山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

「渓流釣り」ではなく「山里の釣り」とする意味

2021-09-02 19:42:27 | 読書

 魂が元に戻る場所が「里」であると言い切った哲学者・内山節が、釣りについてエッセイ風に上梓したのが『山里の釣り』(日本経済評論社、1980.4)だった。かつての川の役割は人間や物資の交通手段でもあり、魚の自由な移動ができた場であった。それが今や、堰堤やダムがそれらを「打ち切った」と著者は断言する。それは、本来の「流れる」川から、発電・水道・農工業用水などの「ためる」川への変貌である、と。

       

  著者は、「今日、川の流通路としての役割は終了した。水道の普及は生活の場としての川の役割りも減少させた。そして養殖魚の出現は漁場としての川の魅力も喪失させた。こうして山村では、川は急速に人間の匂いを失ない、景観としての川に変貌していくのである。山村からの川の退廃の進行であった。」と見事にその変貌を抉る。

       

 「人間の労働と切断された川には自然の退廃がまっている。現在の観光漁場としての川のみだれた姿はそこからはじまった」として、「山里の釣りが魚だけ対象にした渓流釣りになっていったとき、釣り人の側からの退廃はすすんでいった」と言う指摘は十分説得力がある。

       

 著者が釣りで利用する「神流川(カンナガワ)」の下流は利根川である。近世の利根川の役割は水運による商品経済があったが、「近代以降の川の歴史は、川からこの輸送機能が失われていく歴史であった。鉄道・道路という大量輸送機関の登場がその布石となった」。そして、川は東京の上水道、工業用水道の水になる。つまり、「山村は都市への水と電力と労働力の供給基地」となり、同時に、山村の過疎化が始まり現在に至る。まったくだ。

        

 40年以上前に出版された本書にもかかわらず、著者が指摘された川と山里の変貌はますます進行するばかりとなっている。それに歯止めをかける抜本的な戦略はいまだ着手されていないと言っていい。「山村の労働と生活は、…都市型の労働と生活に対する負の部分を克服する何かの示唆を与える」と提起するが、その展開には本書だけでは足りないようだ。

 そうして、イワナやヤマメを愛でる著者は、自然としての河川の考察だけではそれら魚類の保護も不十分で、「山村という村人が生活する地域を流れる川という面からの考察が必要」だと痛感したという。

                   

  言い換えるとそれは、「山村における自立経済の崩壊」が背景にあり、「農村は都市に隷属することによって自分たちの生き方を作りだしたが、山村ではそれを遂げることもできなかった」と厳しく分析する。山村では山と川との自然力によって成り立ち、重層な労働形態があり、単一の職業が入り込むと一時的な興隆があっても前より衰退が進行する。その例として、鉱山をあげ寄生的な単一な開発の限界をあげている。

 さらには、ダム建設や観光開発など山村を「都市生活の手段」と考える発想や、川を自然の川として観る「都市型自然観」ではなく、山村という村の生活・労働との関係を保ちながら川をとらえるという、川の保全につながる経済構造をつくりだすことを提起する。しかしながら、その具体的な自立経済を確立していく事例があまりにも少ない。

          

 本書が出版された7年後の1987年にはいわゆるリゾート法が成立したが、ことごとく失敗し、さらにまた、地方の老舗の旅館も存亡の危機にある。こうして40年前に内山節氏の提起したことがますます鮮明になってしまった。その意味で、山里の暮しからの発信がこれからの社会の在り方を変えていくのではないかと、山里にいるオイラは秘かに思うばかりだ。     

 

 

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