山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

綿の苗を植えてみた

2021-06-20 23:37:22 | 植物

 山猿さんから以前いただいていた「綿の種」ポリポットに植えていたら、元気よく成長したので地植えをする。しかし、チャノキを抜根した跡の大地は固くなっていた。今にして思うに耕運機でやればよかったと反省はしたが遅かった。鍬で耕作するには固かったのでツルハシで大地を耕したがそれはあまりにもずさんだった。

         

 いただいた綿花の綿だけを集めてみるとそこそこ溜まっていった。白の綿花と茶色の綿花があった。種と綿を取ったら、「ワタガラ」のガクが残った。これは捨てるにはもったいないぞとアーティスト気分にもなったが残念ながら創造的なイメージがまだ湧かない。

            

 綿花栽培と言えば、最近のニュースでは中国ウイグル人への強制労働の実態だ。ユニクロは中国に日本と同じくらいの800もの店舗を持ち、海外売り上げの多くを中国に依存している。アメリカは関連するユニクロのTシャツの輸入差し止めの対象にすると発表。それに対して柳井正社長は政治的中立を理由にダンマリを決め込んでいる。

 さらに、バングラディッシュの縫製工場崩落事件も背景にはバングラディッシュ版女工哀史の実態が垣間見える。世界的な価格競争にさらされているユニクロの立場もわからないわけではないが、日本の企業の人権感覚や社会的なミッションの劣化が甚だしい。東芝は特にひどい。これに対するマスコミや政治家の対応もじつに端切れが悪い。こうしてあらゆる分野でじわじわと日本の劣化が進行している。

            

 そんなことを思いながら大地を削っているから「ぐーたら農業」になってしまうのかもしれない。綿はアオイ科で花はムクゲやフヨウに似た花を夏に咲かして、さらに綿花を秋に実ってくれる。考えてみるとこんな有益な植物は少ない。ファッション業界も服の垂れ流しはいい加減にしてもらいたい。流行に踊らされてはならない。素材をリスペクトする発想を取り戻してほしい。「SDG's」をはじめそういう時代にきているのに実態は掛け声だけだ。コロナ禍だからこそそれらを見直すチャンスではないか。    

 

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「知の巨人」が語る針路は

2021-06-19 18:53:23 | 読書

 ダビンチさんが春の課題図書としたのは『希望の資本論 / 池上彰X佐藤優』(朝日新聞出版、2015.3)だった。副題は「私たちは資本主義の限界にどう向き合うか」。博学強記の人気ジャーナリスト・池上彰氏は、「資本主義の発展それ自体、資本主義の墓掘り人を生み出す」というマルクスの予言通りのことが起こりつつあり、がむしゃらに働いても暮らしの貧しさは変らない、こういう現実にどう対峙するか、そのエネルギーを『資本論』から学べると言う。テレビでは放映できないような池上氏の主張が展開されている。

   

 いっぽう、外務省で北方領土問題の最前線で活躍していた佐藤優氏は、「鈴木宗男事件」に絡んで逮捕され、それは根拠なき「国策捜査」だとして国と闘う。「知の巨人」ともいうべき佐藤氏の情報力やそのべースである哲学・政治・経済・宗教・語学などの豊富な蘊蓄をもとに、多数の著作を上梓している。とりわけ、『資本論』からは、資本の論理を知ることで資本の論理に絡めとられない生活が実現できるという。

                 

 本書の内容の要旨は、裏表紙の「帯紙」がすべてと言っていい。対談では饒舌な佐藤氏の論調が長いが池上氏のしたたかな謙虚さも伝わってもくる。オイラも髪毛が邪魔な青春時代に何回か『資本論』の読破を試みたがページを汚すことなくこれは無残な敗北に終わった。その意味で、本書はその俯瞰的な視点を獲得できると思えた。

       

 ソ連の崩壊以降、社会主義理論と実践の危うさ・敗北は明らかになった。マルクス・エンゲルスの持つヒューマンな精神はいったいどこへいったのだろうか。現実の中国・ロシア・北朝鮮の非人間的な抑圧そして自然破壊はマルクス主義理論から来るものなのだろうか。

