(「個人の自由」や「企業の自由」を圧迫しうる[税制])
税制には、「個人の自由」と「企業の自由」の両方を圧迫(あっぱく)するものがあるのです。
例えば、宗教法人法には、「租税徴収権(そぜいちょうしゅうけん)をもって宗教弾圧(だんあつ)してはいけない」という趣旨(しゅし)のことが明確に述べられています(第84条)。
それは、憲法で政教分離が定められ、国家が宗教に対する弾圧をしてはいけないことになっていても、例えば、租税法のほうで、宗教に90パーセントとか99パーセントとかの税金をかけてしまえば、宗教を“殺す”のは簡単だからです。お金を全部取り上げれば、基本的に潰(つぶ)せるのです。
憲法でいくら宗教弾圧が起きないように保障しても、法律でそういうことができるのであれば、宗教を潰せなくはありません。そのことを憂慮(ゆうりょ)して、宗教法人法には、「租税徴収権を用いて宗教弾圧に当たることをしてはならないこと」などが書かれているのです。
ところが、マスコミのほうは、「ほかの企業等は、税金で非常に苦しんでいる。例えば、消費税上げで、企業がバタバタ潰れたり、失業者が溢(あふ)れたりする可能性があるのに、宗教だけが優遇(ゆうぐう)されている」と言って焚(た)きつけるわけです。
要するに、宗教法人においては、収益事業には税金がかかっているものの、その場合でも軽減税率が適用されていますし、そもそも宗教本来の活動に関しては税金がかからないことになっているからです。
それに対して、「けしからん。宗教にも、企業と同じように税金をかけよ」というような運動をされたら、現実問題として、潰れる宗教が数多く出てくるでしょう。
実際に、跡継(あとつ)ぎ問題で悩んでいる弱小宗教は数多くあり、お寺や神社の跡継ぎを確保するのは大変な状況なのです。
もし、宗教がものすごい権力や財産を生むものであるならば、跡継ぎのなり手はいくらでもいるでしょうが、「収入は少ないし、仕事は尊敬されないし、将来の夢がない」と思っているような小さな宗教があちこちにあって、事実上、“倒産状態”になっているわけです。
(「教会が潰れている」という新聞記事の意図を見抜く)
先日、朝日新聞の四面あたりに書籍広告が載っていたのですが、『フロイトの霊言(れいげん)』(幸福の科学出版刊)の広告には、「フロイトは地獄に堕(お)ちていた」という文章をはじめ、「無神論・唯物論(ゆいぶつろん)の結果、どういうことが起きたか」ということを糾弾(きゅうだん)する内容が載っていたので、「朝日にしては珍(めずら)しい広告を載せるな」と思ったのですが、その翌々日には、「イギリスなどで、多くの教会が潰れている」という記事が出ていました。
「教会が潰れて身売りし、イスラム教のモスクに変わったり、あるいは、サーカス学校に変わったり、さらには、ロックなどをみんなで歌ったりするコンサート場に変わり、そこで無神論者の集会が派手に行われている」という記事が載っていたので、「これは、いかなる真意が裏にあるのだろうか」と私は考えました。
おそらくは、「新聞の読者には二種類あって、信仰深い人もいれば、信仰深くない人もいるから、信仰深くない読者が購読(こうどく)を中止する前に、両方の意見を出しておこう」と考えたのでしょう。それで、「宗教は廃(すた)れている」という記事も出したのではないかと思います。
「無神論・唯物論の結果は、大変なことになるぞ」という広告を載せたら、そのあとで、「無神論・唯物論が流行(はや)っていて、教会が潰れるぞ」という記事も出し、新聞購読を打ち切られる前にバランスを取ったのかもしれません。
---owari---
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