山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

おが粉がトイレに生ごみに畑に大活躍

2020-01-21 20:11:12 | 特産品・モノ

 山小屋でよく使われているバイオトイレをわが家でも使っている。糞尿とおが粉を混ぜて数か月後、畑の周辺に肥料としても利用している。そのおが粉が無くなってしまったのであわてて隣の地区にある製材所までいただきに行く。以前、製材所はおが粉の処分に苦労していたらしいが、最近はバイオマスエネルギーの原料として業者も採りに来るらしい。

             

 空の肥料袋にスコップでおが粉を詰めていく。10袋ほどいっぱいに詰めたつもりだが、おが粉の山はなくならない。もっともっと、おが粉を活用していけばいいのにといつも思う。10年前、「おが粉はいい商品になるよ」と製材所に予告していたが、なかなかそこまでいかない。政府の自然エネルギーの動きはやっぱり遅々としてすすまない。原発に数兆円かけるくらいなら小さな製材所のおが粉をもっともっと活用してほしいと思うばかりだ。

       

 肥料袋に詰め込んで車に積み込む。このおが粉の用途は、バイオトイレだけでなく、最近は生ごみにも混入している。どちらも畑の土壌改良と肥料にもなっている。

            

 生ごみをコンポストに投入してからその上におが粉をかける。今までは土をかけていたが水分が無くならないので虫が湧いてしまったり、臭いも強くなる。そういうとき、おが粉を投入すると、水分を抑えられるし、臭いも吸収できる。

        

 しかも、それらを肥料として畑に撒くとき、コンポストからネコに移し替えるのが今までより楽なのだ。今までは水分が多かったり分解が不十分だったりして、均等に撒くのができなかったが、それもこれで解決できた。

                 

 きょうはブルーベリーのまわりに撒いてみる。これはふつうの肥料を撒くのと変わらない。しかも、臭いがほとんど消えている。糞尿を下水に流さず、生ごみをゴミ出しせずに、エネルギーを使わないでしかも環境に負荷をかけずに処理できる。そのうえ、野菜や果樹の肥料にもなっているというふんだんの効果がある。おが粉をゴミとしか考えず効率だけで考えてしまうと失うものがあまりに多い。        

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格差社会をユーモアと戦慄とで暴く

2020-01-20 16:42:44 | アート・文化

 カンヌ映画祭で最高賞のパルムドールを獲得した韓国の映画「パラサイト/半地下の家族」(ポン・ジュノ監督)を観に行く。学歴偏重の韓国社会の格差社会を、半地下で暮らす貧乏家族が裕福な家族にパラサイト(寄生)していく前半がユーモアとハラハラが混じりあう。

           

 半地下の住居は北朝鮮の攻撃を想定して作った防空壕のようなシェルターだった。それを安価な賃貸で暮らしている失業家族が主役だ。便器の下で暮らしているのが象徴的だ。悪人は登場していないがその必死に生きているちょっとした誤りが亀裂を深め後半の奇想天外な悲劇をもたらしていく。

  

 本映画はアカデミー賞6部門にもノミネートされ、従来の欧米中心の受賞を塗り替える快挙になるのではないかという下馬評だ。是枝裕和監督の「万引家族」がすぐ想い出されたが、両監督の視点は共通しているように思う。しかし、是枝監督の誠実な正攻法に比べて、ポン・ジュノ監督の社会性あるユーモアと背筋が凍る戦慄とを緻密に展開していく手腕が輝く。二人とも社会派監督と言われるのを嫌う。

        

 トランプ大統領の登場でアメリカ型資本主義=「格差社会」の驀進は、ますます世界を席巻・分裂させていく。それは人間の心をも浸透させ、人間どおしの反目・不信を拡大していく。その結果は言うまでもなく、戦火となり、事件となり、破壊・殺戮へと人間を追い込んでいく。これらを受けて、ひとり一人はどのような暮しと生き方を選択し実現していくかが問われている。そんな一石を投じた映画でもあると思う。(画像は映画パンフから)

 

