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次の覇権戦争として「中国対アメリカ」の戦いが迫っている

2017年09月25日 | 外国

私は、いたずらに北朝鮮や中国を敵視するつもりはありません。ただ、客観的に彼らの行動を見るかぎり、残念ながら、同じテーブルについて話ができるようなレベルだとは思えないのです。

 

今、考えられるのは、おそらく、アメリカとソ連の冷戦が終わったあとの覇権戦争として、「中国対アメリカ」の戦いが迫っているということだと思います。

 

アメリカは、今、「孤立主義」のほうへ向かっていこうとしています。アメリカは、自国中心に物事を考え、経済を立て直し、軍事的には、各国から撤退をし、同盟国に「自分の国は自分で護れ」と言うはずです。その時期は近づいています。

 

したがって、日本も考え方を変えていかなければいけないのです。

もちろん、「与党」「野党」といった立場の違いはあるでしょうが、実際のところ、専守防衛でも構いませんし、それに加えて、「アジアの同胞を護るかどうか」という問題はあるものの、「国を護る」という点については、徹底的に反対している人はいないはずです。

 

もし、「立憲主義」という言葉に従って、憲法九条の条文をそのまま厳格に考え、「憲法が定めているのだから、軍隊は存在しないし、交戦権もない。だから、いくら法律をつくったとしても、そのようなものは無効であり、戦えないのだ」ということになると、北朝鮮なり、中国なり、その他の国なりが、日本を攻めてくるかもしれません。「沖縄は自分の国の固有の領土だ」と主張しているような国もあるわけですから、もし、そのようなことになった場合には、どうするのでしょうか。

 

日本が無血のまま外国の軍隊に占領されたら、私であっても、やはり、竹槍を持って立ち向かうかもしれません。私がそういうことをしてもほぼ無力だとは思いますが、それでも、竹槍を持ち、戦車のキャタピラに突っ込むぐらいのことはするかもしれません。

 

もし、彼らが口実として、「かつて南京大虐殺で三十万人の中国人が殺されたので、日本人を無差別に三十万人殺す」、あるいは、「かつて従軍慰安婦が二十万人も存在したので、日本人の妻や娘たちを二十万人、従軍慰安婦にする」と主張するのであれば、私でも、竹槍を持って立ち向かう可能性はあると思います。

 

もちろん、日本には国会があるので、その戦いが、「正義の戦いかどうか」「防衛のための戦いかどうか」「国際的に認められる戦いかどうか」ということは、当然、公の場で議論されるべきだとは思います。しかし、最低限の自衛ができるラインは護っておかなければいけないと、私は考えます。

 

---owari---

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