夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

されど、『イチゴの日』・・♪

2009-01-15 17:23:09 | 時事【社会】
我家の台所にある風物詩のあるカレンダーを見ていると、
『イチゴの日』とイチゴの絵も描かれて、可愛らしく表示されていた。

私はイチゴの生産か販売に携(たずさ)わる方たちが、
イチゴの消費拡大を目的として、この日はたまたま15日であり、
【一五(いちご)】の語呂(ごろ)あわせ、健気(けなげ)に制定した、
と何かの本で読んだことがあった。

私は、イチゴかょ、と思い浮かべ、
少なからず私なりに思いでがあったので、恥ずかしながら綴ってみる。


私は定年退職後、日常の買い物を担当しているので、
スーパーの生鮮野菜コーナー、果物コーナーなどを見たりしている。

この時節、イチゴの赤く成熟した大粒が並んでいる。
家内は好きな果物のひとつであるので、買い求めたりしている。

昭和26年の頃は小学1年生であった私は、
祖父、父が健在で程々手広く農業をしていた。

叔母達も陽当たりの良い畑の一角で、草花を植えたり、イチゴなどの果物を植え込んでいた。
草花は仏様、お墓の墓前に供えたり、或いは室内の花瓶に生けたりしていた。

イチゴは5月頃になると、白い花をつけた後、結実し、初夏の頃に赤み帯びて成熟する。

私は幼年期であったので、
『まだ駄目・・!?』
と私は叔母に懇願するように云ったりした。

『まだ白さがあるでしょう・・もう少しね・・』
と叔母は云いながら、2坪ほどの広さのイチゴ畑の中で、
少し赤く色づい実を捜して、ひとつぶを私の口に入れてくれた。

口に入れて噛み砕いているうちに甘み拡がってきた・・。


昭和50年、家内と交際をはじめ後、1月の下旬だったと思うが、
東京駅で待ち合わせ、新幹線の『こだま』で清水駅まで利用し、
日本平付近の丘陵のイチゴ園に行った。
日当たりの良い丘陵でビニールハウスの中で養育されていた。
入り口でカップに入れたミルクを頂き、ハウス内のイチゴをもいで食べる方法であったが、
途中で家内に私のミルクを手渡して、私は外に出た。

ハウスの入り口から少し離れた所で、
私は煙草を喫いながら海辺の光景を観ていたが、
ときたま微風を受けると寒さが感じられた。

私は3粒を頂いたが、初夏の果物がどうして・・と思ったりした。


昭和35年の高校生になると、季節を問わずショート・ケーキの上にイチゴが載せられたり、
日本の各地でビニールハウスの情景が見られたりした。
私が中途入社した昭和45年を過ぎると、会社の2月頃の旅行の折、イチゴ園に寄ったりした。

私は露地栽培の初夏、実がまばらな小粒で、淡い甘さが幼年期の想いでのためか、
昨今のイチゴには戸惑いを覚えている。


尚、私はお酒大好きな呑兵衛の男であるので、
イチゴは婦女子の果物のひとつであると確信し、20数年過ぎている。
家内がこの時節も愛食しているが、
私は1年に2粒ぐらいお付き合いしている程度である。




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まもなく『大寒(だいかん)』の時節を迎え・・♪

2009-01-15 08:55:06 | 小庭の情景を眺めながら
東京郊外の調布市に住む私は、
早朝にカレンダーを眺めていたら、1月20日は【大寒】と明示されて、
私は苦笑したのである。

古人より『大寒』の頃になれば、一年で最も寒い時期、と伝えられているが、
東京の郊外は、昨年の23日に雨が降ってから、今年も一度に降った程度で、
冬晴れの日が多く、乾ききった日々となっている。

私は年金生活の5年生の身であり、日頃は買物、散策をしたりしているが、
昨年の初冬以来、札幌に訪れた旅行以外、
マフラーをしていないことに気付いたのである。


今朝方、地元の天気情報を見ていたら、
朝の6時過ぎは2度、日中は6度前後の冬晴れとなるが、
ときおり北風が強く吹くので今年一番の寒さとなります、
と報じていた。


私は散策などの場合は、冬のスポーツ・シャツに綿入れの外出用の袢纏(はんてん)、
冬用のズボン、そして足袋と下駄の容姿で出かけたりしている。
買物などで購入品が多い場合は、厚手のセーターと冬用のズボン、
そしてウォーキング・シューズとなったりしているが、
いずれもマフラーはしなかったのである。

私は付近の遊歩道を歩いたりしていると、乾ききった状景を眺めたりしていると、
早く雪が降らないかしら、と待ち焦(こ)がれているひとりである。
公共交通機関の支障がない5センチ前後がベストよ、
と心の中で祈願したりしているのである。


先ほどから、主庭、居間に朝のまばゆい陽射しを受けて折、
私はいつものように足袋を穿(は)き、下駄で主庭のテラスに下り立った。
煙草を喫いながら、霜柱を見つめたりしていたが、
陽射しを受けているので、まもなく消えうせてしまうので、
私ははかなさの美を感じたりしている。



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