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戦国スター・信玄と謙信が川中島で激突する!(後編)

2018年08月05日 | 歴史

鞭声粛々(べんせいしゅくしゅく)夜河を渡る

暁(あかつき)に見る千兵の大牙(たいが)を擁するを

意恨(いこん)なり十年一剣を磨く

流星光底(こうてい)長蛇を逸す

 

(詩の意味)

上杉謙信の軍は鞭(むち)の音もたてないように静かに、夜に乗じて川を渡った。明け方、武田信玄方は、上杉の数千の大軍が大将の旗を立てて、突然面前に現れたのを見て、大いに驚いた。

しかし、まことに残念なことには、この十数年来、一剣を磨きに磨いてきたのに、打ち下ろす刃(やいば)がキラッと光る一瞬のうちに、あの憎い信玄を打ちもらしてしまった。

 

(語句の意味)

粛粛:もの静かなさま

大牙:上杉軍の大将の旗印

擁:抱きかかえる 持つ

遺恨:残念な

流星光底:流星の飛ぶ如く剣を抜いて切り下げた時の光

長蛇:目指す大敵 ここでは信玄を指す

 

 

「川中島の合戦」の四度目は、頼山陽のこの詩でもよく知られるところだ。

闇と濃霧、そして川音がカムフラージュとなって、敵がすぐ近くにまで迫っていることに気付かない信玄・・・・・。

 

夜明けと共に川霧がサァーッと晴れるや、眼前にすっかり布陣し終えた越軍を見て、信玄の顔色が変わった。

 

ワァーッと雄叫びをあげて激突する両軍。この戦いで謙信は「車懸(くるまがか)りの陣」という画期的な新戦法を取った。これは先発部隊がまず戦って退き、後続部隊がそれに続いて次々と水車が回るように入れ替わるという戦い方で、相手にすれば常に元気な敵が襲いかかって来ることになり、これはたまらない。車輪の激しい渦に巻き込まれ、信玄の弟、典厩信繁(てんきゅうのぶしげ)も壮烈な戦死を遂げている。

 

このように前半は越軍の優勢で展開したが、甲軍の別動部隊が引き返して来て戦闘に加わるや、戦局は一変した。後半は数で勝る甲軍が疲れの目立つ越軍を攻めに攻め、終わってみれば両軍とも三千~四千もの戦死者を出すという、大きな犠牲を払うことになった。どちらが勝ったとも言えない、文字通り痛み分けであった。

 

ところで、この四度目の戦いで信玄と謙信の一騎打ちが行われたことも見逃せない。乱戦の中で目ざとく信玄の姿を捕らえた謙信がただ一騎で駆け寄り、「坊主、ここにたか!」と声を張り上げ馬上から刀で切りかかったという。信玄は軍扇でこれを打ち払い、配下の助けもあって、かろうじて危機を脱している。

 

この謙信の一騎駆けについては、後世、大将自らそんな軽はずみな行動を取るはずがない、作り話だと疑問視する声がないではない。しかし、勇猛果敢な謙信だけに実話であると信じたい。

 

実際、そのころ関白の地位にあった近衛前久(このえさきひさ)という人が後に謙信に手紙を送り、「自身太刀討ちに及ばれたのは比類なき働きであって、天下の名誉である」と称賛している。手紙では「信玄に切りかかった」とはっきり書いてあるわけではないものの、ここは二大スターの激突があったと考えるほうが楽しい。

 

日本合戦史上、幾多の名場面があるが、この四度目の「川中島の戦い」における信玄と謙信の攻防こそ、白眉であろう。信玄も謙信も、好敵手であることは認め合っていた。好敵手がいたからこそ、互いにこれだけ光り輝いたとも言える。どちらかがもう少し遅く、あるいは早く生まれていたら、これほどの好敵手に巡り合うことはなかったはずだ。その意味で、天の配剤の妙としか言い様がない。

 

信玄は死に臨んで、総領の勝頼に「謙信はいざとなれば力になってくれる男だ」と遺言した。一方の謙信は、信玄の死を知らされるや「わが好敵手を失ったことは無念至極」と落涙したという。英雄は英雄を知る。両者の関係がしのばれるエピソードである。

 

---owari---

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