夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

大津波に耐え、そして18時間も冷水につかり、やっと家に帰還した男は、原発の避難となり・・。

2011-03-18 16:48:59 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
過日の11日に発生した観測史上最大の地震の東日本巨大地震に伴い、
先ほど、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】のひとつのニュースを読んだりした。

大津波に耐え、そして18時間も冷水につかり、やっと家に帰還した男は、やがて原発の避難となった、
記事であったが、私は読みながら圧倒的に感動させられ、
読み終わった後、気が付くと涙が流れたいた・・。

無断であるが、この男性の言動を賞賛致したく、転載させて頂く。

《・・

「ゴー」。
11日午後3時20分頃、仙台港で、運んできた荷物をトレーラーから下ろした直後、
福島県・南相馬市の運送会社員(40)の耳に、地鳴りのような音が響いた。

海の方を振り返ると、数百メートル先に津波が見える。
高さ約10メートル、壁のような波の上で、コンテナや車がクルクルと回転していた。


「少しでも高いところに逃げないと」。
とっさに、近くに並んで止まっていたトレーラーの中で、一番高い荷台に飛び乗った。

運転席近くに張ってあった鉄製ワイヤに、しがみつく。
すぐにたたきつけるような波が襲ってきた。
「ダメかもしれない」。
何度も流されそうになりながら、ちぎれそうになる指に、力を込めて体を支えた。


「助けてくれー」。
隣のトレーラーが横転し、荷台にいた同僚が、叫び声を上げながら水にのみ込まれた。

津波が過ぎ去っても、首から下は、水につかったまま。
周りを見渡すと、周囲の建物は消え、残骸となった立体駐車場だけが残っていた。


日が暮れた。
上空から自衛隊のヘリコプターのサーチライトが、付近を照らす。
凍えて体に、力が入らない。
何とか片手を振ったが、気付いてもらえない。

余震の度に水面が揺れ、近くで起きたコンビナート火災の「ボン」という不気味な音が、
暗闇に響いていた。


その時だった。
「死ぬんじゃねえぞー」。
流されたはずの同僚の声が、遠くで聞こえた。

同僚は救助され、少し離れた倉庫2階に避難していた。
「大丈夫だ」。
大声で返す。

寒さで意識を失いそうになるたび、同僚の励ましの声が聞こえ、気持ちを奮い立たせた。
「妻子を残して死ねない」。
自分に言い聞かせ、耐えた。


長い夜が明けると、少しずつ水が引いていった。
午前10時頃、荷台から下り、水の中をがれきに、足を取られながら40分かけて移動し、
同僚らのいる倉庫に引き上げられた。


その日、同僚の車で約4時間かけて、南相馬市の会社にたどり着いた。
心配して社に駆けつけていた妻(36)、長男(10)、長女(2)と抱き合った。
自宅は無事という。
涙が止まらなかった。
「生きていることが自分でも信じられない。
こんなことがあるんだと思った」


必死の思いで戻った我が家。
だが、「奇跡の生還」から2日後の14日、
福島第一原発3号機で爆発が起きた。

足は凍傷になっており、医師からは入院を勧められたが、
家族と避難することを決めた。
「放射能が広がったら危ない。
家族を守らないと」


福島市で避難所暮らしが始まった。
原発の脅威は増すが、ガソリンが足りず移動手段もない。
つらい生活は続く。
だが、前を向いて生きようと決めている。
「命があって家族といられれば、それでいい。
みんなで苦しみを乗り越えたい」

(2011年3月18日14時42分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

参考として、原文を添付する。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110318-OYT1T00584.htm
☆【YOMIURI ONLINE】《大津波から生還、原発から退避…「でも生きる」》☆

この後、私は改めて再読し、涙を浮かべ読んだりしている。


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『私たち皆が、様々な形で少しでも多く分かち合っていくことが・・』のお言葉、首都圏に住む私たちは・・。

2011-03-18 12:44:35 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
過日の11日に発生した観測史上最大の地震の東日本巨大地震、
これに伴う大津波などに寄る壊滅的な大惨事に関して、
購読している読売新聞で読んだり、テレビでNHKニュースを視聴し、ネットで各紙のニュースを読み、
各地域で甚大な災害に、知るたびに驚嘆している・・。
その上、福島第一原子力発電所で事故が発生、その後も相次ぐ事故に関して、動顚している。

そして大惨事の被災した地域で、被災者の救出、救援などに関しては、
政府はもとより、各自治体の関係者、警察、消防、そして自衛隊の方たち、
米軍はじめとする主要国の救援隊などに、日夜奮闘されている状況を、
無力な私はハラハラとしながら、救出される人たちの情景を感動させられながら、
テレビのニュースで視聴したりしている。

こうした中で、16日の夕刻に天皇陛下が東日本巨大地震に関し、
国民に語りかけられたメッセージを公表され、私は外出していたので、夜のNHKニュースで知った。


私は1944(昭和19)年に生を受け、敗戦後は農家の児として幼年期は過ごし、
祖父、両親の教育のもとに、天皇陛下を敬(うやま)うを教えを受け、
数多く国民の人たちと同様に育ったので、今回の詳細のお言葉を知りたくて、
読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】で精読した。

無断であるが、記載させて頂く。

《・・
          天皇陛下、東日本巨大地震でメッセージ

(略)
天皇陛下が東日本巨大地震に関し、
国民に語りかけられた約5分半のビデオメッセージを発表した。

16日収録。
この中で陛下は、被災者を案じ、救援関係者をねぎらい、
国民が深い悲しみの中にも希望を捨てず、苦難を分かち合って乗り越えることを願われている。
災害を受け天皇陛下が、国民に映像を通し語られるのは初めて。