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温暖化?いまだシイタケを収穫

2020-01-19 21:45:19 | 食彩・山菜・きのこ

 昨日の雨できっとシイタケが出ているに違いないと、裏の畑を見に行く。竹マルチの防寒のおかげもあって、ほだ木のいくつかにうまそうなシイタケが確かに出ていた。

    

 しかも、もう出ないだろうと打っちゃってあった朽ちたほだ木の裏からも出ていたのを発見。こういう意外性が面白い。しかも、肉厚の「どんこ」というのも大きなポイント。

 

 さっそく軽く干してから、夕飯の味噌汁や炒め物にしてコリッとした食感や旨みを確認する。1月にシイタケを収穫できるとはこれいかにだ。こんな鄙びた中山間地にも温暖化の影響があるのは確かだ。

 このところ、環境大臣の小泉進次郎の第1子誕生と育児休暇のニュースがトップニュースになる。しかし、化石賞をもらった汚名に対して今後どういう方向を指し示すのかの突っ込みをするマスメディアがいない。同じ視点からの報道しかできないマスコミの思考停止、ミーイズムが残念だ。     

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雨の雲上の山里を往く

2020-01-18 18:02:12 | 旅行・散策

 小雨が降るなか、春野町砂川集落の散策会を強行する。参加者は半分の15名になってしまったが、大半は顔見知りのツワモノ揃い。「同窓会だね」と笑いながら雨を跳ね返す。集落の中心部から山を見ると見事な雲海が「山水画」を描いていた。

 

 雨が降っているからこそ見られた眺望だ。これを見られただけで目的は達したと負け惜しみを言う。集落内を歩きながら、宇野茶園をめざす。茶園内の作業場でお茶をたしなむグループとその周辺散策と丸太を引き揚げる林業体験のグループに分かれ、途中で交代する。

           

 途中で、「うの茶園」の子どもが書いた習字と元旦発行の「茶今日しんぶん」が貼ってあった。「限界突破」はまさにうの茶園の本意が出ている。新聞には、温暖化の現実に対して「次世代に責任をもてる社会へ舵を切れる年にしたい」と新年の決意を語っていた。 

 また、M・エンデの言葉「経済の原理は友愛である」という言葉を紹介していた。それは、世の中全体の拝金主義に対して、茶園の維持・管理に近隣からのさりげない支えがある経験から、金の有無だけではない暮らしの可能性を強調している。    

  

 そして、子どもたちとテーマパークに行くより自分が住んでいる山里を散歩する魅力を語り、「優しい人と語らい、ここで採れた食べものに舌鼓を打ち、薪の火で温まる。確かな幸せがここにはある」と宣言する。画像中央にうの茶園の自宅がうっすら見えた。

            

 次に向かったのは、有機栽培茶を提唱して集落全体の取り組みに貢献した「八蔵園(ヤゾウエン)」を訪れる。とっくにお昼を過ぎてしまったが、干し芋を食べながら有機茶のコクを堪能し、お代りを何回もいただく。有機茶栽培に至った過程を鈴木さんに説明してもらい、それに共感した若者が続々入植してきた実績も見逃せない。

 帰りに、有機茶や生シイタケなどを買い求めて散会となった。これらを総合的にプロジュースした事業家・「熊の親子」の杉山さんの赤字覚悟の企画が光っている。自分の商売の利益だけではない地域全体の魅力を紹介することで地域を活性化しようとする心意気が素晴らしい。それをちょっぴりお手伝いできたことが何よりもうれしい。そしてまた、懐かしい顔ぶれに再会できたこともなによりだ。

    

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豊かな里山の片鱗を確かめる

2020-01-17 18:31:41 | 植物

 昨日に続き、今度は春野・砂川地区の樹木を探してみた。地区の中心の神社には「カゴノキ」(クスノキ科)が数本鎮座していた。樹皮が鹿の子模様なのですぐわかる。この樹があることは森が豊かだった証拠でもある。街道沿いにある近くの公民館には樹齢500年というカゴノキの巨樹が健在だ。

    榊の樹を発見。樹皮が肌色で神棚にあげるだけのしっかりした厚い葉が特徴だ。

             

