夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『蒼穹(そうきゅう)』という言霊に深く魅了され・・♪

2009-01-16 16:48:49 | 真摯に『文学』を思考する時
私が蒼穹(そうきゅう)という言葉を遅ればせながら知ったのは、
昭和55年(1980年)10月の初旬で、私が30代のなかばであった。

敬愛していた作家・立原正秋氏が亡くなり、
遺稿エッセイ集として立原正秋・著の『冬の花』(新潮社)から発刊されて、
私は発刊日を待ち焦がれて、買い求めた一冊である。

この中の随筆のひとつとして、
『旅から帰って』と題された随筆があり、私は初めて『蒼穹』という言葉を知り、学んだのである。

【・・
1日、思いたって浦上蒼穹堂を訪ねた。
有名な店ではない。蒼穹堂は私がつけた店である。
浦上満くんは繭山龍泉堂に五年間勤め、
日本橋の仲通りに独立して小さな美術店を開いた。
・・
たのまれて蒼穹堂の扁額を認めたが、
日が経つにつれて字が不安になってきたので、
それをたしかめるためでもあった。

・・』
立原正秋・著の随筆集『冬の花』から、『旅から帰って』よりP45の一部を引用

注)著作者の原文より、あえて改行を多くした。


私は読みながら、蒼穹という言葉は、
作者が朝鮮半島で生を受けたのであるから、
大陸性の風土で、澄み切った蒼い空が空一面に果てしなく拡がった冬晴れるの光景を
思い浮かべたのである。

このような想像をしながら、私は亡くなわれて数が月の作家に愛惜を深めたりした・・。


この後は、平成8年(1996年)の4月に、本屋で『蒼穹の昴』と題された背文字に魅了されて、
本棚から取り出したのは作家・浅田次郎の小説の上・下巻(講談社)であり、
まもなく私はこの小説に夢中になった後、この作家の過去の作品を探し求め、
読んだりしたのである。


そして、平成11年の晩秋の頃、大型書店で偶然に、
金子 昌夫・著の『 蒼穹と共生~立原正秋・山川方夫・開高健の文学 ~』
という評論集を見かけたが、
殆どの作者の作品を読んだりしていたので、購入しなかったのである。
ただ、《透きとおった蒼空の動かしがたい美しさ》と本の帯に書かれていたのが、
心に残ったのである。


そして、昨夜、あるサイトの投稿文の詩を読んでいたら、
私は詩の世界は余り読んだことがないが、
私の知る限り、桁外れに才能を秘めた詩を読んだのである。

  『バラード』と題された詩で



市営グランドの柵を乗り越えたら
そこは満天の星々
ぼくだけの舞台に
またひとつ流れ星が堕ちてゆく
なにひとつ
歌の聞こえてこない市営グランド

寝そべって見上げれば
空も 
地球も
人間も
すべての生き物も
蒼穹の夢の欠片のような輝き

・・


私は、《寝そべって見上げれば・・》からはじまる一節、
何より《蒼穹の夢の欠片のような輝き》一節・・
この一節だけでも、私が感じ、感銘を受けた度合いは、詩人・宮沢賢治氏を遙かに凌駕している。


たまたま今朝のひととき、隠れた才能のある方の詩を再読し、
動顚するほどに感銘を受けたので、
改めて《蒼穹》に関して、このような形で私なりに綴ることができたのである。

尚、この作者の表現された詩は、このサイトにある。

http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/pikkipikki






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我家の戦旗に、体力の衰えた私は励(はげ)まされ・・♪

2009-01-16 08:32:03 | 定年後の思い
私は年金生活の5年生であるが、殆ど日の出前に起床している。
今朝も起床してから、居間の片隅にある『日めくり』の格言を心の中で呟いたりした。

  できない
  約束は
  しないこと
  だな

たまたま本日の16日はこのような格言が明示されて折、
独自の書体で書かれ、私はもう1度読んだりしている。

この『日めくり』の格言は、書家・詩人の相田みつを氏の遺(のこ)された作品のひとつで、
私の心は、どの宗教より遙かに深く敬愛しているので、
だらけた私の戒(いかし)めとして、読んでいるのである。

