夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

読売新聞に寄る北海道・発信サイトの『地球(ほし)の叫び』・・。

2009-01-14 18:36:15 | 時事【社会】
私は民間会社を定年退職後の年金生活の5年生の身であり、
夕方のひととき、読売新聞社に寄る【YOMIURI ONLINE】のサイトで、
《地域情報》のコーナーで、偶然に『北海道』を開き、

 【第2部 知床からの提言】として、知床の環境の軌跡を読み耽(ふけ)っていた・・。

1時間ばかり読んでいると、
【 『地球(ほし)の叫び』 】の命題に基づいて、
北海道の地域情報の発信記事でとして企画・連載していた記事のひとつで、
全体としては、

【・・
 【第1部 そこにある温暖化】

 地域で起きている「温暖化現象」にスポットを当て、未来への道を探った。

 【第2部 知床からの提言】

 知床を守る多くの人々の「英知」から人と自然が共生する持続可能な社会を模索する。

 【第3部 3Rを考える】

 7月の北海道洞爺湖サミットのテーマのひとつでもある「3R」を、身近なところから考えてみた。

 【第4部 森との共生】

 森と生き物をよみがえらせようと、道内各地で行われている試みを検証し、人と自然の共生の道を探りたい。

 【第5部 未来への道】

 道内で展開されている自然や人に優しい、官民の取り組みを中心に検証し、未来への道筋を探ります。

・・】

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/feature/hokkaido1200365011824_02/index.htm



私は恥ずかしながら、真摯な命題に基づいたサイトを初めて知り、
環境問題などと狭い領域でなく、この星に生を受けたひとりとして、
読み始めたのである。

こうした真摯に良識なサイトは、未知の方たちに多くを知って欲しい、と思い、
余計なお節介ながら、あえて紹介したのである。






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私達夫婦の団体観光ツアーの初まりは、冬の旅・・♪

2009-01-14 09:38:36 | 旅のあれこれ
私は年金生活の5年生の身であり、
私達の夫婦の共通趣味は国内旅行なので、
子供に恵まれなかった為か、若い頃から日本の各地を四季折々に訪れたりしている。

定年後は、現役時代の多忙な身から解放されて、
ある程度は自在な日程が設定できるので、旅行の宿泊数も増えたりしている。


『気にいったプランがあれば・・行こうょ・・』
と私はバソコンでネットのニュースを見ながら、家内に云ったりした。

私は経費が程々であり、私たち夫婦が心身意欲のあるうちに
旅行をしょうよ、
と家内に云ったりしているのである。

今回、たまたま1月24日から1泊2日の小旅行となり、
奈良の『若草山焼き』を観る為に、団体観光ツアーで参列したのである。

このことは、11月中旬の頃にこのサイトに於いて、
【・・
家内が旅行勧誘雑誌を持ち、
『この「若草山の山焼き」・・どうかしら・・』
と家内は私に手渡しながら私に云った。

本の解説に寄れば、
【・・山に火を入れ、山全体を燃やす、古都・奈良の新年を飾る行事です。
毎年多くの観光客が訪れ・・2009年1月24日に行われます・・】
と記載されていた。

奈良のホテルに一泊し、到着の夜に鑑賞し、
翌日は寒ボタンの咲く長谷寺、そして私のあこがれの未知の室生寺を観る
短じかな1泊2日であるが、
私はわずかな雪が舞う室生寺に夢想をし、
『行きましょう・・』
と私は明るく家内に云ったのである。


そして、この後まもなく、
『こうした行事は指定日であり、限定されるので、早く予約した方が良い・・』
と私は、家内に旅行会社に予約するように云ったりしたのである。

・・】


このように綴っていたのであるが、
私達夫婦は、ときおり旅行会社の企画に魅了された時は、
団体観光ツアーに参加している。

このような思いのひとつとして、私はこのサイトに於いて、
【団体観光ツアーの効用は・・♪】と題して、
2007年9月6日に投稿しているが、あえて再掲載をする。

【・・
私は定年退職後の3年生で身であり、
家内との共通の趣味は、国内旅行であり、四季折々、日本の各地を訪れている。

若き40歳の少し前までは、JTBなどの旅行会社に予約して、個人旅行をしていた。
団体観光の場合は、旅行日程に制約があり、
同行の方達と一緒なので何かと息苦しく感じ、
宿泊先の観光ホテルなどでも気詰まりのように思っていたのである。


私が40歳の少し前、新年まもない土曜日の午後、
2月の初旬、山寺と蔵王の樹氷めぐり、そして最上川の船下りした後は越後地方を周遊し、
この間、上ノ山温泉と温海温泉に宿泊する、
という団体観光ツアーの新聞に掲載された広告を見た。