 それはしかし、資本主義が素晴らしいかというとそうでもない。格差の拡大はますます広がるばかりだし、また、資本主義下の人間の精神はますます卑しくなっていくばかりだ。

       

 池上氏は『高校生からわかる<資本論>』、佐藤氏は『いま生きる<資本論>』をそれぞれ出版している。読んではいないが、本書から察するに今の自分自身とその位置を相対化するということが、これからの自分と社会の針路が見えてくることだと思われる。今まで断片的でもつれていた糸が、本書の二人の対談でなるほどとつながってきたことも少なくなかった。それほどに、二人の造詣の深さに驚くばかりだった。

       

 そうした意味から、自分の精神を鍛えないと時代の流れに流されてしまう。職人気質だった親父の口癖は「付和雷同するな」ということだった。アルコール中毒だった親父は打倒の対象だったが、ことこの言葉は輝かしい家訓でもあった。小学校しか出ていない明治の親父の一生は日本の歴史そのものの咆哮だった。親父が痛切に味わった学歴の無さは長男への教育投資の偏重を生み出し、それはそれで大成功を収めたものの親父の心の平静はアルコールに走るばかりだった。

 明治からも令和からも、いまだ拝金主義とポピュリズムの氾濫は収まらない。こんなときこそ、池上・佐藤両氏の相対主義の真価が増すというものだ。目からうろこをいただいた本書を送っていただいたダビンチさんにまたまた深謝する次第だ。

 

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ウマノスズクサを入手したが

2021-06-18 21:35:43 | 植物

 バタフライガーデンに一番来てほしい蝶は、ジャコウアゲハだ。それとアサギマダラ。アサギマダラが好きな花の「フジバカマ」はなんとか確保して植え付けたので、次はジャコウアゲハの食草の「ウマノスズクサ」(ウマノスズクサ科)の確保だった。しかしなかなか入手できなかった。そこで、ネットを見たが山野草の貴重種ということで手が出ない。しょうがないので、リーズナブルな種を入手することにした。

                

 ウマノスズクサには「草本」と「木本」があり、それぞれの種を確保したのでポリポットに撒いていく。しかし、イメージが湧かないので、1本だけ苗を入手することにする。このくらいに成長してほしいものだ、というわけだ。

       (画像はweb「EVER GREEN」から)

 そういえば、数十年前に、大学の付属植物園でウマノスズクサを見たことがある。自生のウマノスズクサは一度も見たことがない。それほどに、今では身近に見られなくなった貴重種になっている。食虫植物のような花に会えれば見逃さないのだが、葉の形が似ているヤマノイモとかアオツヅラフジとかに幻惑されたのかもしれない。さて、問題は花を咲かすことまではたしてできるだろうか、という不安と期待が交錯する日々がまた始まった。

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紫陽花の歌

2021-06-17 22:53:14 | 植物

 裏の畑にある白っぽかったアジサイの花がやっと色づきだした。街中ではわが世の花よととっくに咲いているというのに。この遅れはどうもオイラの性格も反映しているらしい。

 「グレープ」時代のさだまさしの歌に「紫陽花の歌」というのがある。

 「 蛍茶屋から鳴滝までは / 中川抜けて 川端柳 / 他人の心を ごまかすように / 

 七つおたくさ あじさい花は / おらんださんの 置き忘れ 」 

                

 歌詞の最後には、「むらさき 夕凪 夢すだれ」という言葉のリフレインで締めくくっている。歌詞には長崎の地名が満載ではあるものの、メロディの抒情がそれを補っている。このリフレインに詩人としてのさだまさしの頭角がすでに表出している。ちなみに、「おたくさ」は、シーボルトの日本人妻「お滝さん」の名前。それは、アジサイの学名「ハイランゲア・オタクサ」に折り込められたものだ。その行為に大御所の植物学者牧野富太郎が激怒したという逸話も残っている。

                

 その「西洋アジサイ」のすぐ近くに、日本原産の「ヤマアジサイ」も咲いていた。半日蔭の場所のせいか元気が良い。放任してきたので樹形がジャングル状態になっている。年内には、バタフライガーデンへの移植を考えている。

