私は年金生活の5年生の64歳の身であり、
殆ど毎日、買物、散策をしている。
こうした折、昼下りのひととき、風もなく暖かな陽だまりの中、
遊歩道の外れにコナラ、クヌギなどが群生している冬木立の情景を眺めたり、
大きな欅(ケヤキ)の樹が陽射しを受けながら、
悠然(ゆうぜん)と、青い空に向うように、たわわな枝を伸ばしている状景も、
この時節は私の好きな光景でもある。
そして、遊歩道、住宅街の垣根とかで、
白、淡紅色、ビンク色した可憐な山茶花(サザンカ)の花を観たり、
椿の幾分小さめの朱紅色の藪椿(ヤブツバキ)の花を眺めたりすることが多い。
この時節の冬の花は少なく、
つい山茶花、藪椿に目がいってしまうのである。
そして私は、山茶花は女性、少女、少年の眺める花であり、
藪椿こそは大人の男性でも、感銘を受けて、そして心寄せられる冬の花のひとつ、
と齢を重ねるたびに深く感じたりしているのである。
我家では無念ながら山茶花はなく、
陽当たりの悪い処に藪椿はあるが、
平年より暖かな年末年始であったので、三輪ばかり濃紅色の花が咲いている。
そして、白梅と日本水仙は、莟(つぼみ)が膨(ふくら)みはじめて折、
あと数週間過ぎれば、純白で清楚な白玉椿(シラタマ・ツバキ)と共に、
我家の庭を彩(いろど)り、早春の便りを告げる。
私は主庭のテラスで、ときおり煙草を喫いながら、
こうした冬の情景に思い馳せたり、早春を便りを待ちわびたりしている。
殆ど毎日、買物、散策をしている。
こうした折、昼下りのひととき、風もなく暖かな陽だまりの中、
遊歩道の外れにコナラ、クヌギなどが群生している冬木立の情景を眺めたり、
大きな欅(ケヤキ)の樹が陽射しを受けながら、
悠然(ゆうぜん)と、青い空に向うように、たわわな枝を伸ばしている状景も、
この時節は私の好きな光景でもある。
そして、遊歩道、住宅街の垣根とかで、
白、淡紅色、ビンク色した可憐な山茶花(サザンカ)の花を観たり、
椿の幾分小さめの朱紅色の藪椿(ヤブツバキ)の花を眺めたりすることが多い。
この時節の冬の花は少なく、
つい山茶花、藪椿に目がいってしまうのである。
そして私は、山茶花は女性、少女、少年の眺める花であり、
藪椿こそは大人の男性でも、感銘を受けて、そして心寄せられる冬の花のひとつ、
と齢を重ねるたびに深く感じたりしているのである。
我家では無念ながら山茶花はなく、
陽当たりの悪い処に藪椿はあるが、
平年より暖かな年末年始であったので、三輪ばかり濃紅色の花が咲いている。
そして、白梅と日本水仙は、莟(つぼみ)が膨(ふくら)みはじめて折、
あと数週間過ぎれば、純白で清楚な白玉椿(シラタマ・ツバキ)と共に、
我家の庭を彩(いろど)り、早春の便りを告げる。
私は主庭のテラスで、ときおり煙草を喫いながら、
こうした冬の情景に思い馳せたり、早春を便りを待ちわびたりしている。