このゆびと~まれ!

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『明治維新を成功させた思想と発明(中編)

2021年07月31日 | 歴史
(「錦の御旗」をつくった人は“発明家”)
幕府軍と長州・薩摩軍との戦いは、兵力的に見ると幕府軍のほうが優勢であり、指揮官がその気になれば、本当は幕府軍が勝てた戦いでした。

ところが、慶喜は、国学、水戸学を学んでいて尊皇の思想が非常に深く入っていたため、幕府軍は京都まで攻め上っていたにもかかわらず、敵方が出してきた『錦(にしき)の御旗(みはた)』に敗れたのです。

討幕軍は、自分たちを「官軍(かんぐん)」と称し、天皇家の菊の御紋が入った『錦の御旗』を押し立ててきました。「錦の御旗を立てれば、幕府軍は弾(たま)を撃ち込めない」ということを思いつき、錦の御旗をつくった人は“発明家”だと私は思います。この錦の御旗によって幕府軍は敗れたのです。

徳川慶喜は、「天皇陛下は神の子孫であり、現人神(あらひとがみ)である」と考える水戸学を学んでいたので、敵側が錦の御旗を立てて進軍してきて、「自分たちは官軍だ」と言った以上、それと戦えば、幕府軍は結果的に賊軍(ぞくぐん)になってしまいます。そのため、慶喜は、「官軍に向けて弾を撃って戦うことはできない」と考え、船に乗って江戸に逃げ帰ってしまったのです。

総大将が逃げてしまったので、関西方面にいた幕府軍は、あっという間に総崩れになりました。
そのあと、官軍は東海道を通って江戸にまで攻め上がってくるのですが、江戸幕府の重臣のなかにも、秀才、俊英はいました。例えば、小栗上野介(おぐりこうずけのすけ)という人がいます。彼は、あまりにも優秀だったので、明治維新が成ったあと、「生かしておくと危ない」ということで処刑されたのです。

この小栗という人は、「駿河湾に幕府の軍艦を出して、東海道を攻め上がってくる官軍に海から一斉砲撃をかければ、敵は壊滅し、勝つことができる」ということを慶喜に進言したのです。

あとから、西郷隆盛以下の官軍のリーダーたちがその話を聞いて、「小栗の戦法でやられたら、われわれは全滅していた。ぞっとした」と言っています。

つまり、「当時の幕府軍の戦力からいけば、本当は勝てた」ということです。指揮官がその気であれば勝てたのですが、錦の御旗のところを打ち破れませんでした。幕府軍が錦の御旗以上に尊いものを立てることができれば勝てたでしょうが、天皇家の菊の御紋が入った錦の御旗に対しては、どうしても勝てなかったのです。

官軍に対して総攻撃を進言する人はいたのですが、結局、思想的に幕府が敗れてしまったのが明治維新なのです。

---owari---
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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんにちは (このゆびとまれ!です)
2021-08-01 19:34:19
雨あがりのペイブメントさんへ

「錦の御旗」について、情報ありがとうございます。
私は公家の岩倉具視が中心となり、大久保利通と長州藩士の品川弥二郎がでっちあげたもので、「見たことはないが、たぶんこうだろう」と、買ってきた西陣織の布で作ったという説を信じていました。

いずれにしても、当時、実物を見たことはなくとも、錦の御旗がどういった意味をもつのか、兵士たちはみな知っており、その効果は絶大だったということですね。

貴重なご意見、有難うございました。
またのご来訪をお待ちしています。
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錦の御旗 (雨あがりのペイブメント)
2021-07-31 21:37:14
 現代の私たちが想像する以上に、尊王の思想は、人間の生き方に関する重大な事柄だったのでしょう。
 「錦の御旗」については、彰義隊遺文の中で著者の森まゆみが次のように紹介しています。
『考証家田村鳶魚が「夢に見た恭順中の慶喜公」という文でこう言っている。
錦の御旗は朝廷から薩長軍に与えられたものではない。倒幕の密勅前後に長州藩士品川弥次郎が長州で勝手に私造したものである。品川は国学者で岩倉の腹心だった玉松操の描いた図に基づいて錦旗を4本、菊の御紋のついた紅白の旗を20本こしらえ、半分を山口の城に、半分を京都に持って来て薩摩屋敷に置いてあった。すなわち長州の一武士が私製した急ごしらえの旗が、鳥羽伏見の戦いで錦旗となり、薩長軍が東征の名義を得たのだ、と鳶魚はいう。
』 大分昔に読んだ司馬遼太郎の「最期の将軍」の中にも、「長州の捏造」であると書いてありました。長州藩の誰も見たことのない「錦旗」を捏造する苦心が表現されていたように思います。
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