漆(うるし)の技術も先史時代から、日本で花開いていた。従来は、揚子江流域の河姆渡(かばと)遺跡で発見された7000年前の漆工品が最古のものとされていたが、北海道函館市の垣ノ島(かきのしま)B遺跡から出土した赤色漆が9000年前のものだと判明した。
前述の土器でも出てきたが、長江(揚子江)文明は漢民族の黄河(こうが)文明よりも早く開けたもので、その末裔(まつえい)は現在の中国南方の少数民族であり、さらにその一部は台湾から日本に渡ってきたという説がある。いずれにしても黄河文明とは関係がなさそうだ。
約5500年前から1500年間、縄文時代前期から中期にかけて栄えた青森県の巨大集落跡、三内丸山(さんないまるやま)遺跡では、直径が30センチほどもある見事な漆塗りの皿も出土して、専門家を驚かせた。現代に引けをとらない漆の技術がすでに存在していたのだ。
江戸時代には、オランダが長崎で大量の漆器や磁器を買い付け、ヨーロッパに持ち込むようになった。 18世紀のヨーロッパでは、日本の漆器が一大ブームとなり、漆器が「ジャパン」と呼ばれるようになった。日本の漆器は値段が高いために、ヨーロッパで模造品が作られたが、その質においては本物に到底及ばなかった。
---owari---
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