ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

あひる余話(3)対馬つしま

2024-12-26 | Weblog

 アヒルの歴史探求は、迷路に入り込んだようです。いつごろ誰がアヒルと名付けたのか。一時は、室町時代でほぼ結論が出た。と安堵していたのですが、どんでん返しに会いました。いまだに不明です。

 しかしいまさら諦めるのもしゃくです。まだもう一息、粘ってみます。

今日の追及は「対馬島」。朝鮮半島と九州のほぼ中間。玄界灘に位置する大きな島です。人口約3万人。佐渡島、淡路島などとならぶ島です。

 

 対馬の注目は、苗字「阿比留」さんです。長崎県対馬市で、もっとも多い姓だそうです。読みは「あひる」かと思っていたら「あびる」がただしい。

 ご先祖は上総国の官人をつとめていましたが、9世紀に日本海・対島の国司に転勤したという。名は本来「畔蒜」(あびる)、千葉県の旧居住地域の地名だそうですが、「阿比留」姓は、入島定着後からの改名のようです。

 かつての対馬といえば、役所から宮から一般人まで、みな平和な阿比留一族。彼らが数百年にわたって、島を治めていましたのに、1300年ころに宗氏が大宰府から入島し、その後守護として島を制圧してしまいます。

 しかし前任者の阿比留氏と新任の宗氏は、おそらく大きな合戦もせず、ほぼ円満に統治を引き継ぐことができたようです。いまも住人の多数が阿比留姓ですが、その事実が円滑な権限移譲や分担を物語っているように思います。また反対に宗氏ですが、入島から700年後の幕末まで、大名家を続けています。宗一族も賢明な統治を実践されたのでしょうね。

 ところで姓「阿比留」氏と、鳥「阿比留」君。「あびる」と「あひる」。どのような繋がりがあるのでしょう。

<2024年12月25日>

 

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