(「政治用語」を使い、“失言防止マニュアル”をつくる自民党)
政治を実際にやるときに、「玉虫色(たまむしいろ)の言葉」というか、「狐(きつね)・狸(たぬき)学」というべきかは分かりませんが、もう、本音を語らずに、オブラートを被(かぶ)せて、何となくニュアンスだけでやるわけです。
例えば、政治学では「外交用語」というものがあります。
「善処します」と言う場合は、「何もしない」という意味であるとか、「前向きに検討します」と言うのもほぼ同じで、「何もしない」ということだと勉強します。
そういった用語はいろいろとあるので、おそらく、「政治用語」というものがあるんだと思うんです。そのように理解しなければいけないようですが、確かに、揚げ足は取りにくいですね。
以前に、自民党が、選挙前に「失言防止マニュアル」のようなものをつくりまして、「全体の文脈のなかで言ったら、そういう意味で言ったわけではないのは明らかなのに、ちょっとした発言を切り取って、そこだけ報道するようなことがあるから気をつけろ」というような文書を配っていました。それもまた。マスコミの失笑を買っていましたけれども。
(ある意味で、マスコミは日本の政治を「衆愚政」と認めている)
私は、けっこうマスコミもかなり恣意的(しいてき)に政局をつくり出していると思います。
例えば、以前に、小池百合子さん(東京都知事)が「希望の党」を立てたときのことです。あのとき希望の党には、最初、すごく勢いがあったのですが、マスコミは持ち上げておいて、小池さんが、民進党から希望の党への公認申請者の一部を「排除します」という一言を言っただけで、それを大きな問題発言のように大々的に報道しました。そのため、一気に、希望の党の支持率は下がり、結局、衆院選で大敗するという結果になりました。マスコミというのは、そうしたことをするのです。
あれは、ある意味で、日本が民主主義ではなくて「衆愚政」であることを、マスコミ自体が認めているということなのではないかと思います。
要するに、「国民に説明しても分からないから、自分たちがキーワードを抜き出して、それを大きく繰り返し報道すれば、世論など、どうにでも変えられる」と思っている節があるわけです。
ですから、マスコミのほうは、ある意味で、衆愚政だと認識しておりながら、「言論の自由や報道の自由で、みんなを啓蒙(けいもう)しているように見せる」というようなことをやっているようには見えますね。
---owari---
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