 このヤマアジサイは、生前のセニョールさんからまだ小さかった苗をいただいたものだった。いかにもセニョールさんらしいものだった。そのとき、園芸植物ではなく日本の自生植物にこだわっていた彼の精神を少しでも受け継ぎたいと思ったものだ。

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キキョウソウが美しいわけ

2021-06-16 22:30:33 | 植物

 畑の周りには梅雨の雨を受けて雑草軍団がますますの勢力拡大に余念がない。その中の一つが、名前の通りの小さなキキョウ色をした「キキョウソウ」(キキョウ科)だった。花を見ると一つひとつ端正な顔立ちしている。なんとなく日本原産かと思いきや北米原産だった。アメリカ先住民は薬草にしていたという。それが観賞用として日本にやってきて今では雑草として野生化していった。

                

 キキョウソウの面白さは種の配布方法戦略なのだ。英名が、「Venus' Looking glass」(ビーナスの姿見)というのだそうだが、そこに秘密がある。それは実を発見してからでないと語れない。実ができてからのしばしの時間が必要だ。問題はその小さな実をコンパクトなデジタルカメラでしっかり捉えられるかにかかっている。草刈りの対象範囲に入ってこないことを望むばかりだ。

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満開になったルッコラの花

2021-06-15 22:51:17 | 野菜・果樹

 毎日のように野菜ジュースを飲み、それに野菜サラダを食らう。初春にはできなかったいくつかの葉物野菜がいっせいに成り始めたからだ。大量にいただいたノラボウ菜の種から育った若芽を摘み、パセリ・春菊・夢咲菜・チンゲン菜・小松菜などと共に、「ルッコラ」のゴマ風味を楽しんできた。そのうちに、ルッコラの花が咲き出してしまいその花のシンプルな姿に見とれてしまう。

                 

 ほんとうは花を食べたり摘花していけば、若い葉を期待できるが、花を摘むのは申し訳ないような感情が先立ってしまう。そのためか花が満開となってしまったというわけだ。ビタミンC・A・E・カルシウム・鉄分など栄養価も豊富なルッコラなのだけど。

                   、

 ルッコラはイタリア名だが、英名は「ロケット」という。花の立ち姿がロケットに似ているというがとても納得がいかない。ついでながら、和名は「キバナスズシロ」というが花はどうみても白としか見えない。アブラナ科らしい花の形は「十字軍旗」のようでもあり、古代ローマでは「惚れ薬」と信じられたハーブでもある。

 美肌効果もあるというルッコラはクレオパトラも愛したととも言われ、ルッコラは古代から連綿と栽培されてきた野菜でもある。やっぱり花も食べて、若葉を促進させてみようかなー。

 

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「おはぎ」ではなく「はぎ」を食べたのはダーレ!?

2021-06-14 22:42:01 | できごと・事件

 2本あった萩の木のうち、1本は株分けしてバタフライガーデンへすでに移植した。しかし移植しなかった残りの1本には異変が起きていた。というのは、1m以上は伸びている若芽があるはずなのにまったく伸びていなかったのだ。なぜだろうかと、よく見てみると、スパッと切られたような跡があった。草刈機で切ってしまったのだろうか、と思ったが記憶がない。

               

 株分けして移植した萩はとっくに1m以上背を伸ばしている。それが4本はあり、さっそく秋の開花には期待がかかる。株分けはなかなかできなくて苦労した。それだけに、しっかり活着してくれたのが嬉しい。

               

 株分けしていない残りの萩のほうが元気がない。伸びた芽がことごとく動物に食べられたようだ。当局に聞くと、「今はシカとしか考えられないよ」とギャグで応える。イノシシはコレラで激減したらしく今はシカやアナグマが暗躍している。きょうは山からきついニオイが漂ってきたのでタヌキも徘徊しているようだ。

 とりあえず、萩の苗を防御するべく周囲をネットで防御する。雨が降ったり止んだりして予定の作業がコロコロ変わらざるを得ない一日となった。

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移住記念のヒメシャラ

2021-06-13 22:35:58 | 植物

 都会から現在の中山間地へ移住して間もなく購入した「ヒメシャラ」は、枯れることなく清楚な小さな花をつけてくれている。樹の高さは7mくらいにはなっているだろうか、購入した時は120cmくらいだった。花が小さいので気がつかないときもある。

