私が蒼穹(そうきゅう)という言葉を遅ればせながら知ったのは、
昭和55年(1980年)10月の初旬で、私が30代のなかばであった。
敬愛していた作家・立原正秋氏が亡くなり、
遺稿エッセイ集として立原正秋・著の『冬の花』(新潮社)から発刊されて、
私は発刊日を待ち焦がれて、買い求めた一冊である。
この中の随筆のひとつとして、
『旅から帰って』と題された随筆があり、私は初めて『蒼穹』という言葉を知り、学んだのである。
【・・
1日、思いたって浦上蒼穹堂を訪ねた。
有名な店ではない。蒼穹堂は私がつけた店である。
浦上満くんは繭山龍泉堂に五年間勤め、
日本橋の仲通りに独立して小さな美術店を開いた。
・・
たのまれて蒼穹堂の扁額を認めたが、
日が経つにつれて字が不安になってきたので、
それをたしかめるためでもあった。
・・』
立原正秋・著の随筆集『冬の花』から、『旅から帰って』よりP45の一部を引用
注)著作者の原文より、あえて改行を多くした。
私は読みながら、蒼穹という言葉は、
作者が朝鮮半島で生を受けたのであるから、
大陸性の風土で、澄み切った蒼い空が空一面に果てしなく拡がった冬晴れるの光景を
思い浮かべたのである。
このような想像をしながら、私は亡くなわれて数が月の作家に愛惜を深めたりした・・。
この後は、平成8年(1996年)の4月に、本屋で『蒼穹の昴』と題された背文字に魅了されて、
本棚から取り出したのは作家・浅田次郎の小説の上・下巻(講談社)であり、
まもなく私はこの小説に夢中になった後、この作家の過去の作品を探し求め、
読んだりしたのである。
そして、平成11年の晩秋の頃、大型書店で偶然に、
金子 昌夫・著の『 蒼穹と共生~立原正秋・山川方夫・開高健の文学 ~』
という評論集を見かけたが、
殆どの作者の作品を読んだりしていたので、購入しなかったのである。
ただ、《透きとおった蒼空の動かしがたい美しさ》と本の帯に書かれていたのが、
心に残ったのである。
そして、昨夜、あるサイトの投稿文の詩を読んでいたら、
私は詩の世界は余り読んだことがないが、
私の知る限り、桁外れに才能を秘めた詩を読んだのである。
『バラード』と題された詩で
【
市営グランドの柵を乗り越えたら
そこは満天の星々
ぼくだけの舞台に
またひとつ流れ星が堕ちてゆく
なにひとつ
歌の聞こえてこない市営グランド
寝そべって見上げれば
空も
地球も
人間も
すべての生き物も
蒼穹の夢の欠片のような輝き
・・
】
私は、《寝そべって見上げれば・・》からはじまる一節、
何より《蒼穹の夢の欠片のような輝き》一節・・
この一節だけでも、私が感じ、感銘を受けた度合いは、詩人・宮沢賢治氏を遙かに凌駕している。
たまたま今朝のひととき、隠れた才能のある方の詩を再読し、
動顚するほどに感銘を受けたので、
改めて《蒼穹》に関して、このような形で私なりに綴ることができたのである。
尚、この作者の表現された詩は、このサイトにある。
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/pikkipikki
昭和55年(1980年)10月の初旬で、私が30代のなかばであった。
敬愛していた作家・立原正秋氏が亡くなり、
遺稿エッセイ集として立原正秋・著の『冬の花』(新潮社)から発刊されて、
私は発刊日を待ち焦がれて、買い求めた一冊である。
この中の随筆のひとつとして、
『旅から帰って』と題された随筆があり、私は初めて『蒼穹』という言葉を知り、学んだのである。
【・・
1日、思いたって浦上蒼穹堂を訪ねた。
有名な店ではない。蒼穹堂は私がつけた店である。
浦上満くんは繭山龍泉堂に五年間勤め、
日本橋の仲通りに独立して小さな美術店を開いた。
・・
たのまれて蒼穹堂の扁額を認めたが、
日が経つにつれて字が不安になってきたので、
それをたしかめるためでもあった。
・・』
立原正秋・著の随筆集『冬の花』から、『旅から帰って』よりP45の一部を引用
注)著作者の原文より、あえて改行を多くした。
私は読みながら、蒼穹という言葉は、
作者が朝鮮半島で生を受けたのであるから、
大陸性の風土で、澄み切った蒼い空が空一面に果てしなく拡がった冬晴れるの光景を
思い浮かべたのである。
このような想像をしながら、私は亡くなわれて数が月の作家に愛惜を深めたりした・・。
この後は、平成8年(1996年)の4月に、本屋で『蒼穹の昴』と題された背文字に魅了されて、
本棚から取り出したのは作家・浅田次郎の小説の上・下巻(講談社)であり、
まもなく私はこの小説に夢中になった後、この作家の過去の作品を探し求め、
読んだりしたのである。
そして、平成11年の晩秋の頃、大型書店で偶然に、
金子 昌夫・著の『 蒼穹と共生~立原正秋・山川方夫・開高健の文学 ~』
という評論集を見かけたが、
殆どの作者の作品を読んだりしていたので、購入しなかったのである。
ただ、《透きとおった蒼空の動かしがたい美しさ》と本の帯に書かれていたのが、
心に残ったのである。
そして、昨夜、あるサイトの投稿文の詩を読んでいたら、
私は詩の世界は余り読んだことがないが、
私の知る限り、桁外れに才能を秘めた詩を読んだのである。
『バラード』と題された詩で
【
市営グランドの柵を乗り越えたら
そこは満天の星々
ぼくだけの舞台に
またひとつ流れ星が堕ちてゆく
なにひとつ
歌の聞こえてこない市営グランド
寝そべって見上げれば
空も
地球も
人間も
すべての生き物も
蒼穹の夢の欠片のような輝き
・・
】
私は、《寝そべって見上げれば・・》からはじまる一節、
何より《蒼穹の夢の欠片のような輝き》一節・・
この一節だけでも、私が感じ、感銘を受けた度合いは、詩人・宮沢賢治氏を遙かに凌駕している。
たまたま今朝のひととき、隠れた才能のある方の詩を再読し、
動顚するほどに感銘を受けたので、
改めて《蒼穹》に関して、このような形で私なりに綴ることができたのである。
尚、この作者の表現された詩は、このサイトにある。
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/pikkipikki