夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

私の入院生活の想いで・・♪

2009-01-06 18:21:31 | 定年後の思い
私はサラリーマンの現役時代、40代に於いて、
ギックリ腰で入院した体験がある。

私は先ほど、あるサイトに於いて、心の友として交流しているお方が、
ご主人様が明日に退院されると投稿文を拝読した後、
不謹慎ながら私自身の入院生活を想いだしたのである。

私はこのサイトに入院に関しては、数多く綴っているが、
特に三つばかり読んだりしたのである。



①【私の休肝日・・♪】と題して、
2007年4月27日に投稿しているが、あえて再掲載する。

【・・
私は特に日本酒、ビールが好きであり、30歳を過ぎた頃から、
退職後の3年生の今日まで晩酌をしている。

家内からは、一生呑みたければ、休肝日を週に1回ぐらいしませんと、
肝臓が悪くなり、好きなお酒もそのうち呑めなくなっても、
と云われ続けている。


私が年に6回程度、休肝日としている。
風邪気味で風邪薬を服用した時、昨夜と本日の夜は歯の痛みで薬を飲み、
さすが自粛したりしている。

二十歳以来、1ヶ月近くアルコールを止めたことがある。
腰痛で救急車に運ばれ、入院生活をしていた時であった。

腰痛は整形外科に属するので、特に食事など制限はなく、
足を骨折した方は松葉杖(つえ)等で片側の半身を支えたり、
私のように入院1週間は車椅子となったりしている。

私は二週間過ぎると、不安げであったが、何とか歩けるようになった時、
ある夜、隣部屋の若い人から、
『消灯も過ぎましたので・・ビール・・買いに行きますが、
少し買って来ましょうか・・』
と云われたが、私は断った・・。

暗い廊下を松葉杖を付きながら紙袋を器用に持ち、
病院の横口から抜け出て、最寄の自動販売機で買い求めに行ったのである。

私は禁止されている病院のベットに座ってまで、
ビールを呑みことには意欲がなかったのである。

しかし、煙草に関しては、
喫煙場所に車椅子に乗りながら、通ったりした。

20年前の病院の多くは、館内に喫煙場所があった。
私の入院した病院は、整形外科フロアーの中央階段の昇り降り近くにあり、
煙草をたしまない人達も集まり、
ささやかな雑談の親睦会となったりした。


このような訳で煙草は止めることは出来ないが、
お酒は禁酒の条件となれば止められるが、
平素の日常生活に戻ると、不思議と殆ど毎晩呑んでいる。

・・】



②【時は、過ぎさり・・♪】と題して、
2006年10月30日に投稿していた。

【・・
私の健康検査で訪れた病院は、市内の程々大きい病院であった。

15年前、ぎっくり腰で身動き出来なかった私は、
救急車に運ばれて、結果として1ヵ月弱の入院生活を余儀なくされた病院である。

それ以前に、3泊4日の入院体験もあった。
この時は、入院直後、医師の人から、
『1週間前後、容態を診ましょう・・』
などと云われ、私は焦(あせ)った。

そして看護婦長に私は
『早く・・職場に戻らないと・・
担当の先生にお願いしてほしい・・』
と私は懇願したりした。

さすがに二度目に病院に運ばれた時は、
観念し、担当医師の指示に基づいて、28日間の入院生活となった。

病室のベットから何とか車椅子に乗り、公衆電話のある室にに行き、
テレホンカードで会社に業務の連絡事項を毎日のようにしたりした。

その後、上司と共に私の関連する業務担当の方達が来院したりしたが、
入院という非日常生活の視線から、日常の社会の動きを見つめたりした・・。

このような体験があったが、退院後、数ヶ月が過ぎると、
入院生活のことなど忘れ、サラリーマンとしての業務に没頭した。


病院の最寄のバス停車場から歩き出すと、
住宅街の一角に小学校があるが、私が通り過ぎた時、
グランドから小学生の歓声が聞こえてきた。

帰路、住宅街を歩いていた時、樹木に覚えがあるので、懐かしく思ったりしたが、
15年の歳月は過ぎ去ったと実感したりした。

・・】



③【救急車のサイレン止めて・・♪】と題して、
2005年1月29日に投稿している。

【・・
私が45歳の時だった。
前日の夕方から腰が重く、明日の朝、病院に直行してから出勤すれば、と考えていた。
当日の朝、布団から這いずりだして、トイレを終え、
何とか洗面所で歯を磨こうとした時、
激痛がはしり、くずれ、床に寝転んでしまった・・。

