(言論機関が政府の支配下に置かれている“独裁主義的国家”)
その一方で、やや独裁主義的な傾向(けいこう)が強い国家においては、大きな権力に押さえつけられるようになっています。
そもそも、言論機関そのものが完全に政府の支配下に置かれているような国家においては、言論機関に対する訴(うった)えなど、ほとんど聞かれないも同然でしょう。政府も、裁判所も、言論機関も、実は、同じ価値観で支配されていることは十分にありうるのです。
かつて、日本の支配下にあった国では、戦争中の日本の主導的な空気がいまだに残っているところがあるため、現在の中国や北朝鮮、韓国などの政府の考え方、言論機関の考え方、あるいは、司法機関の考え方等には、意外に終戦前の日本の時代のそれとよく似たものが色濃く残っているのではないでしょうか。
要するに、ある意味で、言論が一元誘導され、政府の利害に反するようなものを出しにくい状態になっており、そういうことをすれば、戦争中の日本と同じように「非国民」と言われることになりやすいわけです。
さらには、自国の文化を害するような外国文化の流入を避(さ)けるため、さまざまな障壁(しょうへき)によって妨(さまた)げようとする国家もあります。小説であれ、映画であれ、音楽であれ、歌や踊りであれ、いろいろなものについて、自分たちが「敵性文化」と見なしたものに対しては、流入を避けるべく、入れないように制限することが数多く行われるわけです。
このようなことが、いまだに堂々とまかり通っている国家もあります。
---owari---
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