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「いつも悪口を言う人」は幸福になれない(前編)

2020年03月05日 | 人生
(競争社会が「社会全体」と「個人」にもたらすもの)
今回は、「祝福の心」というテーマで述べていきます。「祝福」とは、人の幸福を祝ったり祈ったりすることですが、この言葉には、ややキリスト教的な響(ひび)きがあります。仏教的に「讃嘆(さんたん)の心(ほめたたえる心)」と言ってもよいのでしょうけれども、「祝福」のほうが一般的な言葉なのでこちらを使うことにします。

みなさんもご存じのように、現代社会は、かなりの競争社会になっています。
競争自体は、大きな目で見たとき、「向上を目指す原理」「多くの人々を進歩させ、幸福に導くための原理」であると思われます。

したがって、「勉強や運動、仕事、報酬(ほうしゅう)など、いろいろな面において、多くの人々が競争社会のなかで生きている」ということ自体は、システム全体として肯定(こうてい)できると私は思います。やはり、社会に競争がないと、堕落(だらく)や退廃(たいはい)が非常に起こりやすくなり、社会が停滞(ていたい)して、人々の魂(たましい)の進化につながらないでしょう。

そのように、競争社会は、全体的に見て、「多くの人々の力を引き出す」という面を持っているので、よいものだと思うのです。

しかし、個々の人にとっては、競争社会のなかで生きると、傷ついたり、挫折感(ざせつかん)を感じたり、不安になったり、不幸になったりして、救いがないように思われることも数多く起きてしまいます。これが現実でしょう。

子供も大人も、絶(た)え間ない競争のなかに置かれています。
その結果として、社会全体は一世代前や二世代前より進化し、全体としての幸福度は増していると思われるので、それについては、広い目で見て肯定すべきだろうと思っています。

ただ、個人個人を見るかぎりでは、必ずしも、このままでよいとは言えない面もあると思うのです。

(“悪口主義”の風潮にはテレビの影響も大きい)
特に、今の社会には、特定の人を言葉で“ギロチン”にかける風潮(ふうちょう)があります。これはテレビの影響(えいきょう)も大きいのです。

例えば、テレビ番組で人気タレント等が話す内容を聴(き)いてみると、多くの人たちが、他人への悪口や批判、中傷(ちゅうしょう)など、人をくさすようなことを言い、それで笑いを取ったりしています。現在では、どうやら、それが主流のようです。タレントは違っても、基本的なパターンは、だいたい同じであり、「誰か特定の人の名を挙げ、その人をくさす」というかたちで笑いを取っているのです。

それによって、「話している自分もすっきりするし、聴いた人たちもすっきりする」という意味で、社会が欲(ほっ)している“ガス抜き”をしているのだと思います。

大衆が求める「パンとサーカス」のうち、サーカス、見せ物のほうを行い、「言葉において特定の人を“ギロチン”にかけ、それで人々がすっきりする」というかたちが多いのです。

特定のタレントの名前は出しませんが、そういうことをしている人は数多く見受けられます。そういう人が、人気のあるタレントになり、高い高感度を得たりするらしいのです。

そして、それをテレビで見ている子供たちにも、それを肯定し、そのまねをしている面があります。学校で、友達の悪口を言ったり、相手をくさしたりして、悪口合戦のようなことを行い、互(たが)いに足を引っ張り合い、それを冗談(じょうだん)やギャグ、ユーモアだと考えているわけです。このような風潮は、かなり蔓延(まんえん)しています。

そのため、礼儀正しい言葉、丁寧(ていねい)な言葉だけを使い、悪口を言わない子供は、「変わっている」と見られ、ほかの子供たちから攻撃(こうげき)の対象にされて、中傷を受け、いじめられるのです。そこで、自分の身を護(まも)るために、相手の言葉に対して応酬(おうしゅう)し、より鋭(するど)い言葉で相手を叩(たた)かなければならなくなったりするわけです。

また、友達との関係だけでなく、先生との関係においても、同じ原理が働きます。現在、先生をやっつけたり、授業妨害(じゅぎょうぼうがい)をしたり、学級崩壊(ほうかい)を起こしたりすることが、あちこちで起きていますが、ほとんどが言葉と行動の乱(みだ)れによるものです。

ところが、それを、「よいこと」「かっこいいことい」と思っている風潮があるため、その流れそのものを簡単に引っ繰り返すことが、なかなかできないのです。

新聞や、ある程度、まっとうなテレビ番組など、もう少し硬派(こうは)の言論においても、基本的には、人を悪く言う方向の論調が主流です。

ただ、これも一定の役割は果たしていると思います。「嘘(うそ)をついたり、人を騙(だま)したりして悪事を働いている者を追い落とす」「悪を遠ざけ、不正を追及する」という意味では、これにも一定の正義の面はあるのです。

そして、これは近代の民主主義の起源とも関係しています。悪政、暴政を敷(し)く王や皇帝などを追い出し、民主主義の時代を開いたことの原点には、彼らに対する悪口もあったので、悪口をすべて否定することはできないと思いますし、正当な批判は必要だと思います。

しかし、基本的な原理として、“悪口主義”というものを蔓延させ、肯定することに疑問を感じます。

---owari---
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