今回のシリーズは、伊達政宗についてお伝えします。
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ある時、武田信玄が、忍びの名人に織田信長の機密を探るように頼んだ。するとその名人は、この仕事は一万両以下では請け負いかねるという。
一万両では高すぎるゆえ、三千両に負けておけと交渉したが、名人は断じて値引きはできないと言い張った。そこで、信玄は、当時大蔵藤十郎であった長安の掘り出した甲州金一万両を渡して依頼した。
すると、名人は織田勢の軍容から、家臣の数、信長の性格はむろんのこと、家中の派閥までくわしく報告して来たので、信玄はすぐさま、別の一隊を密行させてその名人を殺させた。
「まだあの一万両、使うてはおらぬはずじゃ。屋敷のどこかに隠してあろうゆえ、取り返して参れ」
そこで暗殺隊が家探ししてみると、鼠(ねずみ)のわたる梁(はり)上に、一つの小箱が見つかっただけで、黄金の行方はついにわからぬ。暗殺隊の頭(かしら)は、その小箱を持って戻って信玄に届けた。
信玄がこれを開いてみると、中に、信玄宛の黄金一万両の「受け取り証」と手紙が一通入っていた。
「その手紙には何と書いてあったぞ!?」
政宗が意気込んで問い返すと、
「さてさて未熟な武田の殿よ。黄金は黄金、人は人。人も黄金も使うて減るということはないものじゃ。それを値切ったり、殺したりするようではしょせん天下は取れぬぞよ。わしは金が欲しゅうて一万両寄こせと言ったのではない。黄金にすればそれだけくらいの価値はあろう仕事ゆえ、仕事の重さを訓(おし)えたのだ。わしを殺しても、わしはすぐまたどっかに生れて来る。黄金ならば安心さっしゃい。ちゃんと地下に返しておいた。黄金など誰が食べても焼いても、捨てても拾うても、掘っても、叩き割っても、必ず黄金で残ってゆく。残ってゆく仕事をさっしゃれ、と」
この時には、さすがの政宗も、しばらく頭が痛くなった。
黄金というものの本質と、生命の本質とを一緒に訓えられたような気がしたのだ。
(――人を殺す……それは、木の葉を撮りおとすくらいのもので、人間の力で人間が殺し尽せるものではない……)
それと同様に、いったん、この世に出て来た黄金は、形は変えても永遠に変質しないのだから、どこかに必ず黄金で残っている。
これを掘り出したのは人間なのだから、ひとまずこれは地下に返すのが正しい。そう考えてどこかに埋めて殺されていったその忍者というのは、何と心憎い達人というべきではなかろうか……
「人間が尊いのではない。仕事が尊いのだ、と、いうのだな」
「はい。黄金などは芋の皮。仕事に価値があるのだという次第で」
そう言われると、政宗は、身を乗り出して訊き返さずにいられなくなって来た。
「ところで、お許(もと)の新しい主人の松平忠輝(家康の六男。政宗の娘婿)どのだが、一番の取柄……つまり、一番よいところは何であろうかの?」
すると、この答もまた、まことに立派なものであった。
「はい。かくべつの取柄のないところが、いちばんの取柄かと存じます」
「何の取柄もないところが?」
「はい。腹が立てば怒ります。悲しい時には惰気(だき:なまけごころ)ます。それゆえ、ご奉公の仕甲斐がござりまするわけで」
そうした数々の禅問答に似た会話は、大久保長安(忠輝の家老;全国の金山、銀山を掌握し、幕府の財政を一手に握って強大な権力を持つ)が泥酔して戻ったあとで、いよいよ妖しく政宗の心を捕えていった。
「小十郎(政宗の弟)、あれの気持がわかって来たぞ」
「と、仰せられますると?」
「あれはの、忠輝どのを、黄金使いの達人(経済人)に育てたいと思うておるのだ!」
「黄金使いの……?」
「そうじゃ! それで、わしに同意を求めて来たのだ。それに相違ない! いや、この政宗も新しい眼を開かれた。そうだ! さっそく、手土産を整えての、わし自身で、婿どのの屋敷へ答礼に参るといたそう。もはや正式に許婚(きょこん:いいなずけ)は成立している間柄だ。わしが、婚礼の日取りの相談に参ってもいささかもおかしい事はあるまい」
早口にそう命じたあとで、政宗は隻眼(せきがん:片目)を輝かせて憑(つ)かれたように独りごちた(独り言をいった)。
「泰平の世がやって来る。富がふえる。富とは何ぞや? 米か? 黄金か? 米を稔らす力は大地にある。黄金もまた大地の下に……しかし、米は米、黄金は黄金だけのこと…」
そこで、発止(はっし)と白扇で膝を叩いてまた唸(うな)った。
(『歴史小説浪漫』作家・童門冬二より抜粋)
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