日本共産党は国防について、「まだ、攻めてきていないから、何もする必要がない」と言っていますが、「攻めてきてから考えるのですか。そうですか。共産党は本当に”平和“な政党だなあ」と思います。
共産党は「自衛隊は違憲だ」と言っているので、外国の軍隊が攻めてきたら何が戦うかというと、警察が戦うしかありません。自衛隊が違憲なら、使ってはいけないでしょうから、警察が外国の軍隊と戦うしかないのです。
あとは、市民のみなさんが立ち上がり、石を一個ずつ持って投げるしかありません。このようなことを、「インティファーダ(民衆蜂起)」といいます。イスラエルのガザ地区辺りで民衆が石を投げ合ったりしていますが、あれがそうです。
みなさんは石を投げるだけです。なぜかというと、一般には、銃器を持ったら銃刀法違反になるからです。刃物や銃を持てないので、石を投げるか、竹槍で戦うか、それぐらいしかありません。
「石か竹槍で戦い、あとは警察や消防が出動して頑張るしかない」という状態です。
ところが、「国政をやっていて、本当にそれでよいのですか。どこの国でもやっている当たり前のことについては、当たり前にやらなければ、おかしいですよ」と言うと、それが、人間的な心情からまったく離れているように見られてしまいます。
そして、「これは、平和に対するものすごい攻撃であり、もうすでにナチズムだ」というような言い方をされるのです。
しかし、この考え方のほうがおかしいと私は思います。
世界の共産党のなかで平和なところなどありはしません。なぜかといえば、共産党は必ず「武力闘争」を唱え、武力を使って、共産党による「一元支配」を行うからです。
共産党は、反対意見や多様な意見を踏み潰していき、粛清し、弾圧します。これは、どこの国の共産党もやっていることであり、「日本だけはそうならない」ということはありえません。今は、勢力が小さいので、平和な政党のようなふりをしているだけです。
日蓮宗系のお寺のなかで、大石寺等のお寺は、公明党の母体である創価学会と対立しているため、共産党のポスターをたくさん貼ったりしていますが、それを見て、私は、「大丈夫かなあ。心配だな。(共産党のことを)分かっているのかなあ」と思い、不安になることもあります。
また、創価学会に対抗している新宗連(新日本宗教団体連合会)も、「創価学会の反対側に回らなくてはいけない」というので、公明党の反対側である野党のほうについています。
しかし、彼らの言っている「平和」は、ほとんど、かなり“安っぽい平和”です。「実際に国民の命を護ること」こそが平和ではないのでしょうか。
日本国憲法の前文には、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」と書いてありますが、そうは言っても、「平和を愛していない諸国民」も近くにいることはいるので、それをどうするのか、やはり言わなくてはいけないと思うのです。
もちろん、話し合いで解決がつくのであれば、そうしてもよいのですが、国連やいろいろな国から何度も警告されても、言うことをきかないところはきかないので、そういうところに対しては、やはり、ある程度、国としての正当防衛ができる範囲内で自衛をすべきだと思います。
---owari---
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