水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

困ったユーモア短編集-100- 究極の困難

2017年07月19日 00時00分00秒 | #小説

 人には困ったことに、究極の困難という切羽(せっぱ)詰まることが人生で何度か訪れる。もちろん、一度も訪れず、人生を平穏無事に生きてお亡くなりになる方もなくはない。なくはないが、世間一般では通常、よく見受けられる。
 久山は今年で85になる独居老人だ。妻に先立たれ、子供に恵まれなかったということもあり、今は寂しい身の上となってしまった。それでも久山は、自分のような身の上の人間は世間に五万といる…と考えられたから、まだよかった。孤独感に苛(さいな)まれ、思い余って自殺で命を落とす老人のニュースが、つい一週間ほど前にもテレビに流れたところだった。
 梅雨(つゆ)が明け、ムッ! とする猛暑の熱気が身を包むようになると、久山は独自計画により夏対策を実施し始めた。久山にすれば熱中症で倒れる人たちの気が知れなかった。40℃だったら、フツゥ~ダメだろうが…と久山は考えた。首から水筒をブラ提(さ)げ、片時も水を絶やさなかった。喉が渇こうと渇くまいと、一定時間でグビリグビリと飲んだ。朝からステーキを食べ、高蛋白、メガビタミンを心がけた。お陰で、この独自計画が功を奏し、究極の困難は久山には訪れなかった。その生活リズムが20年以上続き、今は85になる久山だった。
「どれ、暑いが久しぶりに映画でも観るか…」
 久山は観たかった懐(なつ)かしの映画を観ようと、着物姿で街へ出た。水筒は相変わらず首から提げ、冷房で十分、身体を冷やしてから家を出た。万事抜かりないように久山には思えた。バスで街へ出て街に着く頃になると、急激に体温が高まり、汗が滲(にじ)み始めた。いかん、いかん…と久山は水筒の水を、いつものようにグビリグビリと飲んだ。これが、いけなかった。正確に言えば、この日の水がいけなかった。高温と洗っていなかった水筒の所為(せい)で中の水が痛んでいたのだった。しばらくすると俄(にわ)かに差し込むような痛みが久山の腹に走った。
「ぅぅぅ…」
 痛みは便意をともない、急速に強くなった。久山はそのとき、多くの群衆の中に閉じ込められていた。身動きがとれず、トイレを探す騒ぎの話ではない。久山に訪れた究極の困難だった。
「ぉぉぉ…」
 いつの間にか、ぅぅぅ…がぉぉぉ…?になっていた。久山は戦場の兵士のように死に物狂いで敵陣突破を敢行(かんこう)した。その甲斐(かい)あってか、なんとか群集から逃(のが)れられた。逃れられたとはいえ、まだ痛みは消えていなかった。当然、便意も強まり、限界が近づいていた。幸い、遠くに公衆便所が久山の目に入った。久山は一目散に走ったが漏れそうになり危うく止まった。こうなれば仕方がない。チラホラと通る人の目もある。ここは究極の困難からいかに逃れるか・・である。久山は一歩(いっぽ)、そしてまた一歩と歩(ほ)を進めた。ようやくトイレへ駆け込み用を足し終えたとき、究極の困難は久山から去ったように思えた。ところが、ドッコイ! である。トイレット・ペーパーがなかった。迂闊(うかつ)にも、そのときの久山には手持ちの紙がない。さあ、どうする、久山! 
 久山はステテコを脱いで拭(ふ)くと、勢いよく水にジャァ~~と流した。下着は身に着けていなかったから、急に涼しげになり心地いい。久山は悠然(ゆうぜんと公衆便所から出た。気持よく漫(そぞ)ろ歩くと、下半身の心地よい事情で、汗も出ない。これはいいぞ…と久山は思った。究極の困難が至福にチェンジしたかのようだった。そのとき、一陣の風が…。俺はマリリン・モンローかっ! と、思わず久山は着物の裾(すそ)を両手で押さえた。それが久山に訪れたふたたびの究極の困難だった。

                        完


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