山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

小径に散乱した土砂を片づける好々爺

2020-01-07 20:18:02 | 出会い・近隣

 新年早々の日々は、裏山の伐採された竹を畑に運んで防寒竹マルチや支柱づくりに追われている。しかし、その竹が樹木の下敷きになっていたり、現場まで行くのに倒された樹や枝を越えながらの格闘が待っている。そんなとき、近所の長老が古道で作業をしているのが見えた。さっそくそこへ行ってみると、土砂が道路に散乱しているのを除去しているという。むかしこの道は主要な幹線道路だったらしいが、軽トラック1台が通るのがやっとの広さだ。

        

 人工透析で隔日に病院に通っていて、ヘルニアで腰も痛いのだという。しかし、体を使わないとなまってしまうので肉体労働をしている。それも、地域に貢献できる作業をしていることが素晴らしい。最近の高齢者や若者がこうした地域貢献作業を自分からやっていくのを見たことがない。久しぶりに感動する。ツルハシとスコップを持参して短い時間だが応援する。本人は自分の体の状態にあったペースで休みながらやりたかったようだった。だから、あまり深入りしないよう途中でもどってきた。さらに、翌日は道路の両側の樹木の徒長枝を伐採して処分してくれた。それを遠くからだったが目撃できたのがうれしい。長老の役割はこういうところにも輝いているのだ。幕末にやってきた欧米人が驚嘆した「逝きし世の面影」(渡辺京二)がまだ健在であるのを目の当たりにする。暇を持て余している高齢者や若者はこの姿から何を受けとめるだろうか。

コメント
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