<堀田善衛とクロ宗>
ところで堀田善衛の小説のクロ宗記述は、部外者が書いたとは思えぬほど詳しい。離島の山中の秘密の寒村について、なぜ彼はここまで知ることができたのであろう。実に不思議である。
鬼行にたとえられる伝承の葬送儀式など、また登場人物の言動など、当然だが堀田の創作である。しかしそれらを差し引いても、堀田の記述はあまりにも現地の事情に通じ過ぎているほどだ。鹿児島にも甑島にも接点をもたないはずの堀田が、なぜこの作品をつくりあげることができたのであろう。
堀田は本式にキリシタン小説を書くために九州を訪れた。しかし彼は、さまよい歩いて鹿児島まで流れて行ってしまい、とうとう薩摩半島南端の野間岬という、本土のドンジリまで行って、そこの網元である山本家に一月近くも世話になった。
「この野間岬からポンポンで四十分行くと、甑島がある。上と中と下の三っの島にわかれている。ほんとうにさびしい岩ばかりの離島である。そこの東シナ海側の断崖にかこまれた某村にクロ教というものがある、と聞いたので別に、それほどの関心をもってではなくて、山本家の若旦那といっしょにポンポンで行ってみた。…クロ教というものが、キリシタンの土俗化したものであろうという小説『鬼無鬼島』の設定は、これは要するに私の設定というものであって、その正体は、これはわからないというよりほか仕方はないであろう」
そして堀田は、天皇制の成立基盤について、つぎのように問いかけている。日本の土俗の奥の方にあるらしい、無限に不気味な怪物がそれを成立させているのではないか。「それ」は「天皇制」である。天皇制とは何か、それが存続しうるいちばんどん底の理由はなにか、とその解答を求めて模索していた時期の作品が『鬼無鬼島』であった。
また堀田は、自分のなかには、戦中戦後を通じて天皇制の問題が、鋭く自分をつきあげるものとして存在しつづけていた。「天皇制とは何か、それが存在しうるいちばんどん底の理由とは何か、天皇制というものは、日本の、たとえばピラミッドの頂点にあたるものなのか、それともそれはなにかの頂点などというものではまったくなくて、日本の、どん底の何物かなのか、なぜそれがアリガタイモノなのか、それは現代世界とどういう関係にあるものなのか、それはいかなる理由によって肯定されなければならぬものなのか、またいかなる理由によって否定されなければならないか、もし否定されるとすれば、いつ否定されるものなのか」
天皇制をめぐっては、疑問は山のようにあって、疑問だけが存在するのである。しかもなお天皇制は存在するのである。堀田にととのった答えがない。「誰にあろう?」しかし「この問題に答えることが出来ないで、疑問を疑問のままで放ったらかしておいて、どうして現代の日本で文学者であることが出来るか、それが悪夢のように私について来た。…私はいろいろに考えた。結論は、ない……。そういう頃に、私は『鬼無鬼島』を書いた。」
真継伸彦は堀田善衛全集解説でこのように記している。「天皇制というものに、何ら実体はない。鬼無き鬼とは、実体がない幽霊が民衆をおびやかしているということの象徴である。天皇という権威は、私たち日本人が生きるために、『考えれば不要』のものなのだ」。小説ではサカヤを村では「山の天皇」と呼んでいる。(1974年版第4巻『鬼無鬼島』収載)
鈴木昭一は帝塚山短大紀要「宗教とその土俗化」において、「『鬼無鬼島』は、クロ宗の実体の考察のなかで、日本における神・信仰・思想の土俗化とそれに密着したものとしての天皇制の根源を追及しようとしたものである」と記している。
先に紹介した旧制川内中学校の「甑島のクロ宗」に「最近に行われた鹿児島県当局の調査によれば……」と記されている。川内中が刊行したのは昭和11年である。昭和初年にクロ宗の現地調査が行われたのである。
この詳細な報告書を堀田は読んだのであろう。それにしても、なぜこのような特殊な官制の文書を知ったのか? 戦後間もないころ、おそらく昭和31年かその前年に堀田はクロ宗報告書を読んだとしか考えられない。甑島へはたぶん三度通っている。
当時の鹿児島県立図書館館長は、久保田彦穂という。動物物語で有名な児童文学者の椋鳩十が、久保田の筆名である。昭和30年のころ、堀田は鹿児島に椋を訪ねた。そして甑島のクロ宗の話を聞いて驚いた。当時、鹿児島図書館が所蔵していた昭和初年に県が実施したクロ宗調査報告書を読み込んだ。わたしの勝手な推理だが、おおむね正しいであろうと信じている。
<2015年10月18日 南浦邦仁>
「原稿をまだいただいていません」との連絡があり、「ちゃんと日限厳守で、レターパックで送りました」と返事して、日本郵便に12桁の識別番号を知らせて、追跡調査してもらったところ、確かに配達されていました。配達員の名前も、配達時刻も分単位でわかりました。
私もいろいろな版元と、付合いがありますが、原稿を紛失されたのは初めてです。ここってそんなに頼りない出版社なんですか?
しっかりした出版社のはずです。
それにしても不可解です。
ここは書店の丸善から出版部門が独立したんでしたね。親会社は丸善CHIHDで、傘下にはジュンク堂や雄松堂も入っているとか。書店も本が売れないから大変ですね。
小説ってどんなものかご存じない?