この『日めくり』の格言は、居間のビデオ・ケースに上に置き、
奉(たてま)っているのである。
そして、この横にひとつの可愛らしい旗が立っている。

『毘』と明示された戦国時代の戦旗のひとつである。

そして、私は齢ばかり重ねた64歳の体力の衰えた身であるが、
現世の時代に遅れていないなぁ、
と微笑んでしまうのである。

何かしらNHKの大河ドラマで『天地人』という時代劇が、
今年は日曜日の夜に放映されているが、
番組の概要として、

【・・
上杉謙信を師と仰ぎ、
兜に「愛」の文字を掲げた兼続は、
その波乱の生涯を通じて、民・義・故郷への愛を貫きました。

「利」を求める戦国時代において、
「愛」を信じた兼続の生き様は、
弱者を切り捨て、利益追求に邁進する現代人に鮮烈な印象を与えます。

大河ドラマは、失われつつある「日本人の義と愛」を描き出します!

・・】

http://www9.nhk.or.jp/taiga/


このように明記されていたので、
我家の戦旗は、まぎれなく上杉謙信公が愛用していたので、
私は微苦笑したのである。


この我家の可愛らしい戦旗については、
このサイトで昨年の8月14日で、
【 『毘』の戦旗の小旗が揺れ・・♪ 】と題して、投稿しているが、
再掲載する。

【・・
過日、佐渡の旅行に行く際、直江津港のフェリーに乗船する前、
上越市の外れにある『上杉戦国物語展』の会場に入場した。

私は戦国時代の名将のひとり上杉謙信には、
余り知らないが、展示品を早めに観た後、
会場の外側にある喫煙場で煙草を喫ったりしていた。

会場の門前の周辺にし、上杉謙信の戦旗を模した軍旗が数多く、
風を受けてはためいていた・・。

家内たちは、展示会場にいるらしく、
私は売店の近くの椅子に座って、待機していた。

売店の背面に、戦旗が、
紺色に染められた生地に白く『毘』と明字され、
或いは白生地で朱色で鮮やかに『毘』と書かれた旗もあった。

いずれも白いプラスチックの旗軸は180センチの高さであり、
旗本体は120センチの長さ、横幅は30センチ前後である。


私は家内たちを待っている暇があったので、
売店の50代の男性に、
『立派な戦旗ですね・・』
と私は声をかけた。

『お誉め頂き・・有難う御座います・・よろしかったら、1500円で・・』
と男性は、私に微笑みながら云った。

『私は・・新潟の上越出身であったら・・
2本買い求め・・自宅の門扉に差して置きますが・・
残念ながら、東京の田舎者でして・・』
と私も微笑みながら、男性に云った。

『私の場合は・・部屋の暖簾(のれん)にしていますよ・・』
と男性は私に云った。

『地元のお方でしたら・・それも素敵ですね・・』
と私は男性に云った。

この後、売店のショー・ケースの上に、
旗軸は30センチの高さの可愛らしい小旗が3本ばかりあったのに、
気付いたのである。

『この小旗だったら・・部屋でも飾れそう・・』
と私は云いながら、たった1本を買い求めたのである。



帰宅後、パソコンの置いてある机の隅に、
この小旗を立てかけたのである。

紺色に染められた生地に白く『毘』と明字され、
エアコンの微風を受けて、小さいながら一人前に揺れながら、
はためいているのである。

たった650円の品であるが、
時折こうした戯(たわむ)れを私はするのが、
悪い癖のひとつである。


尚、『毘』の由来は、
戦国武将の上杉謙信公が信愛していた、毘沙門天から命字されたいる。

http://uesugi.yonezawa.info/?p=log&l=68359

・・】


このように投稿しているが、この可愛らしい戦旗は、
パソコンの横から移動させてビデオケースの上に置き、
私は体力の衰えた身であるが、少なくとも気力と意欲だけは青年のように、
と思いながら、日々励まされているのである。




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