私はサラリーマンの現役時代、40代に於いて、
ギックリ腰で入院した体験がある。
私は先ほど、あるサイトに於いて、心の友として交流しているお方が、
ご主人様が明日に退院されると投稿文を拝読した後、
不謹慎ながら私自身の入院生活を想いだしたのである。
私はこのサイトに入院に関しては、数多く綴っているが、
特に三つばかり読んだりしたのである。
①【私の休肝日・・♪】と題して、
2007年4月27日に投稿しているが、あえて再掲載する。
【・・
私は特に日本酒、ビールが好きであり、30歳を過ぎた頃から、
退職後の3年生の今日まで晩酌をしている。
家内からは、一生呑みたければ、休肝日を週に1回ぐらいしませんと、
肝臓が悪くなり、好きなお酒もそのうち呑めなくなっても、
と云われ続けている。
私が年に6回程度、休肝日としている。
風邪気味で風邪薬を服用した時、昨夜と本日の夜は歯の痛みで薬を飲み、
さすが自粛したりしている。
二十歳以来、1ヶ月近くアルコールを止めたことがある。
腰痛で救急車に運ばれ、入院生活をしていた時であった。
腰痛は整形外科に属するので、特に食事など制限はなく、
足を骨折した方は松葉杖(つえ)等で片側の半身を支えたり、
私のように入院1週間は車椅子となったりしている。
私は二週間過ぎると、不安げであったが、何とか歩けるようになった時、
ある夜、隣部屋の若い人から、
『消灯も過ぎましたので・・ビール・・買いに行きますが、
少し買って来ましょうか・・』
と云われたが、私は断った・・。
暗い廊下を松葉杖を付きながら紙袋を器用に持ち、
病院の横口から抜け出て、最寄の自動販売機で買い求めに行ったのである。
私は禁止されている病院のベットに座ってまで、
ビールを呑みことには意欲がなかったのである。
しかし、煙草に関しては、
喫煙場所に車椅子に乗りながら、通ったりした。
20年前の病院の多くは、館内に喫煙場所があった。
私の入院した病院は、整形外科フロアーの中央階段の昇り降り近くにあり、
煙草をたしまない人達も集まり、
ささやかな雑談の親睦会となったりした。
このような訳で煙草は止めることは出来ないが、
お酒は禁酒の条件となれば止められるが、
平素の日常生活に戻ると、不思議と殆ど毎晩呑んでいる。
・・】
②【時は、過ぎさり・・♪】と題して、
2006年10月30日に投稿していた。
【・・
私の健康検査で訪れた病院は、市内の程々大きい病院であった。
15年前、ぎっくり腰で身動き出来なかった私は、
救急車に運ばれて、結果として1ヵ月弱の入院生活を余儀なくされた病院である。
それ以前に、3泊4日の入院体験もあった。
この時は、入院直後、医師の人から、
『1週間前後、容態を診ましょう・・』
などと云われ、私は焦(あせ)った。
そして看護婦長に私は
『早く・・職場に戻らないと・・
担当の先生にお願いしてほしい・・』
と私は懇願したりした。
さすがに二度目に病院に運ばれた時は、
観念し、担当医師の指示に基づいて、28日間の入院生活となった。
病室のベットから何とか車椅子に乗り、公衆電話のある室にに行き、
テレホンカードで会社に業務の連絡事項を毎日のようにしたりした。
その後、上司と共に私の関連する業務担当の方達が来院したりしたが、
入院という非日常生活の視線から、日常の社会の動きを見つめたりした・・。
このような体験があったが、退院後、数ヶ月が過ぎると、
入院生活のことなど忘れ、サラリーマンとしての業務に没頭した。
病院の最寄のバス停車場から歩き出すと、
住宅街の一角に小学校があるが、私が通り過ぎた時、
グランドから小学生の歓声が聞こえてきた。
帰路、住宅街を歩いていた時、樹木に覚えがあるので、懐かしく思ったりしたが、
15年の歳月は過ぎ去ったと実感したりした。
・・】
③【救急車のサイレン止めて・・♪】と題して、
2005年1月29日に投稿している。
【・・
私が45歳の時だった。
前日の夕方から腰が重く、明日の朝、病院に直行してから出勤すれば、と考えていた。
当日の朝、布団から這いずりだして、トイレを終え、
何とか洗面所で歯を磨こうとした時、
激痛がはしり、くずれ、床に寝転んでしまった・・。
家内に声をかけ、
『みっともないけれど、救急車を呼んでくれないか・・』
と私は言った。
家内は救急先に電話口で、
『近所の手前・・近くにきたら、サイレンを止めて下さい!
