<カクレキリシタン>
隠れキリシタンはいまでは長崎県にしか存在しないといわれている。甑島や摂津の高槻、そして奥州など全国の何ヶ所かにも隠れキリシタンが近現代に存在したという説があるが、それは正しくない。古野清人は『隠れキリシタン』において、現代においても集落をなして、キリシタン信仰と行事とを多少とも持ち続けているのは長崎県下のほかには確認されていないとする。
長崎県以外の現代の隠れ信者たちは、自身がキリシタンの末裔であるという認識や記憶が一切ない。単なる土俗宗教らしきものを護持しているだけであって、カクレであっても、彼らはキリシタンではない。
宮崎賢太郎著『カクレキリシタン』によると、たくさんの人たちがカクレキリシタンに興味や関心を抱く理由をつぎのように説明している。
キリスト教という世界最大の信徒数を擁するメジャーでグローバルな普遍宗教が徹底的な迫害を被り、仏教や神道や日本の民俗信仰と深く融合しながらも、二百数十年間厳しい弾圧に耐えて信仰を守り続けた驚異的な強さに人々が心動かされるからであろう。さらに深く私たちの好奇心をかきたてるのは、現代では信仰の自由が認められているにもかかわらず、なぜ今日にいたるまでカトリックに戻ることなくその信仰を守り続けているのだろうか、という素朴にして根源的な疑問によるものであろう。
現存のカクレキリシタンは、いまだに隠れてキリスト教を守り続けているという、幻想的にしてロマンチックなイメージによって生み出されている。宮崎は「現在のカクレキリシタンはもはや隠れてもいなければキリシタンでもない。日本の伝統的な宗教風土のなかで年月をかけて熟成され、土着の人々の生きた信仰生活のなかに完全に溶けこんだ、典型的な日本の民俗宗教のひとつである…カクレキリシタンにとって大切なのは、本来のキリシタンの教えを守っていくというのではなく、先祖が伝えてきたものをたとえ意味は理解できなくなってしまっても、それを絶やすことなく継承していくことであって、それがキリスト教の神に対してではなく、先祖に対する子孫としての最大の務めと考えているのである。カクレはキリスト教徒ではなく、祖先崇拝教徒なのである」
<2015年10月10日 南浦邦仁>
最低な人たち
二千年の歴史のなか、陽も陰も、正も負も、
キリスト教には隠された謎がいっぱいありそうです。