 「キンモクセイ」だと思われる葉を確保する。こちらは庭や境界に多い比較的ポピュラーな樹木だ。樹勢が強くてまた花の匂いも強い。

             

 大木になる「アカガシ」(ブナ科)の先端をいただいてきた。コナラの仲間では唯一葉の縁に鋸歯がない。

             

 杉・檜が多い森の林縁には、「ミヤマガマズミ」の紅葉が目立つ。やはり森は多様性が大切。森を市場としてしか見ない「つけ」がいまだ重圧となっている。

 

 「ミヤマガマズミ」は、葉の裏の脈に沿って長い毛があったことが「ガマズミ」との違いだ。これには虫メガネや実物拡大鏡がないと決め手が難しい。樹木の葉をほんの一部集めたが、往年はもっともっと深い森であったことが予想された。その片鱗を集落のあちこちで確認できたのが成果でもある。

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景観に寄り添う暮しが魅力

2020-01-16 21:44:05 | 風景

明後日に「熊の親子」主催の散策会がある。そのお手伝いをすることになって下見をする。場所は浜松市春野町砂川(イサカワ)集落だ。山並みと人の暮らしとの景観が美しく、訪問するたびに見とれてしまう。ロウバイがすでに咲き始めて「景観にぴったしでしょ」とサービス精神旺盛だった。

     

 砂川公民館をスタートにぶらりと歩くと、自宅前にメダカだろうか金魚だろうか、大きな鉢がいくつも並んでいた家があった。近寄ると魚の姿が見えない。さまざまなサイズ・形の鉢が壮観だ。

    

 その反対側の家の庭には、しだれ桃だろうか、それに巨大盆栽のような梅が植えられていた。ここ以外にもいくつもビューポイントがあるが、詳しくは事前に伝えるのは止めとく。要するに、山を見ながら暮しを楽しむ心の余裕がそこに反映されている。

         

 最近、引っ越したという京大出身者の夫婦・宇野茶園の自宅も風景に埋め込まれていた。たまたま子どもは風邪のため学校を休んで家にいたそうで、薪ストーブが活躍している。薪の山がしっかり配置されている。

    

 途中で茶園のなかの小さなお宮を発見する。お宮に近づいたが道が切れていたり、近所の犬が騒ぎ出したので深入りは断念する。建物が風景を邪魔していない謙虚さがいい。都会の突出した人工物・建物がちゃちに見える。

 さりながら、小径をすすんでいくと廃屋がいくつか見られたので、中山間地での暮しはそう甘くはないという現実の厳しさも諭してくれる。

 散策会はきょうまでに30名をこえているようで、当日は40名にはなっていくとみられる。「熊の親子」の杉山会長の意気込みに頭が下がる。

                  

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古道を掃き清める

2020-01-15 20:53:54 | 出会い・近隣

先日地元の長老が掃除していた古道のうち、わが地所に隣接している古道を掃除する。ここの往時は地元の主要な街道として利用があった古道だった。しかし、国道の開削・開通にともないこの道はすっかりさびれてしまった。ときどき、仕事の軽トラックが行き交うだけだ。それでも、周りの樹木の枝が伸びて来たり、土砂が崩れて来たり、杉の枝葉や枯葉が散在したりして通行の邪魔をする。

 

 2時間はたっぷりかかったろうか、「ジョレン」や竹箒を使って握りこぶし大の落石や土砂を片づける。昼食後の運動に手ごろだと肉体を動かす。風は冷たいが温暖化のせいか汗がにじむ。画像の右側はわが地所の茶畑があり、近くにジャングル状の樹木群があるのでそこは深入りしない程度に鋸と鎌で整備を行う。これで近所からは不満は出ないはずだ。やはり、近所との境界だけは配慮が必要だ。すっきりした気分で、いただいたイノシシのレバーを炒めて夕食にする。

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「網棚」は死語ではなかった

2020-01-14 22:49:47 | 旅行・散策

 先月の電車内でのこと。空いていた座席にホッとして座ってからふと上を見たら、びっくり。網棚が強化ガラスでできていることだった。しかもそこには切り込み細工模様のデザインが施されていたことだった。