個人旅行としては、真冬の山寺を歩いて参拝したり、蔵王の樹氷の景観を眺め、
その上に最上川の雪の光景の船下り・・
と私達は思案してきたが、交通の不便な処を行き来するので、長年にためらってきたのである。

家内に思い切って参加してみよう、と相談し、参加することにした。

東北の雪の中の旅程なので、防寒着で身を固めて、
指定された集合場所に定時前に着き、バスに乗り込み、
あらかじめ指定された座席に腰を下ろした。

持参した純米酒を呑みながら、車窓から東北の冬枯れの情景を眺めた上、
バス・ガイドさんの解説を聴いたりして、時折まどろんだりしていた・・。

観光地の最寄で降り立って、周遊した後は、再び走行するので、
途切れた時間待ちがないので、
特に冬の寒い時節は、移動は楽であることを実感させられた。

宿泊先の観光ホテルは期待していなかったが、想像以上に質感が感じられ、好感したりした。


私達夫婦は個人旅行の魅力も知っているつもりであるが、
団体観光ツアーの価格の廉(やす)さには驚いたり、赤字にならないのか、
と余計な心配もしたのは事実である。

私達は自動車を保有しない信条なので、
この旅行で好感したので、ときおり団体観光ツアーを利用している。

何より魅了されたのは、バスの車内、休憩時間のサービス・エリア、お土産屋さんのひととき、
そして食事処などで共に参加された年配のご夫婦の会話、しぐさを私達は学んだことである。

このご夫婦の方達とさりげない会話をしたりして、
私達は人生の大学の生徒となったりした。

さりげない人生を教示して頂いたり、
私達夫婦も60歳代になった時は、あの方達のような夫婦になれたら、
とツアーの参加のたびに、数多く学んだりしてきた。

こうして最初に団体観光ツアーに参加してから、
早くも20数年を過ぎようとしている。

今の私達もときおり利用しているが、
自分達より10歳前後の年配の70歳代のご夫婦に関心を持っており、
旅先のひととき、数多く学んでいる。

・・】


このように綴っていたのであり、
このように初めて団体観光ツアーに参加した南東北地方の冬の旅を思い返したりしたのである・・。

そして、この後は【冬の旅、初めて魅了され・・♪】と題し、
このサイトに2006月1月28日に投稿文を読み返したりしたのであり、
あえて再掲載をする。

【・・
   第一章

私共の夫婦は、子供は恵まれなかったが、旅行が好きである。

今から、20数年前頃、意識して初めて冬の旅の話題となった。

それまでは、会社の休日を利用して、
奥志賀高原のホテルに滞在したり、
長野県の安曇野に近い青木湖にあるホテルに滞在する時もあり、
或いは箱根の旅館に滞在したりしていた。

新聞に冬の蔵王の樹氷、山寺の鑑賞、
最上川の舟下りの旅行企画の広告があった。
但し、団体観光バスツアーであった。

それまでは、私共の夫婦は、団体観光ツアーは行ったことがなく、
ためらいがあった。
この頃の私共は、住宅ローンの返済が家計に重く圧(の)し掛かっていた。
芭蕉、西行への想いが強かった時分で、
格安で想いを馳せるので、参加した。

この頃、遊び着の防寒服がなく、靴も無かったので、
アウトドアの店で予算が乏しく中級程度の品しか、買えなかった。

このようにして、団体観光バスツアーに参加した。
確か2月の上旬で、2泊3日で旅行の為、初めて金曜日に有給休暇を頂いた。

東北自動車道を北上し、白河関を過ぎた頃、雪の状景がなく、
がっかりしたりしていた・・。



   第二章        

バスは東北自動車道の高速道路を降り、
米沢への一般道を走った。
峠道を抜けると、あたり一面、雪景色となった。
右手の斜面は、スキー場で数10人の人達が滑っていた。
やっと雪が観られたという思いから、
南東北をお訪ずれている実感が湧いてきた。

その後、今晩宿泊する上山温泉に着き、
手荷物を置いた後、家内と散策に出かけた。
積雪は60センチ前後で、除雪がされている市道を歩いた。
『上山城』を近くから観たが、心に残らずとぼとぼと歩いた後、
古びた館にたどり着いた。

分厚い草葺きの屋根に、雪が30センチ程度あり、
入り口の周辺は、うず高く積雪があった。
『春雨庵』と小さな諸札があった。

私はここが、江戸時代の時、沢庵禅師がこの地に流罪になった処だった、
かと知った。
この沢庵禅師を想い馳せれば、この雪深い地に住まわれて、
どういう思いで過ごされたか、と寒気の漂う茶室、居間を観たりした。

