悪(あ)しき思想である無神論や唯物論が、
政治の原理や教育の原理に使われる
というのは許されないことです。
また、政治において平和を提唱するのは大事なことですが、
それによって悪の勢力を増長させてはなりません。
もう一つ、「正義とは何か」という観点を忘れてはならないのです。
この「正義とは何か」という観点は、
この地上から悪を減らし、正しいものを増やす
ということのために必要です。
「正義」という考えには、
この地上に悪魔の勢力を広げることを押しとどめ、
彼らを教育する効果があるのです。
私は「正義のある平和」を説かねばならないと考えています。
「悪に屈服する平和」「悪に懐柔される平和」「悪と融和する平和」、
こういうものは「奴隷の平和」であると私は思うのです。
もちろん、各民族や各国に、「自分たちを護りたい」
「自分たちの平和を望みたい」という気持ちがあることは事実でしょう。
しかし、もう一段大きな地球的レベルにおいて、
「正義とは何か」「正しさとは何か」「真理とは何か」というテーマが、
常に検証され続けなければならないと思います。
例えば、原爆が落とされた広島や長崎で、
「そういう行為を人類は二度としてはいけない」という誓いを立て、
「原爆投下を遺憾に思う」という声明を出すこと自体は、悪いことではありません。
しかし、そうした行為が、同時に、原爆等を今もつくり続け、
他国に脅威を与えようとしている者たちを、野放しにして放置し、
その勢力を増長させることを容認するような、
弱い心になっていっては相成らないと思います。
「原爆が落とされ、悲惨な人々が大量に出た」という、
戦争の悲惨さを伝えるならば、同時に、
そうしたことを目指している者に対して、
きっちりとした批判をすべきなのです。
みずからが新たな戦争行為の準備をしている者たちには、
他国の平和や歴史について、
あれこれと批判をする自由はないと考えます。
やはり、世界レベルにおいて、また、未来の視点から見て、
「何が正しいのか」ということを、
常に考え続けなければならないのです。
---owari---
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