ふろむ播州山麓

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元祖「天狗」は隕石だった?!(2)

2014-06-20 | Weblog
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<西暦637年の天狗>

 日本古代では『日本書紀』に天狗が記されています。舒明天皇9年2月23日(637年)に天狗が日本史上はじめて出現します。
 大きな星が東から西に流れた。大音が響いたが雷に似ている。人々が言うに、流星(ながれぼし)の音だと。また別の人が言うのに、土雷(つちのいかづち) であろうと。しかし僧旻(そうみん)法師は「流星ではない。あれは天狗である。その吠え声が雷に似ているだけだ」と言った。
 読み下しでは「九年春二月丙辰朔戌寅、大星東ニ従イテ西ニ流。音有リテ雷ニ似タリ。時ニ人ノ曰ク、流星ノ音ナリ。又曰ク、地雷ナリ。是ニ於イテ、僧旻僧曰ク。流星ニ非ズ。是レ天狗ナリ。其ノ吠ユル声、雷ニ似レルノミ」

 ところで隕石らしき流れる物体を、流星ではなく天狗といった僧旻(そうみん)法師ですが、もとの名は日文(にちもん)。渡来人の子で、在日2世か3世だったと言われています。推古 16年(608年)の第2次遣隋使節の小野妹子とともに、留学生の高向玄理や南淵請安などと隋に向かいました。日文 は名の二字を上下にくっつけ「旻」とし、「僧旻」と名乗る。隋そしてあたらしく建国なった唐に24年間留まり、学業に励んだ。そして舒明4年632年に帰国。 その5年後に彼が語った「天狗」は、隋や唐の時代に、大陸の人たちが信じていた「天狗」観からの解釈だったはずです。
 帰国後の僧旻法師は大陸帰りの学者僧として、朝廷で重きをなします。蘇我入鹿や藤原鎌足たちにも講義しています。中大兄皇子も話を聞いたことでしょう。 もしかしたら皇子は、天狗の正体を聞きただしたかもしれませんね。そのように考えると、実に楽しい。僧旻と皇子の隕石天狗談義を喜んでいるのは、おそらく わたしだけでしょうが…。
 大化元年645年のクーデター翌日には、僧旻は国博士に任じられています。そして大化の改新のブレーンとして、隋唐の新制度を倭国に導入しました。没年は653年ですが享年は不明。日本建国の礎石を築いたひとりなのですね。
 僧旻法師が隋唐で学んだであろう『史記』『漢書』、そして『山海経』などに隕石天狗が登場します。それにしてもなぜ隕石が天狗で、天の狗「ワンコ」なのでしょう。

<古代中国の天狗>

 地球上にはこれまで大小、さまざまの隕石が落下していますが、中国古代の記述をみてみます。落下する隕石は天狗と呼ばれ、轟音は天鼓と記されています。
 2100年ほど前に記された司馬遷『史記』。隕石の落下のときには、雷ではないけれど同じような音が鳴り響く。それは空の太鼓、天鼓(テンコ)の音である。空を飛ぶ隕石を「天狗」(てんぐ・テンコウ)と呼ぶが、その姿は大彗星のようだ。落ちた石の姿は狗(いぬ)のごとくで、火と光を発し炎は天をこがす。
「天鼓、有音如雷非雷、音在地而下及地」
「天狗ノ状ハ大奔星ノ如ク、声アリ下リテ地ニ止レバ狗ニ類ス。堕(お)ツル所ハ炎火ニ及ブ、コレヲ望メバ火光ノ如ク、炎炎トシテ天ヲ衝ク」

 司馬遷の百年ほどのちの『漢書』では「天鼓有音、如雷非雷、天狗、状如大流星」
 唐代の『雲仙雑記』では「雷曰天鼓、雷神曰雷公」
 古代中国では、隕石は天狗であり流星のごとく。地に墜ちれば天を衝くように燃え上がる。また雷に似た大音、天鼓を響かせる。

 地球に着地した天狗について『山海経』はつぎのように記しています。
 「天門山に赤犬あり。名づけて天狗という。その光は天に飛び流れて星となる。長さ数十丈。その速きこと風のごとく、その声雷のごとく、その光は電の如し」
 陰山の天狗について『山海経』は「獣有り、その状はタヌキのごとし、白き首なり、名を天狗という。その音榴榴というがごとし」。同書には蛇を口にくわえた天狗の絵が描かれているが、その姿はタヌキよりもネコに近いように思える。なお『山海経』は古代中国において、二千何百年も前から数百年かけて付加筆されて成立した奇書。

 僧旻が唐を去って百年ほど後の事、長安郊外の動物園でテングを観察した人物がいる。詩人杜甫が玄宗皇帝造営の華清宮の園で見た。杜甫「天狗賦」によると大小数匹が飼育されていたようです。
 「天狗は深い谷のように大きさと重々しさをたたえており、放つ気迫はきわだって優れている。色は獅子にも似て、小さいものは猿のようである」
 原文読み下しでは「天狗麟峋(りんしゅん)タリ。気、神秀ニ触レ、色、猨猊(えんげい)ニ似、小ハ猿狖(えんゆう)ノ如シ」
 中国ではニ千年以上にわたって、地上に降りた天狗はいつまでも四足の妖獣として存在し続けています。片や日本では変身を続け、半鳥半人から赤面の鼻高人に行きついてしまったのです。そもそものスタートは、同じく隕石であったのです。
<2014年6月20日 南浦邦仁>

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