家内に声をかけ、
『みっともないけれど、救急車を呼んでくれないか・・』
と私は言った。

家内は救急先に電話口で、
『近所の手前・・近くにきたら、サイレンを止めて下さい!
お願いしますね・・』
と家内は言った。

まもなくサイレンの音を響かせ、救急車が自宅に来た。

タンカーを持ち、救急員のふたりが入ってきた。

家内を見ると、救急隊員のひとりが、
『奥さん・・サイレンを止めろ、と先程に言われましたが、
サイレンを止めちゃ、救急車が走っていて、他の車は徐行してくれませんょ・・
救急車の役割がしませんょ・・』
と救急隊員のひとりが怒った顔で家内に言った。

家内は、ぼうぜんとしていた。

私は聴いていたが、救急隊員のもうひとりの方に、
『それより・・俺を早く病院に連れてって下さい!!』
と私は懇願したのである。

この後、家内は少し青ざめながらも、救急車に同乗した。
救急車は、サイレンをけたたましく鳴り響き、
他の車を徐行させ、病院の正面口に着いた。

家内が救急員のひとりの方に、寸志のつもりで、
『ほんのお気持ちですが・・』
と手渡そうとしたら、
『奥さん、何をおしゃるんですか・・』
と家内は救急員に怒られたのである。


私はタンカーに乗せられ、病院に入ったのであるが、
ロビーの椅子に入院患者の方たちが、数多くたむろしていた・・。
そして私を眺めていたのである。
『あれは、ぎっくり腰だなぁ・・間違いがねぇ・・』
とその中のひとりが言ったのである。
私の方は、腰は痛いが、頭のほうは正気だったので、
恥ずかしさでいっぱいであったのである。

病室に行く通路に電話が見えたので、
救急員の方に私は言った。
『ちょうと待って下さい・・
会社に連絡するので、電話をしますから・・』

今度は私が救急員から怒られたのである。
『ご主人、何をおしゃるんですか・・
診察を受けるのが最優先ですから・・常識ですょ・・まったく・・』
と言われたのである。

結果として、私達夫婦共々、救急員の方に怒られた、
と私は診察後、思い出し、苦笑したのである。



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早朝のひととき、私が最初に見るネットのサイトは・・♪

2009-01-06 07:55:48 | 定年後の思い
私は年金生活の5年生の身であるが、殆ど日の出前に起床しているが、
読売新聞の朝刊が配達される前の時は、パソコンでネットを開いたりしている。

前日の夜のひととき、NHKのテレビで天気情報を視聴しているが、
何かと私の住んでいる地元の天気情報の詳細が気になるのである。

http://weather.yahoo.co.jp/weather/jp/13/4410/13208/1820004.html

私は平素は殆ど毎日、買物、散策に出かけるので、
快晴、曇り、雨の日中の状況を見たりした後、
気温などを見たりしているのである。


この後は、読売新聞、日本経済新聞のサイトを開き、
私が気になったニュースをみたりしている。

http://www.yomiuri.co.jp/index.htm


http://www.nikkei.co.jp/


私は64歳の少しボケた身であるが、
悲惨な社会の出来事に憂(うれ)いたり、
心の節度を失くした言動をする政官財の一部の方たちを、馬鹿なことを、
と心の中で呟(つぶや)いたりしている。

新聞が配達されたと知ると、私は読売新聞の朝刊を精読するのである。


私は旅行などで外泊しない限り、
殆ど毎日このように早朝のひとときを過ごしている。
ある日、このような定例を怠ると、何かしら心身の波長が狂うので、
不思議であると苦笑していたりした。




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