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GHQ焚書、福澤桃介『西洋文明の没落 東洋文明の勃興』が現代日本人に問いかけていること(前編)

2023年07月19日 | 政治・経済
「全人類が平等に、共働共楽共存共栄して行く新文明」の建設に向けて日本人が持つ重大な責任とは。

(GHQに焚書処分にされた「電力王」の一冊)
福澤桃介は福澤諭吉の婿養子で、電力業界の発展に多大な貢献をして「電力王」と呼ばれた人物ですが、晩年には多くの著書を残しています。その中の一冊に、大正11(1922)年の『西洋文明の没落 東洋文明の勃興』があります。今回、この本が復刻されました。

桃介は単身で渡米して、ウィリアム・タフト元大統領やゼネラル・エレクトリック社社長などと渡り合った人物で、西洋文明を実体験をもって語ることができる人物でした。そして、この本では西洋文明の本質を鋭くえぐり出しています。

そのために、大東亜戦争後、占領軍(GHQ)はこの本を焚書処分として、当時の日本人が読むのを禁じました。しかし、桃介は単に西洋文明を批判するだけでなく、これから全人類が築くべき「新文明」の理想を気高く謳い、その実現に向けて「日本民族の責任」を明快に説いているのです。

そのメッセージは、今だ新文明を築けていない現代国際社会の中で、今なお日本民族が担っている「責任」を訴えています。本編でその一端をご紹介しますので、読者の心に響くところがあれば、ぜひご自身でお手にとっていただければ、と思います。

(独立宣言での歓呼の声、しかし、その大会堂の外では、、、)
西洋文明の本質を鮮やかに浮かび上がらせているのは、次のシーンでしょう。
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まず、アメリカ独立の宣言について見るに、これは冒頭において『人間は生れながらにして平等である。平等に幸福を追求する権利がある』と書かれてある、こういうような意味が全文を一貫して、人間の平等を強調しているのである。そして、これが読み上げられた時に、フィラデルフィアの大会堂に居並んだ全アメリカの愛国者、人道論者は、満堂一斉に歓呼の声を揚げ、誠に世にも美わしい感激の情景を現出したのであった。

しかるに、この大会堂の窓一つ隔てて外の光景を眺めると、当時フィラデルフィアの人口たるや、黒人が約三分の二近くで、町を見ると灰色に見えると言われておったほどであつた。しかし、その黒人達はことごとく皆な奴隷であったのである。

のみならず、そのフィラデルフィアの大通りを、数百数千の奴隷が鞭(むち)で殴られ、棍棒(こんぼう)をもって打たれながら重い、荷物を挽(ひ)いて呻吟(しんぎん:苦しみうめくこと)の声を上げ、悲鳴泣喚(ひめいきゅうかん:なきわめく)を継続して通っているという暗澹(あんたん:暗くてものすごいさま)たる有り様であったのだ
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「人間は生まれながらにして平等である」という美しい一節が読み上げられ、「満堂一斉に歓呼の声を揚げ」た大会堂の外では、人口の約3分の2を占める黒人が奴隷として、「鞭で殴られ、棍棒をもって打たれながら」重労働を課されている、という鮮烈な対比は、西洋文明の本質を鮮やかに浮かび上がらせています。

このシーンだけでも、占領軍のアメリカ兵たちは憤激(ふんげき)して、この本は焚書にしなければならない、と思ったことでしょう。こんな本を日本人が読んだら、自分たちが教えようとしている「民主主義」に疑いの目を向けてしまう、と思ったはずです。

(世界大陸の9分の8がヨーロッパ人の支配下に)
奴隷制度は17世紀頃からヨーロッパ人たちが己の物欲を満たすために、奴隷を「手作業もできる賢い牛馬」としてアフリカやアジアで捕まえてヨーロッパやアメリカで売りさばいたもので、累計3億人もの人間が奴隷にされたようです。

キリシタンが日本にやってきた際にも、彼らは日本から数万人規模で奴隷を「輸出」しています。戦争捕虜や、誘拐されたり親に売られた子供が奴隷として南蛮商人によって東南アジアからポルトガル本国、さらには南米にまで売られていました。

