⑬今回は「作家・童門冬二さん」によるシリーズで、豊臣秀吉についてお伝えします。
――――――――――――――――――――――――
復縁した玉は、夫に連れられて秀吉のところに挨拶に行った。その時の秀吉の眼の底から発した光を、玉以上に忠興が気にした。秀吉の眼の光は、明らかに好き者のそれであった。
玉造の屋敷に帰ると、忠興は玉にいった。
「今後、外出は許さない」
侍女を十七人も付け、何不自由のない生活を送らせてくれたが、忠興は玉が外に出ることだけは絶対に許さなかった。かれは嫉妬深い。味土野(みどの:玉の隠れ家・京丹後市弥栄町味土野)から下りてきた玉が、かなり性格が変わったことは忠興も感じていた。が、基本的な愛はいまだに変わらない。同時に、嫉妬深さも昔以上につのっている。
(好き者の秀吉様に、玉を取られてはたまらない)
という恐れが、忠興にいつもまといついた。
さんざん酷いことをしておきながら、自分の気持だけは大事に保ちたいという身勝手が忠輿にあった。
しかし、玉は淡々と夫のいうことに従った。彼女は、すでに別の夫を持っていた。別の夫というのは神である。清原マリア(玉に洗礼を授け、ガラシャの名前を与えたのは、ガラシャの侍女であった清原いと《マリア》でした)から教えられて、玉は完全に神の存在を信じ、神に仕えようと心を決めていた。
まだ洗礼は受けていなかったが、心はすでに神の許(もと)に走っていた。だから、俗世の夫が何をいおうと秀吉がどんなちょっかいを出そうと一切気にならなかった。その意味では、精神的にははるかに夫の忠興を引き離していたのである。(中略)
秀吉は、細川忠興がはじめて連れてきた時と同じ印象を玉に持った。つまり、
「他の女性とは違う」
という印象である。他の女性と印象が違うというのは、抱こうという気を起こさせないような美しさだということだ。この世離れのした、つまり人間の欲を離れた存在を秀吉は玉の中に発見したのだ。
俗な言い方をすれば、
(こんな女を抱いても、寝室の中はさぞ味気なかろう)
という感じを持ったのだ。こうして玉は秀吉の毒牙から逃れた。しかしその後の忠興との生活が決して心静かで幸福なものだとはいえない。割れた皿は元に戻らない。玉の心は味土野の山中で完全に割れてしまった。
おそらく秀吉が、
「寝室へ来い」
といえば、玉は平然と従っただろう。懐剣(かいけん)の話はどこまで真実なのかわからない。秀吉に抱かれていても玉はおそらく、
「自分には夫がいる。その夫とは神だ」
と心の中で念じていたに違いない。
そんな気味悪さを感じたからこそ、秀吉も玉を抱くことをやめたのだ。
その意味では、好き者の秀吉に不気味な畏(おそ)れを感じさせた存在として、細川ガラシャは異彩を放っていた。
(『歴史小説浪漫』作家・童門冬二より抜粋)
---owari---
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます