(選挙での人気取りは“精神的買収”、国益につながっていない)
だいたい、政権側は、本当のところはなるべく議論させないようにして、ほかの、できるだけ支持が取れそうな“飴の部分”を押し出し、野党が噛みついてくるところについては、似たような政策をこちらもやるようなことを言って、争点を消していく。そして、多数派を形成したら、そのあとに本当にやりたいことを出してくる。
安倍政権は、このスタイルが特に際立って見えました。
前回、「幼児教育の無償化」について、幸福実現党を除くほぼすべての政党が賛成しました。自民党も言う。維新の会も言う。国民民主も言う。どの党もみんなそのような感じで、誰も反論するところがありませんでした。
それは何と言うか、迎合するというか、「ポピュリズム」ですよね。人気取りをやったほうが票にはなるけれども、これは、本当は、ある意味での買収ですからね。
間違いなく、“精神的買収”です。
それから、「無償化」といっても、具体的に詰めるのは自分たちではなく、ほかの機関に投げるのです。
しかも、そこで詰めていくと、「このへんは具合が悪い」とか言って、どうせ調整されるのです。それは分かっているけど、「選挙には関係がない」ということで、言わないわけです。本当は、「具体的実行機関がそれをやる」という部分がついているわけです。
財源についても、「それは、後ほど考える」ということで、財源がなければ、「全部やりたかったけど、できなかった」というような結果になります。
このように、選挙のときは、マイナスのことは言わないで、通せることを言うわけです。
しかし、無償化をやってしまうと、逆に保育園にとっては、保育士の負担が増え、経営が厳しくなってしまうのです。現実に合っていないんです。
それで、ある都内の地域では、幸福実現党の政策を聞いた保育園の園長や関係者の方が、幼児教育の無償化に反対している政党があるというので、びっくりして、「うちの職員たち、みんな幸福実現党に入れなさい」と言ったそうです。
どの政党も“飴を撒く”ことに集中していますが、みんなが「タダにする」と言っているのに、「しないほうがいい」という政党は、「選挙に通りたくないのか」というようにみえるのですが、真意を見極めねばいけないですね。
(大学の先生たちは、「マスコミ性善説」で考えている)
大学の先生たちは、マスコミを善意だと考えすぎていると思います。
それは、政治学の先生だけではなくて、法律学、特に憲法の先生がたもそうなんですが、戦後の流れもあるから、「民主主義というのは、ガラスの城のようなもので、壊(こわ)れやすいんだ」と思っているところがあります。
とりわけ、「その民主主義を担保しているのが、『表現の自由』だから、この自由を守らないといけないんだ」ということで、要するに「マスコミ性善説」なんです。マスコミ性善説なので、「守らなければいけないんだ」という。
けっこう俗悪なことをやっているところとか、言っていることも多いのですが、その「マスコミ性善説」「『言論の自由』優越説」でもって、そういう目を通して言っていることが多いと思います。
マスコミにこうした偏見が一定の量だけあって、そのフィルターを通ると、世界が違ったように見えているらしいということは、よく分かります。
(日本のマスコミの国際政治音痴は、鎖国政策の延長)
日本のマスコミの“国際政治音痴”というか、国際情勢に関する情報がほとんど国民に伝わらない感じは、天然記念物レベルに近いと思うことがあります。
けっこう、江戸時代の鎖国政策の延長はあるのかもしれません。海に囲まれていて、陸伝いにすぐには攻めてこれない部分の安全感を持っている感じがあって、村みたいなところがちょっとあるのです。
アメリカやイギリスでしたら、実際には具体的な根拠がなくても、例えば、「イラクでサダム・フセインが大量破壊兵器を隠し持っている」という情報がマスコミに流れただけで、すぐに国民が反応し、議会でも論争があったりしました。「世界で、そういうことをしている国がある」ということに対して、かなり反応しました。
でも、日本人は、そういうことにまったく反応しません。
それは、アメリカ人は責任を感じているからですが、世界のリーダーとして責任を感じているので、いつも、「世界正義」のことを考えているのです。
アメリカは一国主義でやろうとしているように見えるかもしれないけど、そうではない。いつも、それを考えている。
一方、日本の場合は、「考えないでも済む」ということで、戦後、おんぶに抱っこでやってきたところもある。
そして、日本は、国内ニュースばかり追いまくっている。
(マスコミ報道は民度に合わせた内容になっている)
例えば、インドに行ったとき、デリーでインドの新聞を手に取ったら、英字新聞は読めるはずなのに、何だか読めなかったのです。分からないのです。「なぜ分からないんだろう」と思ったら、要するに、ローカルニュースばかりなんです。地元の話題ばかりなので、人の名前を見ても、この人は誰かが分からないし、地域も、細かい地域の話がたくさん出ているので分からない。
インドのニュースを読んだら、世界的な問題になっているものは何も出ていませんでした。地元の問題ばかり出ていたので、日本人が読んだら、ちょっと分からないでしょう。
もう一つ、アフリカのウガンダの新聞では、朝刊の第一面に写真入りで載っていたのは、「蛇が四十何匹も一斉に孵化(ふか)して穴から出てきた」というニュースでした。ヤマタノオロチを超えています。私としては、「蛇が孵化して、その数が多かったというのが、トップニュースになるのか」と、このことに衝撃を受けました。一つの巣穴から四十何匹も蛇が出てくるというのは、まあ、アフリカでも珍しいのでしょう。
要は、マスコミ報道は、ところどころの民度に合わせた内容になっていて、みんなが関心を持ちそうなものを出してくるということです。
そういう意味では、日本国民もローカルなんです。海外に行ったとしても、会社のビジネスの関係か海外旅行のために行っているだけで、別に学んではいないわけです。
---owari---
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