現実は、困ったことに実に厳(きび)しい。人々はそんな中を必要、不必要にかかわらず生きていかねばならないのだ。その世知辛(せちがら)い現実を忘れさせてくれるのが理想である。理想は憧(あこが)れとか希望を抱(いだ)くことで、現実から逃避(とうひ)するための手段である。旅をしたり、趣味に時間を費(つい)やしたり、音楽や映画、絵画鑑賞とかに時間を割(さ)くのも、すべて厳しい現実から逃(のが)れ、一抹(いちまつ)のリフレッシュで心を癒(いや)すための行為・・と言い切っても過言ではない。
「神川(かみかわ)さん、明日からお休みですか…いいですな」
溜め息をつきながら大仏(おさらぎ)が渋面(しぶづら)で言った。大仏は多くの仕事が山積していて、とても休暇を取れるような状態ではなかったのだ。仕事に追われていたのである。そこへいくと、神川の場合は間逆で、仕事が欲しいくらいに暇(ひま)をもて余した状態だった。まるで、持つ者と持たざる者、あるいは富裕層と貧困層のような差が二人にはあった。大仏は恨(うら)めしそうに蒼白(あおじろ)い顔で神川を見た。
「ははは…ええ、まあ…」
神川は愛想笑いで暈(ぼか)した。
さて、ここで問題である。二人を比較して、どちらの方が幸せだと皆さんはお考えになられるだろう。驚くなかれ、正解は大仏の方である。実のところ、神川は多額の債務を抱(かか)えていて、債権者に追われていたのである。休暇も、彼らから身を隠す手段だったのだ。大仏は仕事には追われていたが、終わったあとには、至福のひと時があった。大好物のステーキが彼を待っていたのだ。だから理想と現実は不可解なのである。
完