水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

困ったユーモア短編集-91- 入れ込む

2017年07月10日 00時00分00秒 | #小説

 冷静になれる人は、決して物事に入れ込むということはない。これは、ダメだな…と分かった段階で、すぐ撤退(てったい)できるからだ。そこへいくと、頭に血が上(のぼ)りやすい・・要するに短気な人の場合は困ったことに撤退できず、入れ込むことになる。さらに困ったことには、入れ込めば入れ込むほど、底なし沼のように動きが取れなくなり、もはやこの時点では撤退ができない。かといって、進めることも叶(かな)わず、物事は暗礁(あんしょう)に乗り上げてしまう・・ということになる。ムダに費(つい)やして流れた時間は取り戻(もど)せることもない。そこへいくと、冷静に撤退した人は、別のことへ進めるから、生活も進む訳だ。
 日曜の朝、朝食もそこそこに、滞(とどこ)っていた残業を帯川(おびかわ)は始めた。家に持ち帰ってやることでもないか…と続けようとしたが、疲れているから、そこまでやることもないか…と思い返し、撤退して家でやることにしたのだ。
 昨日の夕暮れどきの職場である。家に帰れば、少なくても風呂や冷たい酒で疲れを癒せる。ツマミには、取っておいたモンコ烏賊(いか)の黄金漬けが冷蔵庫に収納されているはずだ…と気長はニンマリと笑みを浮かべ席を立った。
「お先にっ!」
「早いっ! 帯川さん、もう済んだんですか?」
「ええ、まあ…」
「出来る人はこうだからねぇ~!」
 もう一人、残っていた襷(たすき)は恨めしそうに呟(つぶ)いた。この男は入れ込む性格で、なにがなんでも今日中に残業を片づけ、帰って日曜はのんびり過ごそう…と目論んでいた。だが、襷も疲れていたから、なかなか捗(はかど)らなかった。
「それじゃ、お先に…」
 そう言って帯川が退社すると、俄(にわ)かに眠気が襷を襲った。襷はそのまま、いつの間にかウトウトと眠ってしまった。そして気づいたとき、夜は白々と明け、すでに早暁(そうぎょう)になっていた。残業は何も出来ていなかった。襷は焦(あせ)った。襷は益々(ますます)、入れ込むことになり、底なし沼へと沈んでいった。
 一方、早々に帰宅した帯川は、風呂と冷酒で疲れを癒し、目覚ましを5時にセットすると早々に眠りについた。起きたあとの帯川は完全にリフレッシュされていた。持ち帰った残業は捗り、早暁には完成を見た。
 まあ、入れ込む人と、そうでない人は、これだけの差を見せるのである。

                         


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