歴史教科書では単なる暗記用人名に過ぎない古代人物たちを、中学生たちは、悩み苦しみつつも自分たちに功績を残してくれた人々として思い描いた。
(聖武天皇に「人々を助けてくれてありがとう」と言いたい)
横浜市の中学校が、歴史人物学習館のサイトを活用して、古代の人物の感想文を書くことを、一年生約220人の冬休みの宿題にしました。一人の女生徒は、次のような感銘深い感想文を書いてくれました。
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奈良県にある大仏。私がそれを写真で初めて見たとき、なぜか惹きつけられたのを覚えている。誰が、何のために? 頭の中に「?」がたくさん浮かんだ。きっと歴史上の人物が自分の権力を示すために作ったに違いない。古墳のように…。でも、それが、人々を救うために、国を鎮めるために作ったと言うことがわかった時、私は驚いた。
その時の聖武天皇の言葉が印象深い。「まことに朕(ちん)が不徳のいたすところである」 病気や災害が起きるのは、自分の政治が行き届いていないからだ、と。私はこの言葉を聞いたとき、聖武天皇の人々を思う気持ちや責任感に感動した。ここまで国を一心に考える人物はいないのではないだろうか。・・・
私がいつか奈良県を訪れた時は、聖武天皇に「人々を助けてくれてありがとう」と言う気持ちを伝えてきたい。
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聖武天皇の御代は疫病や天変地異で民衆が苦しんだ時代でした。それを天皇は「朕が不徳のいたすところ」とご自身も悩み苦しみ、そこから大仏建立を思い立たれたのです。
この女生徒は、そういう聖武天皇の苦しみの声を聴き、その人々を思う気持ち、責任感を感じとったのでした。そして聖武天皇に「人々を助けてくれてありがとう」と言いたい、というのです。1300年も前の天皇の声を聴き、お礼を伝えたいと思う、そういう人と人との心の対話が、ここには描かれています。
(聖武天皇は「すごくかわいそうだと思いました」)
別の男子生徒も、聖武天皇の声に聴き入っています。
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聖武天皇は701年に生まれましたが、724年に23歳で天皇になったことを知り、とても早いことに驚きました。また、父である文武天皇が707年に死亡し、母の藤原宮子もその後精神障害になってしまったので、聖武天皇は36年間も親に会うことができなかったそうです。・・・すごくかわいそうだと思いました。
そしてその後、国の安泰を願って、奈良に大仏を作ろうとしたときに、「一枝の草でも、一握りの土でもいい、大仏作りに協力しようとするものは喜んで受け入れよう」と、命令と言う形ではなく、「お願い」と言う人々の心に訴えかけるような形にしたことに、優しい人物だと感じました。
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親とは縁遠かった聖武天皇の人生を「すごくかわいそう」と同情し、なおかつ大仏建立でも、命令ではなく「一枝の草でも、一握りの土でも」と人々の心に訴えかける優しさを感じとっています。ここにも、自らの不幸の中でも、人々への優しさを示す聖武天皇が、具体的な一人の人物像として浮かび上がっています。
ちなみに、中学の歴史教科書でトップシェアを持つ東京書籍では聖武天皇を次のように描いています。
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聖武天皇と光明皇后は、唐の皇帝にならって、仏教の力により、伝染病や災害などの不安から国家を守ろうと考えました。そこで、国ごとに国分寺と国分尼寺を建て、都には東大寺を建てて金銅の大仏を造らせました。
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この文章から聖武天皇の人柄が想像できるでしょうか? 上記の二人の生徒が思い描いた人物像と比べると、教科書記述の無味乾燥ぶりがよく分かります。「唐の皇帝にならって」などという「上から目線のご高評」よりも、「朕が不徳のいたすところ」とか、「一枝の草でも、一握りの土でも」という聖武天皇の心中を窺(うかが)わせるお言葉をなぜ入れないのでしょうか?
