和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

嘆き、悲しみ、怒ること。

2024-05-17 | 安房
曽野綾子著「揺れる大地に立って」(扶桑社・2011年9月10日発行)の
副題は「東日本大震災の個人的記録」とありました。

この本のはじめの方には、
新約聖書の聖パウロの書簡に出てくる
『ところどころに実に特殊な、『喜べ!』という命令が繰り返されている。』
という箇所を指摘したあとに、曽野さんは、こう書いておりました。

『人間は嘆き、悲しみ、怒ることには天賦の才能が与えられている。しかし
 今手にしているわずかな幸福を発見して喜ぶことは意外と上手ではないのだ。』

それであるから、聖パウロの書簡にある『喜べ!』というのは、
『喜ぶべき面を理性で見いだすのが、人間の悲痛な義務だということなのだ』

曽野さんのこの本は、この言葉から始まってゆくのでした。

『安房震災誌』に登場する安房郡長大橋高四郎の震災に直面して
発した言葉を時系列で列挙してゆくのは、それだけでも価値があります。
きちんと、それをしてみたいのですが、それはそうとして、
流言蜚語も言葉であり、『喜べ!』も言葉なのでした。

ここでは、吉井郡書記と能重郡書記の回顧の言葉を引用しておくことに。

「 『 あの時若し死んだならば 』といふ一語は、
 私共には総ての困難な場合を切りぬけるモットーとなってゐる。

 震災直後に、大橋郡長が、庁員の総てに対して訓示せられた、

『 諸君は此の千古未曾有の大震災に遭遇して、一命を得たり。
  幸福何ものか之に如かん。宜しく感謝し最善の努力を捧げて、
  罹災民の為めに奮闘せられよ 』

 には何人も感激しないものはなかった・・・・・

『 あの時若し死んだならば 』といふ一語は、
 今日ばかりでなく、今後私共の一生涯を支配する重要な言葉である。
 言葉といふより血を流した体験である。・・・・    」(p319~320)


『安房震災誌』の震後の感想のはじまりに郡長大橋高四郎から聞いた
という言葉が記載されておりました。最後にそこを引用。

「氏(大橋高四郎)はいふ、
 此の大震災に就て、自分が身を以て体験したところを一言にして
 掩ふならば、唯だ『感謝』といふ言葉が一番当ってゐるやうに思ふ。
  ・・・・・・・・
 ・・・次は郡の内外の切なる同情である。
 それと又郡民と郡吏員の真面目な、そして何処までも忠実な
 活動振りである。どちらから考へても、『感謝』であって、
 そして『感謝』の内包をもう少し深めたくなるのである。

 それで一人一人で考へて見てもよく分かることだが、
 此の前古未曾有の大震災の中で、大部分の人々が
 或は死に、或は傷いてゐる中に、
『 自分は一命を全うしてゐるといふこと自体が
  ≪ 感謝 ≫すべき大きな事実ではないか。 』
 自分はどうして一命が助かったか。
 と、ふりかへって熟々と自己を省みると、
 ≪ 感謝 ≫の涙は思はず襟を潤ほすのである。
 実に不思議千萬な事柄である。不思議な生存である。
 ありがたい仕合せである。

    生命の無事なりしは何よりの幸福なり。
    一身を犠牲にして、萬斛の同情を以て
    罹災者を救護せよ

 と、震災直後、郡役所の仮事務所に掲示して
 救護に當る唯一のモットーとしたのも
 此の不思議な生存観から出発した激励の一つであった。
  ・・・・・・                 」(p313~314)

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