に「一週間に一本だけ」を初めて書いたときは、福岡都市圏だけでも結構な数の免許維持路線があったのだが、その後、ダイヤ改正を経るにつれ、そのような路線は次々に消えていっている(特にここ一年間での減り方が著しい)。
「一週間に一本だけ」しかバスが来ないバス停が、西鉄グループからなくなってしまう日が来る可能性もありそうだ。
(つづく)
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アナザーショット(25)

2010年05月19日 |   ┣ アウトレット
(つづき)
以前の「引野口」の記事と同じ日に撮った写真である。

北九州地区の西鉄バスの側面LED表示における行先番号は、写真の「53番」のように数字を四角で囲んでいるのに対し、福岡地区では四角囲みはなく単に数字のみである。
たしか、福岡地区でも、LED導入当初は四角で囲んでいたような気もするが、記憶が定かではない。

「四角で囲む」ことにより、「ここに番号が書いてありますよ」ということがわかりやすくなるという面はあると思うのだが、数字のサイズは、「四角なし」の場合よりもどうしても小さくなってしまうことから、「見易さ」という観点からは劣るような気もする。
LED導入からある程度の期間が経過した現在でも、「四角囲み」を変えていないのには、何らかの「こだわり」があるのかもしれない。

ここからは、側面だけでなく、前面・側面・後方に共通する話。

方向幕の時代、初め(←といっても、私が物心ついたときが基準ですが)は、行先番号は“丸(○)の中に数字”だったものが、後に、“四角(□)の中に数字”に変更となった。
三桁の行先番号の登場枝番の増加などに対応し、数字を表示できる部分の面積を少しでも増やして、視認性を高めるという意図があったのだと思う(前面方向幕における行先番号の位置が左端から右端に移動したのも、「見易さ」の追求の結果と考えられる)。

一方で、福岡都市圏南部の西鉄春日原駅西鉄下大利駅などを起点とする路線(「1番」「2番」「6番」「7番」「8番」「10番」「11番」「12番」「20番」「21番」「22番」「23番」など)については、番号の四角化が進む中でも一貫して“丸(○)の中に数字”であった(前面の行先番号の位置は右に移ったが)。
1桁、2桁であれば丸数字でも十分伝わるし、丸数字が長年定着しているから…という理由かどうかはわからないが、これにも何らかの「こだわり」のようなものを感じていた。

この「こだわり」により、「行先表示がLED化されても丸数字が継続するのでは?」と考えていたのだが、そんなことはなく、あっさりと四角化されてしまって、かなり拍子抜けしたものだった。
(つづく)
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素顔のままで(21)

2010年05月18日 |    ┣ 素顔のままで
(つづき)
福岡県柳川市の「警察署前」バス停。

西鉄バス堀川バス2社のバス停が並んで建っているが、運行本数はご覧のとおりであり、かつ、反対方向にはバスが走っていない。
もし、柳川を徒歩で散策している観光客が、歩き疲れてバスにでも乗ろうかと思い、バス停を探して歩き回って、ようやく遠くにバス停を見つけて近づいてみたところ時刻表がこれだったら、その落胆は計り知れないかもしれない。

ちなみに、西鉄のサイトで検索すると、名前に「警察署」を含むバス停は11箇所、「警察署前」を含むバス停は7箇所あり、単に「警察署前」という名のバス停もここ以外に2つある(「公園前」「農協前」でも同様のことを書いた)。
「警察署」は、その地域を管轄するものであるから、バス路線が、その地域内の輸送を主としているのであれば、バス停名が「柳川警察署前」でなく「警察署前」であっても何の問題もないといえる。
ただ、西鉄の全バス停の中から特定のバス停を検索することができるようになった昨今では、“「警察署前」って、どこの警察署の前なの?”ということにもなり、このあたりの兼ね合いは難しい。 

こう考えると、地方都市のターミナルから「空港行きのバス」と言って、“どこの空港を指すのかわからない”という状況はある意味異常であり、空港の「造り過ぎ」を象徴しているといえるのかもしれない。
(つづく)
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もう少しだけ、宮地岳(7)

2010年05月14日 |   ┣ 宮地岳と昭和
(つづき)
西鉄宮地岳線の部分廃止(西鉄新宮~津屋崎間)の約一年前に初めて書いた「もう少しだけ、宮地岳」。
部分廃止の実施から既に3年以上が経過し、また、同時に「宮地岳線」から「貝塚線」に路線の名称も変わっている。

部分廃止に伴い、その代替路線として、写真の「26A」(津屋崎系統)、「5番」(西鉄新宮駅~古賀~福間~津屋崎橋)、「1-3番」(西福間三丁目~JR福間駅~光陽台六丁目)が運行を開始したが、「1-3番」はわずか二年で廃止となってしまっている。

“部分廃止まで宮地岳線を使っていたが、現在は「26A」の津屋崎系統を利用している”という、本来の意味で「代替路線」として利用している人ってどれくらい居るのだろうか。
もし、部分廃止の前後で西鉄バスにも宮地岳線にも「nimoca」が導入されていれば、そういうことも調べられるのかもしれないけど、個人の行動に踏み込むようなことはやっちゃいけなかったりするのかな?

