若い頃は、
他人(ひと)と自分とを比べて、
その違いに苦しむことが多かった。
たいていは、
他人が優れてみえて、
自分の劣ったところばかり気にしたものだ。
「平等」という言葉は、
誰しもが心魅かれるものではない。
ともすれば、慰めや革命の原理に使われやすい。
他人と同じなら安心し、
違いにはがまんならなくなる。
それは、横綱の力を移しかえることができず、
ホームランバッターの本塁打を分け与えられず、
入試の点数を皆同じにはできないこととの、
比較で考えられなくてはならない。
働き蟻は皆、同じに見え、
ゴキブリも、個性の差がわからない。
これが「平等」というなら、
それに甘んじてもよかろう。
しかし、人間なら、
なぜロイヤルゼリーを食べた蜂が、
女王蜂になるのか、考えてもよかろう。
パンダファンなら、
パンダにも美人がおり、
人気の差があることに気づいてもよかろう。
結果平等だけでは、
複数性のある高等動物には、
喜びも、繁栄もないのだ。
才能、運、努力、愛の心が、
自分の未来を変えるのだ。
信じるがよい。
---owari---
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