お願いしますね・・』
と家内は言った。
まもなくサイレンの音を響かせ、救急車が自宅に来た。
タンカーを持ち、救急員のふたりが入ってきた。
家内を見ると、救急隊員のひとりが、
『奥さん・・サイレンを止めろ、と先程に言われましたが、
サイレンを止めちゃ、救急車が走っていて、他の車は徐行してくれませんょ・・
救急車の役割がしませんょ・・』
と救急隊員のひとりが怒った顔で家内に言った。
家内は、ぼうぜんとしていた。
私は聴いていたが、救急隊員のもうひとりの方に、
『それより・・俺を早く病院に連れてって下さい!!』
と私は懇願したのである。
この後、家内は少し青ざめながらも、救急車に同乗した。
救急車は、サイレンをけたたましく鳴り響き、
他の車を徐行させ、病院の正面口に着いた。
家内が救急員のひとりの方に、寸志のつもりで、
『ほんのお気持ちですが・・』
と手渡そうとしたら、
『奥さん、何をおしゃるんですか・・』
と家内は救急員に怒られたのである。
私はタンカーに乗せられ、病院に入ったのであるが、
ロビーの椅子に入院患者の方たちが、数多くたむろしていた・・。
そして私を眺めていたのである。
『あれは、ぎっくり腰だなぁ・・間違いがねぇ・・』
とその中のひとりが言ったのである。
私の方は、腰は痛いが、頭のほうは正気だったので、
恥ずかしさでいっぱいであったのである。
病室に行く通路に電話が見えたので、
救急員の方に私は言った。
『ちょうと待って下さい・・
会社に連絡するので、電話をしますから・・』
今度は私が救急員から怒られたのである。
『ご主人、何をおしゃるんですか・・
診察を受けるのが最優先ですから・・常識ですょ・・まったく・・』
と言われたのである。
結果として、私達夫婦共々、救急員の方に怒られた、
と私は診察後、思い出し、苦笑したのである。
ギックリ腰で入院した体験がある。
私は先ほど、あるサイトに於いて、心の友として交流しているお方が、
ご主人様が明日に退院されると投稿文を拝読した後、
不謹慎ながら私自身の入院生活を想いだしたのである。
私はこのサイトに入院に関しては、数多く綴っているが、
特に三つばかり読んだりしたのである。
①【私の休肝日・・♪】と題して、
2007年4月27日に投稿しているが、あえて再掲載する。
【・・
私は特に日本酒、ビールが好きであり、30歳を過ぎた頃から、
退職後の3年生の今日まで晩酌をしている。
家内からは、一生呑みたければ、休肝日を週に1回ぐらいしませんと、
肝臓が悪くなり、好きなお酒もそのうち呑めなくなっても、
と云われ続けている。
私が年に6回程度、休肝日としている。
風邪気味で風邪薬を服用した時、昨夜と本日の夜は歯の痛みで薬を飲み、
さすが自粛したりしている。
二十歳以来、1ヶ月近くアルコールを止めたことがある。
腰痛で救急車に運ばれ、入院生活をしていた時であった。
腰痛は整形外科に属するので、特に食事など制限はなく、
足を骨折した方は松葉杖(つえ)等で片側の半身を支えたり、
私のように入院1週間は車椅子となったりしている。
私は二週間過ぎると、不安げであったが、何とか歩けるようになった時、
ある夜、隣部屋の若い人から、
『消灯も過ぎましたので・・ビール・・買いに行きますが、
少し買って来ましょうか・・』
と云われたが、私は断った・・。
暗い廊下を松葉杖を付きながら紙袋を器用に持ち、
病院の横口から抜け出て、最寄の自動販売機で買い求めに行ったのである。
私は禁止されている病院のベットに座ってまで、
ビールを呑みことには意欲がなかったのである。
しかし、煙草に関しては、
喫煙場所に車椅子に乗りながら、通ったりした。
20年前の病院の多くは、館内に喫煙場所があった。
私の入院した病院は、整形外科フロアーの中央階段の昇り降り近くにあり、
煙草をたしまない人達も集まり、
ささやかな雑談の親睦会となったりした。
このような訳で煙草は止めることは出来ないが、
お酒は禁酒の条件となれば止められるが、