1596年、日本では豊臣秀吉の晩年、アルゼンチンの古都ゴルドバで日本人青年が奴隷として、ある神父に売られたという古文書が残っています。「日本州出身の日本人種、フランシスコ・ハポン(21歳)、戦利品(捕虜)で担保なし、人頭税なしの奴隷を800ペソで売る」と記録されています。

秀吉が天正15(1587)年にキリスト教宣教師追放令を出したのも、こうした奴隷輸出に怒った事が一因でした。

しかし、18世紀末期あたりから産業革命が起こり、ヨーロッパ人は大量生産のための資源獲得、大量販売のための市場獲得の必要性から、アフリカ、アジアを植民地支配するようになっていきました。産業革命によりヨーロッパ本国では機械化によって奴隷の需要は減り、今度は植民地獲得に血道を上げるようになっていきます。福澤はその様子をこう記述しています。

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アメリカ大陸においては、モンロー主義の宣言が、一八二三年に行なわれ、これによってアメリカはヨーロッパより独立したとはいうものの、その実、そこに住んでいたヨーロッパ人の支配に全アメリカは帰したのである。

かく白人は、アメリカを手に入れても、なおこれに満足せず、さらに進んで他の地方を支配するに取懸った。・・・十八世紀の末期よりアフリカ、アジア両方面に亘(わた)って領土分割の運動を起こしたのである。
その結果、十九世紀の一世紀は、ヨーロツパ人によって世界が分割された世紀たるの観を呈し、ついに世界大陸の九分の八の面積が、ヨーロツパ人の支配下に帰してしまった。
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(物欲に目覚めたヨーロッパ人の世界支配)
奴隷制と植民地主義は、他者を犠牲にして自分の物的欲望を満たす制度と捉えれば、同じ動機から生まれています。この二つを、近代におけるヨーロッパ人支配の本質と捉えたところに、福澤の実業人としての鋭い直感が窺(うかが)われます。

しかし、ヨーロッパ人はなぜこれほどまでに自らの欲望従属に走ったのでしょうか? ここにも福澤の彼らの本質を鋭く見抜いた記述が見られます。

まず、中世のヨーロッパはカトリック教会の禁欲主義に支配されていました。人間は欲を抑えることで神に救われ、天国に行けるというのです。しかし、15世紀のオスマン・トルコの勃興により、ギリシャの学者たちが、当時ヨーロッパ文明の中心であったイタリア半島に逃れ、彼らによりギリシャの芸術や哲学がもたらされました。
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それはすなわち、人生の最高原理は欲望を禁圧することでなく、欲望を充足することであるというにあったのである。出来るだけ美味い物を食べ、また出来るだけ綺麗な衣服を着、そしてその欲望を満足させるということが最高原理であると説いたのである。

かくして、人間はその俗的な欲望を完全円満に充足することによって、人生の真善美が完成せらるるという、新しい指導原理がヨーロッパへ入ってきたのであるが、この考え方は、従来の考え方が神本位であったのに反し、人間本位で、禁欲主義に代わるに、充欲主義をもってしたものであった。
当時のヨーロッパ人はこの従前と全く相反する新しい学説、新しい教説に接し、ここに初めて真に活々したフレッシュな感じを得るようになつたのである。
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しかし、物欲に目覚めたヨーロッパ人にとって、不幸にもヨーロッパの地は金銀も産出せず、農産物にも恵まれない不毛の地でした。そこで東洋のように物資の豊富な地域を見いだそうと、15世紀末からの大航海時代に入ったのです。1492年のコロンブスのアメリカ大陸発見、1498年のバスコ・ダ・ガマのアフリカ大陸南端の喜望峰を巡ってのインドへの航路発見が相次いでなされました。

さらにそこからスペインとポルトガルによる南米征服と、現地人奴隷による銀山採掘やカリブ海諸島でのアフリカ人奴隷によるサトウキビ栽培などが始まり、それが奴隷制、そしてついには世界の植民地支配へと広がっていくのです。

---owari---
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