こういう執筆姿勢では、生徒は人名の暗記に留まってしまい、聖武天皇の人柄、生き様への洞察と共感は得られません。学習指導要領で目標としている「主体的・対話的で深い学び」ではなく、「受け身的・一方的な浅い学び」しかできないでしょう。
(「ネガティブな紫式部も歴史に名を残したのだから」)
古代の歴史人物として、紫式部や清少納言に向き合った生徒たちもいました。この二人を、歴史教科書では以下のように記述しています。
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9世紀には、漢字を変形させて、日本語を書き表せる仮名文字が作られました。そして、とりわけ唐の影響が弱まった9世紀の末ごろから、仮名文字による文学作品が盛んに作られました。「竹取物語」などの物語や、紀貫之らがまとめた「古今和歌集」などです。
また、藤原氏から出た天皇のきさきたちの周りには、教養や才能のある女性が集められ、紫式部の「源氏物語」や、清少納言の随筆「枕草子」などが生み出されました。こうした女性による仮名文学が多いことも、国風文化の特徴です。
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この説明でも、紫式部や清少納言は単なる暗記用の人名でしかありません。しかし、中学生たちの瑞々(みずみず)しい感性は、たちまち古代の女性を蘇(よみがえ)らせ、深い対話を始めます。まず、紫式部について、ある女生徒はこう書いています。
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彼女の著書、紫式部日記を読むと、日頃の悩み、愚痴など、彼女がとてもネガティブなことがわかりました。その悩みの中には、人間関係の悩み、将来への不安など、私たちが悩むようなごく普通の悩みもあり、少し親近感がわきました。・・・紫式部が私たちは全く違う特別な人間ではなかったことがわかります。・・・
このように、遠い存在だと思っていた紫式部が、実はネガティブで自分と似ているところがあったり、調べていくうちにいろいろなことがわかって面白かったです。自分と似たような性格の彼女でも、世界最古の長編小説を書き上げ、歴史に名を残したと知って、私も頑張ろうと思いました。
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最後の一文は、見事な「どんでん返し」です。紫式部も自分と同じネガティブな女性だったと分かって安心してしまうのではなく、そんなネガティブな女性でも「世界最古の長編小説を書き上げ、歴史に名を残した」のだから、「私も頑張ろう」と言うのです。紫式部も、1200年以上も後に自分の生涯から元気を受けとる女生徒がいると知ったら、さぞ喜んでいるでしょう。
(「つらい目に遭いながらも、明るく振る舞う清少納言に感動」)
清少納言について、別の女生徒はこう書いています。
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清少納言の有名な和歌は、たくさんあります。その中でも印象に残ったのは、「忘らるる身のことはりと知りながら思いあへぬは涙なりけり」です。あなたに忘れられても仕方がないが、堪(た)え切れないのは涙だったと言う意味です。恋しい、寂しいと言う感情が読み取れて、とても共感できる和歌だと思いました。
清少納言について、私は最初「枕草子」が有名な人としか思っていませんでした。しかし、つらい目に遭いながらも、明るく振る舞っていたのが驚き、感動しました。私も清少納言みたいな美しく強い女性になりたいです。
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清少納言が「つらい目」に遭う様に共感しながらも、それを乗り越えて明るく振る舞う姿に「驚き、感動しました」と言います。単に「枕草子を書いた有名な人」という知的理解を超えて、その実際の生き様に触れて、共感し、感動しているのです。
教科書では暗記用人名に過ぎない古代人物たちも、中学生が豊かな感性で受けとめれば、「ネガティブな悩み」を持ちながらも世界最古の長編小説を遺した紫式部や、「つらい目」に耐えて明るく振る舞う清少納言という、生きた人物像が浮かび上がってくるのです。
そうした古代女性の健気な生き様から現代の女生徒が元気を貰う、これも「主体的・対話的で深い学び」ではないでしょうか。
---owari---
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