                

 花は一日花なので、朝咲いた花は夕方には落花してしまう。したがって、樹の周りには落ちた花が散在している。樹皮は百日紅のようなつるつるとした赤褐色の輝きが素晴らしい。「日本三大美幹」というとアオギリ・シラカバだが確かにそれとと並ぶほどの人気がある。また、毎年種を放出しているはずだが新しい樹はまだお目にかかっていない。

     

 似た樹には「ナツツバキ」(シャラノキ)があるが、それは花や葉がヒメシャラより大きい。仏教伝来のとき、日本に沙羅双樹の木がなかったので、ナツツバキを代用としたので名前に名残があるようだ。以前、屋久島にトレッキングに行ったとき、森の中のヒメシャラの巨木を見て偉く感動したものだった。縄文杉に混じってつやつやの褐色の樹皮が暗い森の中で美女に会ったように見えたものだった。

 わが家のヒメシャラはまだまだその域には達していないが垂直に伸びる5本の美形を見る。このヒメシャラを見ると過疎へ不時着して以来、砂を噛むような思い出や人と自然とに日々癒された思い出などが走馬灯のようにあふれてくる記念樹でもあった。

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梅肉エキスついに完成へ

2021-06-12 22:24:46 | 特産品・モノ

 娘が約500個の梅を梅肉エキスにし、そこに和宮様が約100個の梅を追加して作ったので合計約600個で作った梅肉エキスが完成した。それを煮沸した瓶に分ける。ひとつは尾上さんへのお礼として贈答する。平均するとひと瓶に200個の梅が詰められていることになる。

    

 梅肉エキスは、朝の野菜ジュースにレモンの替わりで投入している。梅肉エキスだけだととても酸っぱくて毎日は舐められない。これの効能は、なんといっても血流の改善だ。血液サラサラ・疲労回復効果が期待される。また、コロナ禍のなかでは免疫細胞の活性化に貢献できそうだ。

 大正末期に創業された「梅丹(メイタン)本舗」は、飲みやすい粒にしていまだこの梅パワーにこだわり続けている。今回の梅肉エキスは娘の助力で8割の貢献度があった。和宮様は来年の「予約」をほのめかしているが、今回は娘の仕事の合間とうまく連動できたが、次回はどうだろうか。

 

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揖保乃糸からタイサンボクの詩画

2021-06-11 23:21:11 | ポエム

 「揖保乃糸」の箱のふたで額縁を作ったのはいつだっただろうか。兵庫・揖保郡の手延べソーメンの旨さは和宮様お気に入りの食材だ。オイラはソーメンが入っていたその立派な木製の箱が気に入っていて、その蓋で額縁をつくったのは7~8年前のような気がする。埃が溜まってきたので久しぶりに掃除をする。

              

 額縁のまわりの木は伐採した桜の枝を捨てずに確保していた。つまり、この額縁は捨てずに確保していたリサイクル品でもあったわけだ。しかし、額縁の内容はオイラと同じ高齢者になった星野富弘さんの詩画はがきだった。事故で寝たきりになった星野さんは残された口で詩を書き、絵を描いた。その壮絶だが静謐な心模様が気に入って詩画集も何冊か買った。

           

 星野さんの謙虚な生き方にいつも励まされる。「タイサンボク」は、巨木な姿と凛とした花が山東省にある名山「泰山」のようにどっしりした樹木でもある。「ひとは空に向かって寝る」とは、「天国は無い、ただ空があるだけ」(忌野清志郎)と共通するものを感じる。とはいえ、星野さんはクリスチャンなんだけど。

 「永遠を見つめよ」ということを世界の指導者や人々が振り返れば、争いはなくなり平和は実現する。ジョンレノンは「想像してごらん、今日を生きるすべての人たちのことを(Imagine all the people  Livin'for today )」考えれば「簡単なことさ」(清志郎)とね。「無限の空」に向かってこれからのことを想像しよう、床に就く時間はとっくに過ぎた。

   

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