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ああ、「嫁姑(よめしゅうとめ)問題」!!どう乗り越える?⑤

2019年05月15日 | 人生
(「他人から学べない人」は浅く、「学べる人」は力量が)
ところが、今どきの女性は、嫁として家庭に入り、義母からいろいろ教わっても、「そうは言っても、どこそこはこうだ」、「雑誌にはこう書いてあった」、「最近の流行(はや)りはこうなんだ」などと言い返してくることもあります。

そのように、嫁が生意気(なまいき)だと、義母はだんだん教えたくなくなることもあるでしょう。そのへんの関係は、勉強としか言いようがありません。

また、料理人の世界では、何もかもは教えてくれないとも言われています。私が昔、帝国(ていこく)ホテルの料理長が書いた本を読んだところ、そこには、「先輩は、ソースの味などはなかなか教えてくれなかった。『何と何をどう配合してこの味を出したか』、『塩や砂糖、ごま、油など、いろいろなものを使っているが、どんな割合で混ぜてこうなっているのか』は教えてくれないので、“盗(ぬす)む”しかない。

今は料理人のトップになっているけれども、当時は、後片付けしているふりをしながら、先輩がつくった料理の残りを舐(な)めて、味を盗んでいた」といったようなことが書いてありました。要するに、男性の職人の世界も難しくて、簡単に教えてくれるものではないのです。

同じように、嫁に行ったからといって、「わが家の秘密を全部、教えます。わが家の成功法を全部、教えます」、「この巻物(まきもの)一巻があれば、何でも全部、解決します」などというわけにはいきません。「どれだけ学べるか」は、その人の力量にもよるでしょう。能力や才能にもよるし、心のあり方にもよるし、謙虚さにもよるのです。

もちろん、それ以外の情報もたくさんあるとは思います。例えば、ファッション関係の仕事をしている家に嫁に行っても、ファッションの勉強をしていた人であれば、自分の意見がいろいろあるでしょう。しかし、その家でのベーシックな仕事をマスターしてからでないと、自分の意見を言うべきではありません。あまりにも、“浅いレベル”で、いろいろなところのものを引き合いに出してはいけないのです。

「私は、どちらかといったら、ハナエモリのほうが好きなんだけど」といった感じで言ったりするようでは、だんだんに教えてもらえなくなるだろうと思います。やはり、それを意地悪と取るのは間違いであって、本人の「人間としての浅さ」の問題なのです。それは女性だけでなく、男性であっても同じでしょう。

また、「才能があれば教えてくれるか」といえば、そんなことはありません。才能がある人の場合、すぐにライバルになってくるケースもあるからです。したがって、「絶対に追い抜かれない」と思っているうちは教えてくれたとしても、「もしかしたら追い抜かれて逆転されるかもしれない」と思ったら、教えてくれなくなることもあります。

そういうときには、余計に全感覚を研(と)ぎ澄(す)ませて学び取っていかねばならないわけです。

(どう対応する、「年上からの嫉妬(しっと)」)
会社のなかで嫉妬されたあるサラリーマンのお話です。普通であれば、一、二年上の先輩から嫉妬が多いのでしょうが、その人の場合、十年上、十五年上あたりの先輩から嫉妬されました。

その人は、「そんな年代の人に嫉妬されるのだろうか」と思ったのですが、彼らの言い分は振るっていて、「おまえは、いずれ社長になるんだろう。そのときにいじめられるだろうから、その前にいじめておいてやる」といった論理だったのです。「今のうちならいじめられるから、徹底(てってい)的にやってやる。おまえが上になったら逆にやられるだろうから、先手必勝で、先にいじめておいてやる」と、露骨(ろこつ)に言う人もいたぐらいでした。

その人には、そんなつもりはなかったのですが、作法(さほう)があまり丁寧(ていねい)でなく、柔軟でもなかった分、非常にうぬぼれて見えるところもあったらしいのです。確かに、訊き方が丁寧でなかったりしたこともあったのかもしれないと語っていました。

相手の説明が単純に分からなかったから、「分からない」という言い方をしただけなのに、それを、「教え方が悪い」とか、「あなたは間違ったことを教えているのではないか」とか言われているかのように、受け取る人もいたので、なかなか難しかったそうです。

このような、警戒心を持っている人を相手にした場合は、基本的に、“自分の弱み”のようなものを少し出さないと、相手もなかなか心を開かないことが多いでしょう。

要するに、完全無欠であるように防御(ぼうぎょ)するためには、絶対に欠点を見せないようにしなければいけない状態になりますが、それだと、相手も警戒して心を開かないわけです。しかし、何かの折に、致命(ちめい)的ではない範囲(はんい)内での弱みを少し見せておくと、「そのへんのところは、まだ未熟なのかな」、「まだかわいいところもあるのか」と思って、かばってくれる人や教えてくれる人が出てきたりします。

例えば、私の先輩で、非常に優秀(ゆうしゅう)だった人は、いつも、「お金がなくて、借金している」と言っていました。財務関係の仕事をしている人間としては、少し恥(は)ずかしい話ではありますが、「個人の家計がいつも赤字でピーピーだ」という話ばかりをしていたのです。しかし、それも一つの“フェイク”でしょう。他人に嫉妬させないためのやり方ではあったのです。

ともかく、「自分は完璧(かんぺき)なのだ」などと思っている若い人に、心を開いて全部を教えてくれるような人は世の中に存在しないのです。

したがって、まずは謙虚であってください。そうは言っても、「謙虚であることができない」、あるいは、「弱点を見せると自己が崩壊(ほうかい)してしまう」といったタイプの方もいるかもしれません。そういう場合は、少しだけ“駒(こま)を退(ひ)く”というか、少しだけ何かを“緩(ゆる)めればいい”でしょう。

すべてを完璧に、キラキラに光っているように見せるのはやめて、少しは自信のないところも見せ、人間関係がある程度つながるように努力することも、必要なのではないかと思います。
――この章は終わりです。

---owari---
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