平素の日常生活に戻ると、不思議と殆ど毎晩呑んでいる。
・・】
②【時は、過ぎさり・・♪】と題して、
2006年10月30日に投稿していた。
【・・
私の健康検査で訪れた病院は、市内の程々大きい病院であった。
15年前、ぎっくり腰で身動き出来なかった私は、
救急車に運ばれて、結果として1ヵ月弱の入院生活を余儀なくされた病院である。
それ以前に、3泊4日の入院体験もあった。
この時は、入院直後、医師の人から、
『1週間前後、容態を診ましょう・・』
などと云われ、私は焦(あせ)った。
そして看護婦長に私は
『早く・・職場に戻らないと・・
担当の先生にお願いしてほしい・・』
と私は懇願したりした。
さすがに二度目に病院に運ばれた時は、
観念し、担当医師の指示に基づいて、28日間の入院生活となった。
病室のベットから何とか車椅子に乗り、公衆電話のある室にに行き、
テレホンカードで会社に業務の連絡事項を毎日のようにしたりした。
その後、上司と共に私の関連する業務担当の方達が来院したりしたが、
入院という非日常生活の視線から、日常の社会の動きを見つめたりした・・。
このような体験があったが、退院後、数ヶ月が過ぎると、
入院生活のことなど忘れ、サラリーマンとしての業務に没頭した。
病院の最寄のバス停車場から歩き出すと、
住宅街の一角に小学校があるが、私が通り過ぎた時、
グランドから小学生の歓声が聞こえてきた。
帰路、住宅街を歩いていた時、樹木に覚えがあるので、懐かしく思ったりしたが、
15年の歳月は過ぎ去ったと実感したりした。
・・】
③【救急車のサイレン止めて・・♪】と題して、
2005年1月29日に投稿している。
【・・
私が45歳の時だった。
前日の夕方から腰が重く、明日の朝、病院に直行してから出勤すれば、と考えていた。
当日の朝、布団から這いずりだして、トイレを終え、
何とか洗面所で歯を磨こうとした時、
激痛がはしり、くずれ、床に寝転んでしまった・・。
家内に声をかけ、
『みっともないけれど、救急車を呼んでくれないか・・』
と私は言った。
家内は救急先に電話口で、
『近所の手前・・近くにきたら、サイレンを止めて下さい!
お願いしますね・・』
と家内は言った。
まもなくサイレンの音を響かせ、救急車が自宅に来た。
タンカーを持ち、救急員のふたりが入ってきた。
家内を見ると、救急隊員のひとりが、
『奥さん・・サイレンを止めろ、と先程に言われましたが、
サイレンを止めちゃ、救急車が走っていて、他の車は徐行してくれませんょ・・
救急車の役割がしませんょ・・』
と救急隊員のひとりが怒った顔で家内に言った。
家内は、ぼうぜんとしていた。
私は聴いていたが、救急隊員のもうひとりの方に、
『それより・・俺を早く病院に連れてって下さい!!』
と私は懇願したのである。
この後、家内は少し青ざめながらも、救急車に同乗した。
救急車は、サイレンをけたたましく鳴り響き、
他の車を徐行させ、病院の正面口に着いた。
家内が救急員のひとりの方に、寸志のつもりで、
『ほんのお気持ちですが・・』
と手渡そうとしたら、
『奥さん、何をおしゃるんですか・・』
と家内は救急員に怒られたのである。
私はタンカーに乗せられ、病院に入ったのであるが、
ロビーの椅子に入院患者の方たちが、数多くたむろしていた・・。
そして私を眺めていたのである。
『あれは、ぎっくり腰だなぁ・・間違いがねぇ・・』
とその中のひとりが言ったのである。
私の方は、腰は痛いが、頭のほうは正気だったので、
恥ずかしさでいっぱいであったのである。
病室に行く通路に電話が見えたので、
救急員の方に私は言った。
『ちょうと待って下さい・・
会社に連絡するので、電話をしますから・・』
今度は私が救急員から怒られたのである。
『ご主人、何をおしゃるんですか・・
診察を受けるのが最優先ですから・・常識ですょ・・まったく・・』
と言われたのである。
結果として、私達夫婦共々、救急員の方に怒られた、
と私は診察後、思い出し、苦笑したのである。