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「平和主義」が第三次世界大戦を招く③

2018年02月03日 | 政治・経済

(国ごと「強制収容所」となっている北朝鮮)

北朝鮮は三代目・金正恩氏の命令一つで、北朝鮮に住む二千万人余りの人たちが、今、封じ込められているわけです。要するに、生きながらにして、牢獄のなかに閉じ込められているようなものであり、現実には、北朝鮮という国自体が“ゲットー(強制収容所)”になっていて逃げ出すことができません。一部のキリスト教関係者たちが脱北を手助けしたりもしてはいますが、命からがら逃げ出したところで、たいてい撃ち殺されます。

 

このように、「国外に逃げる自由がない国」というのは、基本的に「悪い国」だと考えなくてはいけないでしょう。そもそも国から逃げられず、逃げようとする者は、撃ち殺したり、あるいは、政治犯として収容したり、処刑したりする国は、「悪い国」なのです。もし、「よい国」であれば、国外に出ても必ず戻ってきます。戻りたくないのは、“怖い国”だからです。実際に“怖い国”であることは間違いないでしょう。

 

このあたりは、簡単な判断基準として、ちょうど“リトマス試験紙”のような反応があると思います。

これは、ロシアに変わる前のソ連もそうでした。海外逃亡させないように、そうとう厳しい対応をしていたはずです。

 

例えば、バレエ団とかピアニストとかが海外公演をしたり、オリンピックなどで、体操の選手等が海外へ行ったりしたときに亡命することがあるので、これを食い止めるために必死だったわけです。ひどいときには、「オリンピックでメダルを取って帰った人は一生安泰で年金も家ももらえるけれども、負けた場合には、強制収容所送りになったり、殺されたりする」という噂も聞いたことがあります。やはり、こういう国はあまりよい国ではないでしょう。

 

基本的に、「居住移転の自由」、「職業選択の自由」、「海外渡航の自由」というものがない国は、何かそのなかに悪を含んでいると見て間違いありません。もちろん、「言論・出版の自由」、「表現の自由」等も同様です。

 

そして、最も大事なものは「信教の自由」です。

もし、「信教の自由」を認めないとなると、これは、「人治政治」、つまり、「人による、特定の人間のための政治」が行われていることを意味します。しかし、「人治」には限界があって、人間の性格や個性によって偏向が生じるのです。

 

やはり、「人間を超えた大いなるものが、人類をいつも導いているのだ」という謙虚な気持ちを持っていないかぎり、間違いは何度でも起きてしまうのではないでしょうか。主義主張を立てたところで、「そのためにはいくら人を犠牲にしてもよい」というような考え方が出てくるのであれば、非常に危険であると考えなければならないのです。

 

*このシリーズは3回で終わります。お読みいただきありがとうございました。

 

---owari---

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