 紐を編んで作られていた「網棚」は70年代におわり、いつの間にか鉄パイプになっていった。しかし、その隙間から荷物の小物が落ちたりしたことでこうした強化ガラスなどに変わっていったようだ。さらに、利用が少ないので撤去されたり、高さを従来より5cm~10cmほど低く設置して利用しやすいよう工夫もされている。

 「網棚」という言葉は「荷棚」のことだが「鉄ちゃん」によればいまだ普通に使われているという。最近は海外旅行者が多くなってきているので、車内の床上に大型荷物置き場も設置する電車もあるのを見たこともある。電車からすれば網棚という小さなアイテムにもこもごもの歴史があるのを発見する。

  経済学者・金子勝教授のツイッターは、ポチ(ボックン)のサウジ訪問という事の本質を見事に斬りまくる。どこのマスコミも当たり障りなく表面をなでているだけ、もちろん教授は毒舌の毒が強すぎて呼ばれなくなった。

 【ボックンまた外遊逃避行】サクラを見る会が、公然たる法令違反とスガ悪代官が開き直ると、ボンボン総理はモリカケ以来恒例の都合悪くなると提灯マスコミひきつれて「ボックンどこまでも逃げてやる」のUAEとサウジへ専用機での逃避行。目的もなく大成功キャンペーン?

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食べ出すと止まらない「赤大根の甘酢漬け」

2020-01-14 00:41:21 | 食彩・山菜・きのこ

赤大根の種は普通の白い大根より値段は高いうえに、袋に入っている種の数も少ない。栽培もやや気難しい気がする。今年はやっとほぼすべての赤大根(紅しぐれ)が成長してくれた。

         

 これを煮たり炒めたりするなんて、もったいない。まずはスライスしてから甘酢漬けを作る。作る前から唾が出てしまうが、こらえて酢や砂糖を入れ込む。

   いただいたコンブを細く切ってこれも漬け込む。食べ出すと止まらなくなる。「誰か止めてくれー」

 抗酸化作用のある「アントシアニン」が普通の青首大根より3倍もあるからよけい箸がはずむ。お茶の友としたり、ちょっとしたアクセントにも手ごろな常備菜だ。近所にお裾分けすると喜ばれる。正月はなおのこと、真紅の真っ赤な色ではなく、桜色という奥ゆかしい色合いも品格を感じる。  

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焚き木たっぷり、食材たっぷり

2020-01-13 18:45:24 | 野外活動

 急遽、焚き火することになる。というのも、伐採した裏山の樹の残骸が溜まっていることとブルーベリーの支柱に使っていた古い竹が大量に出たためだ。まずはホオノキの残骸を中心に火をおこす。むかし木の版画でよく使ったことがあるが、枝もナタでスイスイ落とすことができる。そのくらい柔らかいのでよく燃える。焼き芋はダッチオーブンで、コーヒーとクサヤは七輪を使う。

          

 お昼を過ぎてからさっそく、定番のうどんにする。ほんとうは山仕事の合間に食べる奥多摩特有の「ズリダシうどん」の予定だったが、やっぱりうどんを煮過ぎたので、メニューを変更、オーソドックスに冷やした麺を麺つゆでいただく。ホウレンソウを投入したがこちらも煮過ぎてしまう。焚き火は火力が強いというのをつい忘れてしまう。

      

          

 友人がイノシシのレバーと玄米餅を持ってきてくれたので、そのまま七輪で焼いていく。レバーには塩胡椒だけで味付けをする。一昨日捕獲したイノシシだそうで、美味しく食べることができた。これなら商品化できる味だと思った。

      

 あっというまに、山のようにあった焚き木がなくなった。山へは10回近く焚き木を拾いに行ったので山の残骸もだんだんきれいになってきたのが嬉しい。しかし、残骸はまだまだ尽きない。毎日、焚き火しても大丈夫なくらいの量だ。また、夕食も残りのうどんをいただく。やや忙しいスローライフだったが、小春日和のような陽気の中のアウトドアライフはやっぱり「いいね」。

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