          ◇

東日本巨大地震について天皇陛下が16日、ビデオメッセージで語られた内容は次の通り。


この度の東北地方太平洋沖地震は、マグニチュード9・0という例を見ない規模の巨大地震であり、
被災地の悲惨な状況に深く心を痛めています。

地震や津波による死者の数は日を追って増加し、犠牲者が何人になるのかも分かりません。
一人でも多くの人の無事が確認されることを願っています。
また、現在、原子力発電所の状況が予断を許さぬものであることを深く案じ、
関係者の尽力により、事態の更なる悪化が回避されることを切に願っています。


現在、国を挙げての救援活動が進められていますが、
厳しい寒さの中で、多くの人々が、食糧、飲料水、燃料などの不足により、
極めて苦しい避難生活を余儀なくされています。

その速やかな救済のために全力を挙げることにより、被災者の状況が少しでも好転し、
人々の復興への希望につながっていくことを心から願わずにはいられません。
そして、何にも増して、この大災害を生き抜き、被災者としての自らを励ましつつ、
これからの日々を生きようとしている人々の雄々しさに深く胸を打たれています。


自衛隊、警察、消防、海上保安庁を始めとする国や地方自治体の人々、
諸外国から救援のために来日した人々、国内の様々な救援組織に属する人々が、
余震の続く危険な状況の中で、日夜救援活動を進めている努力に感謝し、その労を深くねぎらいたく思います。

今回、世界各国の元首から相次いでお見舞いの電報が届き、
その多くに各国国民の気持ちが、被災者と共にあるとの言葉が添えられていました。
これを被災地の人々にお伝えします。


海外においては、この深い悲しみの中で、
日本人が、取り乱すことなく助け合い、秩序ある対応を示していることに触れた論調も多いと聞いています。
これからも皆が相携え、いたわり合って、この不幸な時期を乗り越えることを衷心より願っています。

被災者のこれからの苦難の日々を、
私たち皆が、様々な形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います。
被災した人々が決して希望を捨てることなく、
身体(からだ)を大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう、
また、国民一人びとりが、被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、
被災者と共にそれぞれの地域の復興の道のりを、見守り続けていくことを心より願っています。

(2011年3月16日17時26分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文をあえて改行を多くした。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110316-OYT1T00665.htm
☆【YOMIURI ONLINE】 《天皇陛下、東日本巨大地震でメッセージ》☆


こうしたお言葉を拝読して、首都圏に住む私たちは、東北の太平洋側の震災後、
そして福島第一原子力発電所で事故が発生、その後も相次ぐ事故の中、
もとより各地域で甚大な災害に、知るたびに驚嘆したり、動顚している・・。

そして大惨事の被災した地域で、多数の被災者が最寄の避難所でギリギリの窮乏生活を強いられる中、
政府はもとより、各自治体の関係者、警察、消防、そして自衛隊の方たち、
米軍はじめとする主要国の救援隊などは、被災者の救出、救援などに日夜奮闘されている状況を、
テレビのニュースなどで知ったりしている。

こうした中で、私たち首都圏に住む人も度(たび)重なる余震におびえたり、
電力不足が予測されるので、東京電力による『計画停電』が実施され、
対象地域、時間による停電が行われたりしている。

そして、公共交通機関は節電に協力に伴い、終日運休や部分運運休などが実施されて、
働いて下さる現役の諸兄諸姉が往復路で大混乱となったりしている。


こうした首都圏の昨今の実情は、
被災地でもないのに、ガソリンや食料などの買いだめの具体的な動きがあり、私は動顚している。

私は定年後は判断力の衰えたので、自動車免許書は更新を取りやめたので、
歩いたり、公共機関を利用したりしている。
そして平素の買物担当をしているので、最寄のスーパーに10分ぐらい歩いて行ったり、
ときおり幾つかの駅前に15分から30分ぐらい歩いて、スーパー、専門店で買物をしたりしている。

11日の震災後の翌日、我が家はふたつばかりある懐中電灯があるが、
万一、震災があったならばと思い、電池の予備がなかったので、
最寄のスーパー、コンビニに探し求めたのであるが、平素はあふれんばかりの電池は全くなかったのである。
帰宅後、やむえず蝋燭(ろうそく)を家の保存場所から出したりした。

その後、いつものようにスーパーに行ったが、
営業時間が短縮されたり、入店人数の制限をされたり、
店内は私のような買物客で混雑し、食料品などが品薄すとなり、どうしてなの、と思い帰宅したりした。

昨日もいつものようにスーパーに買物に行ったが、
パンの棚は、わずかに残ったパンの棚に、お一人さま二つ限り、と明示され、
お米の棚は、からっぽとなり、ご家族様一袋限り、と札が掲げられていた。

平素はあふれるようなあるバン、麺類、米などの食料品があり、
需要より供給力があるので、デフレの一面がある社会情勢の中、
被災地の困窮した状況でもないのに、と私は苦笑するばかりであった。


そして、帰宅の途中、天皇陛下のお言葉を思いだされたのである・・。

《・・被災者のこれからの苦難の日々を、
私たち皆が、様々な形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います・・》

首都圏の私たちは、被災者でもないのに、
私も平素より菓子パンをひとつ多めに買い求めたので、恥ずかしいと赤面しながら、
家に向ったのである。


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