我家の台所にある風物詩のあるカレンダーを見ていると、
『イチゴの日』とイチゴの絵も描かれて、可愛らしく表示されていた。
私はイチゴの生産か販売に携(たずさ)わる方たちが、
イチゴの消費拡大を目的として、この日はたまたま15日であり、
【一五(いちご)】の語呂(ごろ)あわせ、健気(けなげ)に制定した、
と何かの本で読んだことがあった。
私は、イチゴかょ、と思い浮かべ、
少なからず私なりに思いでがあったので、恥ずかしながら綴ってみる。
私は定年退職後、日常の買い物を担当しているので、
スーパーの生鮮野菜コーナー、果物コーナーなどを見たりしている。
この時節、イチゴの赤く成熟した大粒が並んでいる。
家内は好きな果物のひとつであるので、買い求めたりしている。
昭和26年の頃は小学1年生であった私は、
祖父、父が健在で程々手広く農業をしていた。
叔母達も陽当たりの良い畑の一角で、草花を植えたり、イチゴなどの果物を植え込んでいた。
草花は仏様、お墓の墓前に供えたり、或いは室内の花瓶に生けたりしていた。
イチゴは5月頃になると、白い花をつけた後、結実し、初夏の頃に赤み帯びて成熟する。
私は幼年期であったので、
『まだ駄目・・!?』
と私は叔母に懇願するように云ったりした。
『まだ白さがあるでしょう・・もう少しね・・』
と叔母は云いながら、2坪ほどの広さのイチゴ畑の中で、
少し赤く色づい実を捜して、ひとつぶを私の口に入れてくれた。
口に入れて噛み砕いているうちに甘み拡がってきた・・。
昭和50年、家内と交際をはじめ後、1月の下旬だったと思うが、
東京駅で待ち合わせ、新幹線の『こだま』で清水駅まで利用し、
日本平付近の丘陵のイチゴ園に行った。
日当たりの良い丘陵でビニールハウスの中で養育されていた。
入り口でカップに入れたミルクを頂き、ハウス内のイチゴをもいで食べる方法であったが、
途中で家内に私のミルクを手渡して、私は外に出た。
ハウスの入り口から少し離れた所で、
私は煙草を喫いながら海辺の光景を観ていたが、
ときたま微風を受けると寒さが感じられた。
私は3粒を頂いたが、初夏の果物がどうして・・と思ったりした。
昭和35年の高校生になると、季節を問わずショート・ケーキの上にイチゴが載せられたり、
日本の各地でビニールハウスの情景が見られたりした。
私が中途入社した昭和45年を過ぎると、会社の2月頃の旅行の折、イチゴ園に寄ったりした。
私は露地栽培の初夏、実がまばらな小粒で、淡い甘さが幼年期の想いでのためか、
昨今のイチゴには戸惑いを覚えている。
尚、私はお酒大好きな呑兵衛の男であるので、
イチゴは婦女子の果物のひとつであると確信し、20数年過ぎている。
家内がこの時節も愛食しているが、
私は1年に2粒ぐらいお付き合いしている程度である。
『イチゴの日』とイチゴの絵も描かれて、可愛らしく表示されていた。
私はイチゴの生産か販売に携(たずさ)わる方たちが、
イチゴの消費拡大を目的として、この日はたまたま15日であり、
【一五(いちご)】の語呂(ごろ)あわせ、健気(けなげ)に制定した、
と何かの本で読んだことがあった。
私は、イチゴかょ、と思い浮かべ、
少なからず私なりに思いでがあったので、恥ずかしながら綴ってみる。
私は定年退職後、日常の買い物を担当しているので、
スーパーの生鮮野菜コーナー、果物コーナーなどを見たりしている。
この時節、イチゴの赤く成熟した大粒が並んでいる。
家内は好きな果物のひとつであるので、買い求めたりしている。
昭和26年の頃は小学1年生であった私は、
祖父、父が健在で程々手広く農業をしていた。
叔母達も陽当たりの良い畑の一角で、草花を植えたり、イチゴなどの果物を植え込んでいた。
草花は仏様、お墓の墓前に供えたり、或いは室内の花瓶に生けたりしていた。
イチゴは5月頃になると、白い花をつけた後、結実し、初夏の頃に赤み帯びて成熟する。
私は幼年期であったので、
『まだ駄目・・!?』
と私は叔母に懇願するように云ったりした。
『まだ白さがあるでしょう・・もう少しね・・』
と叔母は云いながら、2坪ほどの広さのイチゴ畑の中で、
少し赤く色づい実を捜して、ひとつぶを私の口に入れてくれた。
口に入れて噛み砕いているうちに甘み拡がってきた・・。
昭和50年、家内と交際をはじめ後、1月の下旬だったと思うが、
東京駅で待ち合わせ、新幹線の『こだま』で清水駅まで利用し、
日本平付近の丘陵のイチゴ園に行った。
日当たりの良い丘陵でビニールハウスの中で養育されていた。
入り口でカップに入れたミルクを頂き、ハウス内のイチゴをもいで食べる方法であったが、
途中で家内に私のミルクを手渡して、私は外に出た。
ハウスの入り口から少し離れた所で、
私は煙草を喫いながら海辺の光景を観ていたが、
ときたま微風を受けると寒さが感じられた。
私は3粒を頂いたが、初夏の果物がどうして・・と思ったりした。
昭和35年の高校生になると、季節を問わずショート・ケーキの上にイチゴが載せられたり、
日本の各地でビニールハウスの情景が見られたりした。
私が中途入社した昭和45年を過ぎると、会社の2月頃の旅行の折、イチゴ園に寄ったりした。
私は露地栽培の初夏、実がまばらな小粒で、淡い甘さが幼年期の想いでのためか、
昨今のイチゴには戸惑いを覚えている。
尚、私はお酒大好きな呑兵衛の男であるので、
イチゴは婦女子の果物のひとつであると確信し、20数年過ぎている。
家内がこの時節も愛食しているが、
私は1年に2粒ぐらいお付き合いしている程度である。