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プーチンは本当に侵略者なのか?米国こそがウクライナ紛争の責任を問われる理由

2022年04月13日 | 政治・経済
いかなる理由があろうとも戦争は正当化されるものではありませんが、その責任の所在を巷間(こうかん:世間)で語られている言説だけで判断するのは短絡に過ぎないようです。今回のメルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』では著者でジャーナリストの高野孟さんが、欧米の知識人たちの言を引きつつ、冷戦終結後もNATO(北大西洋条約機構)が存在し続けた矛盾を指摘。その上で、もはや西側の盟主でもない米国による誤った世界との関わりが、ウクライナ紛争を引き起こした原因と考えられるとの見解を記しています。

(NATOはなぜ今もこの世に存在しているのか?)
本シリーズの第3回(INSIDER No.1145)「歴史の物差しの当て方で視点が変わる」で、プーチンが少なくとも2014年9月のミンスク合意からの8年間を一連なりの政治プロセスと捉え、(この選択がよかったのかどうかは別にして)今それに彼なりの決着をつけようとしているのに対し、西側はせいぜい長くても昨年10月に軍事的緊張が高まり始めた頃からの短い物差しで事態を計測し、「突然」「一方的に」「侵略」と言い続けていて、そこがそもそも噛み合わないことを指摘した。

(冷戦後31年間も経ったのに)
しかし本当のところロシア側が本質論的なレベルで問題にしている歴史の物差しはもっと長くて、1989年12月のマルタ島でのゴルバチョフ=ソ連共産党書記長とブッシュ父=米大統領との会談で冷戦の終結が宣言され、それに即して旧ソ連は率先、東側の軍事同盟である「ワルシャワ条約機構(WPO)」を91年7月に解体したにもかかわらず、米国を筆頭とする西側は今なお「北大西洋条約機構(NATO)」を解体していないばかりか、それを旧東欧から旧ソ連諸国にまで拡大し、すでにバルト3国を加盟させたのに続いてジョージアとウクライナも条件が整えば加盟を認めることを決定しているという、「冷戦後31年間」の物差しである。

これをロシアの側から見れば、冷戦が終わり東西両陣営が総力を挙げてぶつかり合うような大戦争は起こり得ないのだから、そのための戦争機構であるWPOを解体するのは理の当然で、米欧も同じようにすると思い込んでいた。ところがそうしないばかりか、どんどん東方に拡大し、ついにロシアと国境を接する国々までNATOに組み入れてきた。米欧にとってロシアは再び「敵」となり、NATOはそのロシアの喉元に突きつけられた剣となって皮膚に食い込み始めている。

(ミアシャイマー教授の見方)
これは決してロシアの被害妄想などではない。たとえばフランスの文明批評家エマニュエル・トッドは『文藝春秋』5月号巻頭論文「日本核武装のすすめ」で要旨こう述べている。

▼米国ではこの戦争が「地政学的・戦略的視点」からも論じられていて、その代表格がシカゴ大学の国際政治学者ジョン・ミアシャイマー。感情に流されず「リアル・ポリティクスの観点から、戦争の原因を考えなければならない」と問題提起をしている。
▼「いま起きている戦争の責任は誰にあるのか?米国とNATOにある」と断言している。私も彼と同じ考えで、欧州を“戦場”にした米国に怒りを覚えている。
▼ミアシャイマーは「ウクライナのNATO入りは絶対に許さない」とロシアが明確な警告を発してきたのにもかかわらず、西側がこれを無視したことが、この戦争の要因だとしている。

▼ロシアの侵攻が始まる前の段階で、ウクライナはNATOの事実上の加盟国になっていた。米英が、高性能の兵器を大量に送り、軍事顧問団を派遣して、ウクライナを「武装化」していた。この「武装化」はクリミアとドンバス地方の奪還を目指すものだった。
▼ウクライナ軍は米英によってつくられ、米国の軍事衛星に支えられた軍隊で、その意味で、ロシアと米国はすでに軍事的に衝突している……。

これは、米欧の中でも歴史が見えている知識人らの1つの代表的な意見であるけれども、日本を含む西側のメディアがそれを参照して、「ところでNATOは冷戦が終わったのに何のために存続し、その挙句にロシアに向かって攻め上るような行動をとってきたのか?」とバイデンに問いかける者はほぼ皆無である。

(ブッシュ父の迷妄の大罪)
冷戦が終わったのにその中心的な機関のNATOはどうして存続したばかりか拡大までしてロシアを脅すまでになったのか。本誌が冷戦終結当時から指摘してきたように、それは一重にブッシュ父子の迷妄(めいもう)のためであり、そのために世界はいまだに冷戦後の世界システムの構築に着手することさえ出来ずに悶え苦しんでいるのである。

このことを本誌は繰り返し書いてきて、9.11直後の本誌でもそれを要約しているので、次に引用する(高野著『滅びゆくアメリカ帝国』=にんげん出版、2006年刊にも所収)。

▼冷戦の終わりとは、単にそれだけではなくて、冷戦にせよ熱戦にせよ、国家と国家が重武装して武力で利害と領土を奪い合うという、それこそウェストファーレン条約以来の国際関係を支配してきた野蛮な「国民国家」原理の終わりを意味していた。

▼国境に仕切られた「国民経済」を基礎として全国民を統合して国益を追求する近代主権国家=「国民国家」は、19世紀までに全欧州を覆い尽くしてきしみを立て始め、それが20世紀に入って二度にわたる世界規模の大量殺戮戦争となって爆発した。

▼最後はヒロシマ・ナガサキの悲劇にまで行き着いて、そのあまりに悲惨な結末に「もう熱戦はやめよう」ということにはなったものの、荒廃した欧州の西と東の辺境に出現した米国と旧ソ連という「国民国家」のお化けとも言うべき2大超大国は、地球を何十回も破壊してあり余るほどの核兵器を抱え込みながら、なお武力による国益追求という野蛮原理を捨てることが出来ずに冷戦を演じ続け、ついにその重みに耐えかねて「もう冷戦もやめよう」という合意に至ったのであった。
▼だから冷戦に勝ち負けなどあるはずもなく、米ソは共に、国家間戦争の時代は終わったのだという認識に立って、新しい協調的な国際秩序の原理を模索するのでなければならなかった。

▼ところが、当時ブッシュ父が率いる米国は、冷戦終結を「米国の勝利」と錯覚し、旧ソ連が崩壊したことによって米国は“唯一超大国”になったという幻想に取り憑かれた。
▼その独りよがりの幻想を助長したのが湾岸戦争で、「ヒトラー以来最悪の独裁者」に対して「正義の味方」米国が全世界を率いて力で叩き潰すという誇大な図式に填め込んで、軍事力・経済力の圧倒的格差からして勝つに決まっている戦争に勝って自己陶酔することになってしまった。
▼その父親譲りの“唯一超大国”幻想を外交政策全般の基調にまで拡張したのが、ブッシュ子大統領の“単独行動主義”である……。

こうして、米国がもはや西側の盟主ではないのにそう振る舞おうとしたり、逆にかつて盟主としてその形成に責任がある枠組みから発作的に脱落して後始末をしなかったり、つまりは“唯一超大国”でないとすれば自分は一体何なのかが分からず、自己喪失状態に陥っていることが、世界のあらゆる課題にとっての障害となっているのである。ウクライナもそういう問題の1つにすぎないと言える。

---owari---
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