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「平和主義」が第三次世界大戦を招く②

2018年02月02日 | 政治・経済

(次のワールド・オーダーはどうあるべきか)

今、北朝鮮危機の国防に対し、日本で議論されている内容は「小手先」であり、「非常に小さい」のではないでしょうか。

 

例えば、自衛隊についてもそうです。すでに、自衛隊そのものは存在していますし、自衛隊法も存在しています。自衛隊員も二十万人ぐらいおり、その家族もいるわけです。今、「自衛隊」という文言を、「憲法九条の第三項に付け加えるかどうか」などという話をしていますが、そういう問題ではないでしょう。

 

現憲法の第九条は、「戦争放棄」(第一項)と「戦力の不保持」(第二項)を規定していますが、その上で、第三項で「自衛隊は別途、存在できる」というように書けば、憲法のなかで矛盾が生じます。これでは、また解釈論議を延々とやるだけのことになるでしょう。

 

そろそろ、この“頭のトロさ”はやめたほうがよろしいのではないかと思います。もはや、そういうレベルではありません。「『吉田ドクトリン』に間違いがあった」ということを、はっきりと認めるべきです。「これを変えないかぎり、日本は存続できない。国家の消滅になる」ということを知ったほうがよいでしょう。

 

私たちの次の世代、つまり、今の若い人たちは、「北朝鮮危機」と「中国危機」を乗り越えなければ、国家として生き残れません。そういう時代になります。

 

したがって、私たちの世代は、次の世代のことを考え、「吉田ドクトリン」が後世にツケを残すことがないように、できるところまで「基盤整備」をしておかなければならないと思うのです。

 

やはり、今、「陸・海・空」の軍事力を持っている自衛隊を、「軍隊ではない」と言うことは通用しないでしょう。

 

また、どこの国も、自国の軍隊については、「防衛軍」とか「国防軍」とか呼んでいるわけであって、防衛が主旨であることはどこの国も同じなのです。最初から、侵略を主旨として軍隊をつくっている国などありません。

 

確かに、アメリカのように、自国の防衛だけでなく、同盟国や主義主張を同じくする自由主義諸国を守るところまで、「防衛」という概念を広げている国はあります。しかし、そのすべては、「人間心を超えた、神様のワールド・オーダー(世界秩序)はどうあるべきか」を考えて行っていることなのです。

 

(日本人が考えるべき「国家レベルでの愛」とは何か)

アメリカの空母のパイロットにインタビューしているシーンをテレビで観たことがあります。そのパイロットは、「あなたは、何のために戦闘機に乗って戦うのか」と訊かれた際、「世界の正義のために」と答えていました。日本では、こうは言えないでしょうが、アメリカのパイロットは、「世界の正義のために」と答えていたのです。

 

私はこれを聞いて、「アメリカはさすがだな」と思いました。もし、日本の航空自衛隊の隊員に同じ事を訊いたら、何と答えるでしょうか。「とにかく自衛隊としての役割を果たすために」といったことを言うのかもしれませんが、アメリカのほうは、「世界の正義のために」と答えていました。

 

アメリカの映画を観ても、「悪の勢力を地上にはびこらせず、正義を打ち立てる。正しいものを守る」という考え方が、一つのテーマとして貫かれているわけです。

 

ところが、日本では、ヒーローの役割について、あまり分かっていないというか、評価されていないように思います。要するに、「日本的ヒーローは小さい」のです。非常に小さくて、残念と言うしかありません。

 

やはり、日本もこれだけの大国になった以上、「他の国のこと」や、「地球の正義と平和」について考えるべきでしょう。これが、大きな意味で「国家レベルでの愛」なのだということを知らなくてはいけないのです。

 

*吉田ドクトリン・・・by wikipedia

日本国憲法の制限の中で安全保障の多くをアメリカ合衆国に担って貰い、日本政府は予算を経済成長と経済発展を最優先課題とした軽武装・経済外交に基づく国家方針・国家戦略。戦後、内閣総理大臣としてこの方針を打ち出した吉田茂にちなんで呼称される。

 

---owari---

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