山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

終戦直後の良心・長與善郎

2019-09-05 08:49:52 | 読書

 本の片づけをしていたらやはり奥のほうから薄汚れた古本が出てきた。白樺派の長與善郎『一夢想家の告白』(朝日新聞社、1946.5)だった。戦時体制に対して終戦直後の良心的知識人の考えがわかるかも、とすぐ処分しないで読んでみる。わら半紙のような煤けた用紙に薄く印字されているので、虫眼鏡を頼りに解読する。だがしかし、漢文の素養がある作者の語彙は漢和辞典なしにはすすめられなかった。また、西洋の知識も造詣が深く、混乱する終戦直後の良心的な知識人の一翼をになっていたのがわかる。

           

  中扉に描かれた「スミドロン」の白骨の頭部の絵が象徴的だった。スミドロンはジャガーに近い古生物。その鋭い牙で地上の覇者となった。しかし、成長しすぎた牙は自らの命取りとなり、絶滅してしまう。作者はそれを満州事変を起こした関東軍の侵略的膨張とだぶらせている。ここに本書のすべてを表現させようとしているところはさすが芸術的な白樺派だ。長与一族は華麗なる一族でもある。父は内務省衛生局初代局長で、日本の医療制度の開拓者。長男の妻は後藤象二郎の娘。長姉は松方正義の長男の妻。三兄は東京帝大総長で、その妻は森村財閥創始者の娘。四兄は同盟通信社初代社長。

 善郎は、戦時中の軍部の侵略的戦果に溜飲が下がる喝采を秘かに送っていたことを告白している。しかし、軍部が犯した侵略的略奪や殺戮に対しては「知らなかった」として済ましているように思える。そのへんの甘さはやはり華麗なる一族・白樺派のお坊ちゃん的限界なのかもしれない。

                       

 国民が戦時体制に巻き込まれた原因について、善郎は「国民に自主性が足りなかった」と結論づけた。つまり「ものを判断し批判する物さしを常に外と他人とに置き、自らの内に真理と正しさとに対する自覚がはっきりしていなかったからである。物さしを外に置く故に常に右顧左眄(ウコサベン)し、何でも時流と世評とに追随する不見識な癖が生ずる」と指弾する。この指摘は「告白」というより上から目線さえ感じてしまうものの、内容は現代の世相にも相通ずるものがある。

 最後の結語として青年向けに、「人生の広さは無限なのだ。そして人間は、君らが思うよりも楽しく元気に生きられるものなのである」と結んでいるところは白樺派らしい楽観主義を貫いている。

 

コメント
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