国鉄筑肥線の博多~姪浜間廃止に伴い、国鉄から代替バスへの利用に移行し、現在でも「69-1番」を使っているという人も居るかもしれない。
(つづく)
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昭和の末期 それから(7)

2010年05月13日 |   ┣ 宮地岳と昭和
(つづき)
平成15年10月1日時点の昭和バス(芥屋線、師吉・船越線、野北線)の時刻表。

これらの路線は、一部を除き、本数を減らしながらも現在も、糸島市コミュニティバスではなく「昭和バス」として生き延びている。

当時あった、一般道路経由で福岡市中心部と糸島地区を結ぶ路線は、現在は全滅している。
昭和バスが福岡市内まで来なくなったら、西鉄の「1番」が前原まで延びるのか?などと当時は考えていたが、現実はそんなに甘くはなかった。

博多駅から船越への急行とか、もっとちゃんと乗っておけばよかったなぁ…と、後悔先に立たず。
(つづく)
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欠番を訪ねて(42)

2010年05月12日 |    ┣ 欠番を訪ねて
(つづき)
福岡都市圏の西鉄バスの行先番号の「欠番」を紹介してきた本シリーズ。

これまで数字の小さい順に「20番」「30番」「35番」「53番」「54番」「60番」「70番」「71番」「79番」「83番」「84番」「85番」「86番」「87番」「88番」「89番」「91番」「92番」「100番」、そして、後に欠番となった「5番」を紹介した。
「100番」以降も、「101番」「103番」「209番」など、まだ取り上げてない「欠番」があるのだが、手を付ける気が起こらないまま数年が経過してしまっている…。

その後、「20番」と「54番」は今年3月27日に、「30番」は昨年3月23日に、「88番」は2008年3月15日に、そして、「5番」も昨年3月23日に、それぞれ再び欠番ではなくなった。
一方で、同じく昨年3月23日に、「18番」が新たに欠番の仲間入りをしている。
こうやてみると、行先番号というのはまるで「生き物」のようだ。

写真は、「博多駅~城南線~六本松~原~壱岐農協前~橋本~野方」を走る「214番」。
もしこの路線が開設される際、「18番」という番号が欠番だったとしたならば、かなりの確率で「18番」になっていたと思われる。

「18番」(片江営業所~福大病院~七隈四角~茶山~六本松~城南線~博多駅。一時期は、この先の県庁(吉塚営業所)まで)は、大部分で地下鉄七隈線とルートが重複することから衰退してしまった訳だが、「18番」の左隣り(←直感的な書き方ですが)の「17番」、右隣りの「16番」は健在である。
七隈線の影響力が、主に城南学園通り沿いにしか及んでおらず、広いエリアにあまり波及していない、言い換えれば、大量輸送機関としての成長余力がまだまだあるということを示しているという見方ができるのかもしれない。
(つづく)
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どうでもいいですよ(9)

2010年05月10日 |   ┗ どうでもいいですよ
(つづき)
約4年ぶりの「どうでもいいですよ」。

14.感田電停
…という文字をみると、ついビリビリきてしまう。

15.赤間急行
天神から赤間急行に乗って「蔵本」を通過後、「これより先、とまります停留所は、産業大学南口、東部青果市場前、平山…」という、全停留所を案内する自動アナウンスが流れるのだが、自動アナウンスで各停留所名がアナウンスされる前に自分で暗証し、アナウンスで答え合わせをしている自分が居る。
当然、声には出しませんけど(笑)。
住吉四丁目」の記事で書いた、“バス停の路線図や、バスの車内に掲示されている路線図が遠めからしか見えず、字が読み取れないとき、位置関係や線の色のつながり方、文字数の長短などから、停留所や行先番号を推測することを無意識のうちにやってしまう”というのも同様。

現在、4月16日の「愛をください」以降、シリーズものの記事を重複させないで(同じシリーズを登場させないで)どこまで続けることができるかを勝手に展開しているため、最近ご無沙汰だったシリーズもいくつか登場させている。
「どうでもいいですよ」は、前回の記事をいつ書いたか定かではないため、(9)ではなく、もしかしたら(10)や(11)の可能性もあります(←これこそ“どうでもいい”ですけどね)。
(つづく)
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お宝?(14)

2010年05月09日 |   ┣ お宝と縁起物
(つづき)
このシリーズではこれまで、ラジオやその他の懸賞で当たった景品、自ら購入したり街頭でもらったグッズなどを紹介してきたが、今回は本物の「宝」である。

福岡市では、「千代町」「警固町」などの旧町名の後に「丁目」を付ける場合、「千代一丁目」「警固二丁目」のように「町」が取れるケースが多いと思うのだが、春日市では「宝一丁目」「光三丁目」「春日原北四丁目」などとはならず、「宝町一丁目」「光町三丁目」「春日原北町四丁目」など、「町」が取れなかったケースが多い(←一つ一つ検証した訳ではなく、イメージで書いているので、事実誤認の可能性もあります)。
このあたりは、自治体の考え方次第なのだろうか。

また、春日市には「住居表示」というものがなく、「地番」が「住居表示」のように機能しているという珍しい市でもある。
そういう意味でも「お宝」かも。

ここ「宝町」を通る路線は「45番」と「45-1番」だが、行先番号の種類の割に系統数は多い
天神や福岡タワーまで行かなくなり、都心部では影が薄くなってしまった感がある「45番」だが、郊外部では、福岡女学院がある限り賑わいが続きそうだ。
ただ、都市計画道路長浜太宰府線の、三宅本町から寺田池までの間が開通すれば、人の流れが井尻から大橋にシフトする可能性はある。

私が子供のころは、昇町方面から来た「45番」は宝町交差点を左折して、県道福岡筑紫野線を北上、岡本交差点を右折して雑餉隈営業所に向かっていたが、後に、宝町交差点を直進する「大和町一丁目経由」ができ、両者が併存していたが、その後、現在の「大和町一丁目経由」だけが残った。
それより昔は、「45番」は「唐梨経由」だったという記述をどこかで見たこともあるのだが、その頃のことは知らない。
(つづく)
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