山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

緑茶と紅茶との相克

2017-05-13 16:45:56 | 読書
 午前中は大雨だったが夕方にはおさまり、ツツドリの声が霧の狭間から新芽鮮やかな茶畑に聞こえてくる。
 偶然にも、角山(ツノヤマ)栄『茶の世界史ー緑茶の文化と紅茶の世界』(中央公論新社、1980.12)を読み終える。
 同じお茶でありながら、緑茶と紅茶のたどった「数奇な」運命を経済史家らしい視点からそれを解明してくれた。
 それは、イギリスが緑茶ではなくなぜ紅茶を導入していったのか、というところに全ての鍵があるようだ。

                                 
 著者によれば、16世紀ごろ西洋より東洋のほうが豊かだったために、王侯貴族は飲茶・料理・食器をはじめとする東洋文化に憧れがあったという。
 それが世界の紅茶の半分がイギリスが消費すると言われるほどになっていくのは、産業革命・植民地支配と関係する。
 高価だった輸入紅茶にさらに高価だった砂糖を入れて飲むことは、奢侈贅沢の象徴だった。

                               
 近代砂糖の歴史は、奴隷貿易と奴隷労働を内包したイギリスの攻撃的侵略的帝国の歩みでもあった。
 さらに、中国茶の支払いはアヘンと武力で、インド茶の栽培は植民地的大規模プランテーションで他国を凌駕していく。
 その先兵となったのがイギリス東インド会社だった。

     
 遅れて開国した日本は突然グローバル化の波に飲まれ、日本茶輸出のノウハウや市場調査の情報に疎くいまだに低迷が続く。
 言うなれば、日本の緑茶は茶道に表現されるように精神的・癒し文化であり、その作業工程はいまだに家庭内手工業生産だ。
 それに対し紅茶は、資本主義的大量生産を背景とした「商品」として世界を席巻していく。
 その辺の事情を著者は、明治以降の海外の「領事報告」から解明していく手法は鮮やかだ。

                              
 そして著者は「あとがき」で語る。
 「日本茶は<商品>としての競争に敗れたとはいえ、はたして茶の<文化>までともに滅びたといえるのかどうか。
 茶の世界史は近代物質文明における人びとの生き方を、私たちに問うているように思えるのである。」

      
 剛腕なアナリストとして日本で活躍していたイギリス人アトキンソンは、金融資本の在り方に疑問を持っていたとき、茶道に出会う。
 それ以来日本文化の奥行きに魅せられ、現在文化財修復の大手だった小西美術工芸社の経営再建の社長としても辣腕をふるっている。
 緑茶のこんな文化的精神的役割が静かに進行している。 


コメント
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