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「和の国」の人権・平等・民主 ~「大御宝」「神の分け命」「神集ひ」(前編)

2024年10月02日 | 日本
中国全体主義から、この国柄を護るべき。

(我が国の何を護るのか?)
上のヘッダーにあるように、来週の日曜日18日に熊本で「中国の全体主義からいかに我が国の国柄を護るか」と題して、お話しします。「国を護るか」ではなく「国柄を護るか」としたのには、ある考えがあります。

かつて防衛施設庁に勤務していた友人と国防の話になり、「我が国の何を護るのか」と問われて、ハッとした事があります。たとえば人命を守るだけなら、戦わずに中国の支配に下れば、犠牲者は出ないで済むわけです。左翼の平和運動はこの類いでしょう。

しかし、それでは人々の自由は失われ、チベットのように伝統文化を破壊されます。彼の地ではすでに150人以上が抗議の焼身自殺をしています。こういう人々は、自分の生命よりも大切な何かを護ろうとしたのです。

日本人が護るべきもの、それは何なのかについて、考えてみたいと思います。

(自由、人権、平等、民主)
オーストラリアへの中国の「目に見えぬ侵略」がいかに進んできたか、については、弊誌1170号「中国の『目に見えぬ侵略』」で述べましたが、その中で中共政権から逃げてきた中国人たちが作った「オーストラリア価値同盟」という団体を紹介しました。

団体名に「価値」という言葉を使っていることに、目がとまりました。オーストラリアに脱出できるほどの才覚のある人間なら、中国に留まっていれば、そこそこ安楽な生活はできたでしょう。それを捨て、命の危険も冒して脱出したのは、ある「価値」のためだと言っているのです。その「価値」とは何でしょうか。

よく言われるのが、自由や人権を求めて、平等で民主的な社会に憧れて、ということです。しかし、これらは西洋的な概念で、日本人にはどうも感覚的にピンときません。なにしろ、現代日本人は自由や人権が失われた世界、差別に苦しめられる非民主的な社会をほとんど体験したことがないのですから、ピンと来ないのも当然です。

さらに自由、人権、平等、民主という言葉が、日本の歴史の中に根を張っていないこともあります。国民的な体験に根付いていない言葉は、頭では理解できても、心底からのエネルギーは生み出せないのです。

自由、人権、平等、民主という概念は近代になって西洋から学んだのだ、と我々は考えているわけですが、実はそれらに共鳴する思想は、日本の歴史の中に根付いており、その事を我々は忘れてしまっているのです。

("Liberty""Freedom"と「自由」の違い)
自由については、1184号「『和の国』の自由」で論じました。そこでは「自由」は『日本書紀』にも出てくる古い言葉で、とくに仏教では「自らに由(よ)ること」、すなわち本来の自分自身を発揮させること、という現代の「自己実現」に通ずる理想でした。

それに対する西洋の"Liberty""Freedom"とは、奴隷、苦役、懲役、原罪などの拘束から「解放」を意味しました。解放された後に何をするのかは、"Liberty""Freedom"は何も示しません。そのために現代社会では宗教や道徳からの「拘束」からも外れて、何をしたらよいか分からず、ドラッグや非行に走る人間も出てくるのです。

これに比べれば我が国における「自由」とは、自分の中にある「本来の自分」を実現しようとする積極的な意味を持っています。読者からのおたよりで、"Liberty""Freedom"はマイナスをゼロにすること、「自由」はゼロをプラスにすることと、実に明快な説明を教えていただきました。

こういう違いを知らずに、「自由」を"Liberty""Freedom"の訳語にあててしまった点に、我々が「自由」の原義を忘れてしまった原因があります。

(「人権」と「大御宝」)
人権、平等、民主については訳語の問題ではなく、日本古来の理想を我々が忘れてしまったことから、これらの概念は日本人の知らなかった西洋からの輸入品、と誤解してしまいました。

まず人権に響き合う理想として、「大御宝(おおみたから)」がありました。東征を終えた神武天皇は、日本の建国宣言ともいうべき詔(みことのり)を出されます。

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恭(つつし)みて寶位(たかみくら)に臨(のぞ)みて、元元(おおみたから)を鎭(しず)むべし。・・・八紘(はっかう)を掩(おほ)ひて宇(いへ)と為さむこと、亦(また)可(よ)からずや。[日本書紀]

(謹んで尊い位につき、人民を安んずべきである。・・・天の下を掩いて一つの家とすることは、また良いことではないか)[宇治谷]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

「元」の字はもともと人を象(かたど)った漢字です。上の横棒が頭を表し、下の部分が体を示します。中国では「元元」と書いて「人々、人民」を意味しましたが、我が国では「おおみたから(大御宝)」と読んだのです。

民を大切な「大御宝」と考え、一つの家の家族のように仲良くやっていこう、という理想のもとに、神武天皇は国家を建てられたのです。我が国の建国目的は、民を宝物として大切にすることでした。

一方、西洋の人権とは、たとえばアメリカの独立宣言が「すべての人間は・・・その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている」と謳っているように、英国王の不当な支配に抗(あらが)う為のスローガンから始まりました。

喩(たと)えていえば、日本は愛情溢れる親が子供を「宝物」と見なして大切にしたのに対し、西洋は暴力を振るう親に対して、子供が自分たちにも人権があるのだと訴えた、という違いです。人を大切にするという理想においても、「大御宝」と「人権」とはこのような歴史的な違いがあるのです。
――(後編に続く)

---owari---
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