『この季節は大変だと思うが・・
春から夏、秋は過ごしやすいかなぁ・・』
と私は家内に話しかけた。

ホテルに戻った後、指定された部屋に入ると、
『まぁまぁの部屋じゃない・・』
と家内は言った。

大浴場に浸かっていると小庭園が観え、雪景色となったいた。

私は、拙い俳句を呟(つぶや)いたりした・・。

部屋に戻ると、売店で購入した地酒を呑み始めた。

家内が風呂から上がって来て、
『貴方・・お湯も良かったけれど・・
打たせ湯・・良かったわょ・・』
と家内は言った。

私共は、この団体観光ツアーは、同行する人達との気心も心配することなく、
宿泊の部屋も良く、
『これでしたら、このツアー・・許せるわょ・・』
と家内の声を聴き、私は安堵した。

この和風の寛(くつろ)げた宿は、
『ホテル城戸口屋』と館内の案内書に書かれていた。



   第三章

朝、目覚めると雪が舞い降りていた・・。

朝食前、ロビーに行ったら、添乗員さんから、
蔵王の樹氷めぐり、山頂付近は吹雪いていて、
中止にさせて頂きます、と言われた。

その代わり山寺では、ゆっくりとした時間を取りますから・・
と言われる。

山寺は雪の舞い降りる中、
山全体がぽっかりとした雪の中の景観であった。
山門を入ると、長靴が数多く並べられていた。

2時間半後、先程のバスまでお戻り下さい、
と添乗員さんは大声で伝えていた・・。

ふもとの根本中堂から歩き始めると、
上り坂になり、積雪は30センチ前後あり、
家内に大丈夫・・と声をかけながら登った。
途中の簡素な堂塔は、雪の中にちょこんと観えたが、
雪を掻き分けて登るほうに気を捉えたりした・・。

雪の無い季節は、石段であるが、
こうして積雪に埋もれた雪の中を山頂の奥の院を目指して登った。

私共は、先頭を登っていたが、後方に人影もなかった。
私共の観光ツアーの同行者の方達は、大丈夫かなぁ、と思ったりした。

まもなく、雪の降りしきる中、如法堂が観えた。

息を整えて、下方を見ると、雪が舞い降りる中、
平地の一面が見えて、ゆっくりと列車の走る小さな形が観えた。

私共は下った折、稲の素朴な縄が急な坂の処にあり、
中年女性の3人組が登ってきた・・。
この縄を掴(つかま)ったりしながら、
歓声を上げながら、私共とすれ違う時、

『奥の院・・まだ、だいぶ先ですか・・』
と訊(き)かれた。

『もう少しですが、気を付けて・・下さい』
と私は言った。

この後の行程では、この3人組とお互いに語り合うようになった。

根本中堂に戻ると、50代の上品な軽登山の出(い)で立ちのご夫婦を見かけた。
私共のツアーとは関係の無い人達で、個人旅行で寄られた様子だった。

昼食をこの付近り旅館で頂いた。
芋煮のような丼に、山芋、里芋、牛蒡、人参、蓮、牛肉が入っていた。
私は、里の作物は、幼年時代に食べ飽きていたが、
家内は、温まるわ、と言いながら美味しそうに食べていた・・。

私は冷酒を呑みながら、
先程に見かけたご夫婦のことを想い浮かべた。

あと10年後、私共はあのような夫婦になれるかしら、と思ったりした。



   第四章

私達の団体観光ツアーのメンバーは、
雪の中の山寺での登り降りのお陰で、
すっかり寛(くつろい)いだ雰囲気となった。

昼食の後、最上川の舟下りの始発の処まで1時間ほどあり、
思いがけない山寺の歩きの疲れと
あたり一面快晴となり車内は温室のようになった上、
昼食後の満腹加減で、大半の人は眠りについていた。

舟下りは、快晴の中、岸辺の積雪と周辺の景観のうつろいを観ながら、
冷酒を呑んだりした・・。

下船した後、バスに乗り、しばらくすると、
あたり一面急激に吹雪いて、周囲の景色は吹雪で見えなくなった。

以前、庄内地方の方に聴いていたので、
このように快晴の合間でも、突然に吹雪いて、しばらくすると回復すると・・。

バスは10数分ぐらい立ち往生していたが、
徐行しながらゆっくりと走り出した。

鶴岡の名所を観た後、宿泊先の温海温泉に着いた。

翌日、雪が舞い降りる中、新潟近郊の名所を観て、一路東京に向った。

バスの中で、途中で購入した地酒を70歳前後の男性と酌み交わした・・。
この男性は、奥様連れで、私は最上川の舟下りの頃から、好感していた。

旅の終わりでこのご夫婦と別れる時、
『何時か、再び、お逢いしたいですね・・』
と私は言った。

・・】


このように幼く綴っていたのであるが、
この時の各地の情景がときおり甦(よみがえ)ったりし、
私にとっては深い思いでの旅の贈り物のひとつとして、心の宝物でもある。







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